夢違いの獏の札4
ロマンが仕事でいないある日の休日。
なまえは午前から用事があって出かけていたものの、夕方頃に帰宅して今はマーリンと二人きりだ。
リビングのソファーに腰掛けて人心地ついていると、当然のようになまえの隣にマーリンが腰掛けてきて、開口一番唐突に言った。
「デートしよう」
「ふぇっ?」
隣に座られた時点で思いっきりドギマギしていたなまえは、突然の宣言に思わず妙な声が出てしまう。
ひょこりとなまえの顔を覗いたマーリンが、にこにこしながら問いかける。
「したくない?デート」
「……したい、けど」
まごつきながらもなまえは素直に答える。
ロマンが突然現れたので、デートのデの字も言う暇が無かったのだが、もっと恋人らしいことがしたいという欲求は勿論なまえにもあった。
だから今みたいにロマンのいない二人きりのときを狙って、もうちょっと積極的に行こうとは思っていたのである。
ある意味いきなり出鼻をくじかれてしまったが。
「でもデートって、今から……?」
「今すぐ行きたいところだけど、お疲れのキミを無理に連れ出すほど強引じゃないよ私は」
どの口が言ってるのだろうか。マーリンが強引じゃなかったことの方が少ないと思うのだが。
「まぁ、今すぐじゃないなら……その、行きたいな、とは思ってたし」
なまえが素直にそう言えば、マーリンが嬉しそうに顔を綻ばせる。
「じゃあ決まりだ。ロマン君が仕事の日にでも秘密のデートと行こうじゃないか!」
「え、ロマンに言わないの?」
「言うわけないだろう!邪魔されるに決まってるんだから!」
マーリンに勢い込んで言われてしまいなまえはちょっと退いてしまう。
確かにロマンが良い顔をしないのは間違いない。
しかしだからといって秘密にするのは、騙しているような感じがして少し気が引けた。
「……内緒でっていうのはなんか、後ろめたいかな~……って」
「逆にその後ろめたさにゾクゾクしたりしない?」
「しないッ!」
「それは残念」
妙なことを言い出すマーリンになまえがぎゃんと吠える。
大して気にした風もなくさらりと返答し、マーリンはさっとなまえの肩に手を回した。
「……っ」
「まだ慣れないのかい?」
「ちょっとびっくりしただけ……」
言いながらなまえは驚いて固まった身体をゆっくりと弛緩させていく。
そっと視線を合わせるとにっこりと微笑まれ、どきりと胸が高鳴る。
至近距離でそんな風に微笑まれたら、きゅんとしとしまってどうしようもない。
咄嗟に目を逸らしながらも、なまえはマーリンへとそっと体重を預けて言った。
「……まぁ、確かに邪魔は分かんないけど反対されそうだし……仕方ないのかな……」
はにかみつつなまえが答えると、マーリンも嬉しそうに笑いながらぎゅうとなまえを抱き寄せる。
「仕方ない、仕方ない。……別に家で二人きりの逢瀬というのも私は構わないけどね?どっちにしろ次の休みは二人きりで過ごすことは譲らないけど」
「家で……」
二人きり。
改めて意識するとドキドキして、なまえはまた身体を固くしてしまう。
ふっと笑ったマーリンがなまえの顔を覗き込んで言った。
「何か想像した?」
「何が!?別に家で二人きりとか前からそうじゃん!?」
「そうだね。だからこそ改めて恋人としてデートがしたいんだ」
「……っ」
「ロマン君には秘密でね。いいだろう?」
優しく微笑みながらマーリンがなまえに問いかける。
顔を真っ赤にしたなまえがさっと目を逸らして、それでも静かに頷いて言った。
「……分かっ、た。二人で、どっか行こ」
「…………」
「……マーリン?」
せっかく返事をしたのにマーリンから反応が無い。
訝しんでマーリンを見やると、突然がばちょと抱きつかれてなまえは思わず「おほわぁッ!?」と妙な発音で叫んでしまう。
「ンン~ッかわいい~!はぁっ、次の休みと言わず今すぐ攫ってしまいたい!」
「攫っ……!?」
すりすりと頬をすり寄せながら若干物騒な事を言うマーリン。
そのままの勢いでなまえの顔を両手でぐっと引き寄せると、顔中にキスの雨を降らし始める。
「なまえ、なまえ、可愛いなまえ。好きだよなまえ」
「ひっ、ちょ、ぁ……!」
ちゅっ、ちゅ、と容赦なくなまえの顔にマーリンは口づけていく。
恥ずかしくてくすぐったくて、避けようと身体を逸らせば、そのままマーリンはなまえの上に覆い被さりソファーになまえを押し倒す形になった。
「なっ、や……っちょっと……!」
「はぁっ、かわい……」
「ばっ、やめ……っ!」
熱っぽい吐息混じりの台詞が耳をくすぐって、思わずなまえは身体をびくりと震わせる。
マーリンの唇がちゅっとなまえの耳に触れて、思わずなまえは「ぁっ」と甘い声をあげた。
「…………何?そのエッチな声。たまんないなぁ……」
「っ!……待っ、ちょ、いきなりそういうのやめて!」
雰囲気が怪しくなってきて、慌てて腕を突っ張ってマーリンを止める。
いつロマンが帰ってきてもおかしくないのに、今そういう事になるわけにはいかない。
そんななまえの反応に、とりあえずはマーリンも素直に動きを止めた。
はぁ、と熱い吐息を漏らすと熱っぽくなまえを見つめる。
「…………ごめん。ちょっと我慢もそろそろ限界に来ててさ」
「……っ!」
熱い視線に射抜かれて、思わずなまえは息をのむ。
顔に熱が集まって、それでも視線を逸らせなかった。
ふ、とマーリンが不敵に微笑む。
「だから……次のデートは覚悟しててね」
「え!?」
「手出すから」
「はっ、ぇ」
「脱がすし、触るし、挿れる」
「!!?!?!?」
突然の言葉にぎょっとして目を見開く。
あまりにもはっきりと告げられた言葉に頭が追いつかない。
「良いだろう?僕ら、恋人同士なんだし」
「…………わ、私のために我慢とか……」
「そんなに嫌?」
咄嗟にやんわり拒否するような言葉が出てしまうが、切なげな顔でマーリンに言われてなまえは口を噤む。
目を伏せて少しの間悩んだ後、もう一度視線を合わせると口を開いた。
「………………嫌な、わけじゃ、無いけど……は、初めてで……そんな、いきなり……」
戸惑いを素直に口にする。
目を細めたマーリンが、なまえの頬を撫でながら言った。
「初めてだから、事前に言っておいてあげた方が良いかなって。言わずにおくのも乙かなぁとも思ったんだけど、急に迫ってまた泣かれたら困るし」
「い、いや……あれはその…………」
在りし日の出来事を思い出して、なまえは何故か後ろめたくなる。
いや、あれは完全にマーリンの方が悪いと思うのだが、結局マーリンに落ちてしまった今となっては、泣くほど嫌がったのは流石に悪かったような気がしてしまう。
そんななまえの様子にマーリンは笑みを漏らすと、改めて頬にちゅ、と口づけた。
「……優しくする」
「……!」
「ね。ダメかな」
「…………がっかり、するかもしれないよ?」
くしゃりと顔をしかめてなまえが言う。
百戦錬磨のマーリンだから、今まで数限りない美女を相手にしてきたのだろう。
身体を見られたら、幻滅されてしまうかもしれない。身体は化粧で誤魔化せないから。
それに、初めてだから、何をどうしていいのかも分からない。
マーリンなら上手にリードしてくれるとは思うけど、それはそれで複雑だ。
そうして不安に思うなまえに苦笑を漏らすと、マーリンはすぐに「しないよ」と否定した。
なまえが複雑そうな顔でマーリンを見つめる。
「キミの裸なら一度見たしね」
「は!?……あっ、そ、ういえば、そうだけど……いやあれは、一瞬だし……」
言われてなまえは思い出した。
確かに、一度うっかり入浴中のマーリンと出くわしてしまったのだった。
そんなに前の話でも無いのに、今はもう随分と昔のことのように感じる。
「一瞬でもちゃんと見たよ、釘付けだったよ。綺麗だった」
「ばっ……!」
なまえが真っ赤になってマーリンを罵倒しようとして、恥ずかしさのあまり最後まで音に出来なかった。
じーっとなまえを見下ろして、無表情のままマーリンが言う。
「一応言っておくけど、恥ずかしいから電気消してとか言われても消さないからね」
「ええええっ!?」
「まじまじ見るよ勿論」
「そういうの宣言しないでよ!もっと気遣ってよぉっ!」
眉を下げたなまえがマーリンに困ったように言うと、何故かマーリンはニマニマと口角をつり上げる。
「ンフフ、可愛いなぁなまえは」
「何悦に入ってんの!?」
なまえの怒ったような言葉にも、マーリンはにやけた視線を返す。
嬉しそうに頬を緩ませ、マーリンはなまえの頬を撫でながら言った。
「だってね、僕にはもう分かってるんだから。キミは僕を拒否しないって。だから……全力で堪能するよ」
「っ、ひ」
「……ね、なまえ……」
マーリンがなまえに顔を近づける。
「……っ、ん……!」
反射的に目を瞑り、なまえはそれを受け入れた。
そっとマーリンの唇がなまえの唇に重なる。
ああ、まだキスにすら慣れていないのに、それもただ唇を重ねるだけのものしか経験していないのに、手を出す、なんて。
マーリンのばか。
そっとマーリンが唇を離す。
怒ったような顔をしつつも、顔を真っ赤に染めるなまえを見て、マーリンはふっと息を漏らして笑った。
ほら、やっぱり。もうなまえは、僕を拒否出来ない。
そんな顔をしていたって、仕方ないって思っているんだろう?
ああ──本当、今すぐ攫ってしまいたい。
もう一度口づけようかどうしようか、マーリンが迷った数瞬の間に、玄関から物音が聞こえて、なまえは慌ててマーリンを押し返した。
「っ!!ま、マーリン!ロマン帰ってきちゃった……!」
「……うん、そうだね」
小声で話すなまえに対して、マーリンは棒読み気味に返事を返す。
ぐいぐい押し返そうとするなまえをまるで感じていないかのようにじっとなまえを見下ろしたまま微動だにしない。
「ちょ……!?どいてったら!見つかっちゃう……!」
「良いじゃないか、僕ら恋人同士なんだから見つかっても」
「やだお願いどいてっ、ロマンに見られたくない……っ」
なまえが涙目で懇願する。
その姿にマーリンは眉をひそめた。
「…………嫌だ。どかない」
「マーリン……!」
マーリンがなまえの首筋に顔を埋める。驚いてびくりとなまえが震えた。
頭が真っ白になったなまえの耳に、リビングへと誰かが入ってくる音だけが聞こえてくる。
「ただい──ま……っま、マーリンおまっ、何やって……!!」
リビングに入ってすぐ目に飛び込んできた光景に、ロマンはぎょっとして立ちすくんだ。
マーリンが悪びれた様子も無く、少しだけ目線をロマンにやりながら答える。
「見て分からない?恋人同士のコミュニケーションだよ」
「なまえちゃんから離れろ!!」
「嫌だね」
答えながらマーリンが再びなまえに口づける。
「っや、マーリンやめて……っ!離れてぇええっ」
ロマンの前で口付けられてしまい、恥ずかしさのあまりなまえは半泣きになる。
そんななまえの顔にマーリンはぞくりと背筋を震わせると、再びなまえの首筋に唇を落とした。
「かわい……」
「いやあぁああああ」
首筋を這う唇の感触になまえは思わず声を上げる。
恥ずかしくてたまらない。
しかし抵抗しようにもがっちりと身体を抱き込められ、腕一本動かせず、されるがままになってしまう。
「……っ!」
あまりの光景に絶句していたロマンが、なまえの声に我に返ってつかつかとマーリンに歩み寄り、その胸ぐらを掴みあげる。
ぎろりと睨み付けると、マーリンから気だるげな視線を返されぐっと唇を噛んだ。
「……邪魔する気かい?」
「なまえちゃん嫌がってるだろ!?無理矢理こんな……っ!なまえちゃんはおまえのオモチャじゃない!!」
ロマンの言葉に、マーリンは自分の下で震えるなまえに視線を戻した。
なまえはおろおろしながらマーリンとロマンを交互に見やっている。
再びロマンに視線を戻すと、胸ぐらを捕んでいる腕をぐっと離して、マーリンは言った。
「なまえをオモチャ扱いになんてしてないよ。でも、なまえは僕のだ」
そう言うとなまえを抱き起こしてぎゅっと抱き締める。
ロマンが眉をつり上げて怒りを露わにした。
「この……っ!」
「ちょ、けっ、喧嘩しないで!!はっ、はず、恥ずかしかっただけで別に嫌だったわけじゃないし……!」
「なまえちゃん……」
「……」
そのままロマンがマーリンを殴るのではないかという雰囲気に、なまえは慌てて声を上げる。
ロマンが悲しげに眉尻を下げてなまえを見た。
マーリンはただ黙って、なまえを強く抱き締める。
思わずまたどきりと胸が高鳴るが、今はドキドキしている場合ではない。
自分に回された腕を強引に振り解くと、なまえは立ち上がって一気に畳みかけるよう二人に告げた。
「とりあえずこの件はこれでおしまいね!マーリンは後で説教だよ!!はい解散!ね!」
「いやでもなまえちゃ……」
「これ以上触れないでってば!!ご飯作ってくる!!」
あまりの恥ずかしさに耐えきれず、なまえはそそくさとその場を逃げ出しキッチンへ向かう。
後には取り残された男が二人、キッチンへと向かうなまえの後ろ姿を暫し呆然と見つめていた。
ふとマーリンがため息を吐く。
ソファーに座り直すと、先刻までのロマンの怒りなど知らないとばかりに普段の調子で言い放った。
「なまえの説教か、また二人きりになれるかな」
「反省しろこのクソ夢魔!」
「別に私悪くないし?」
「お前……っ!」
ぎり、とロマンが唇を噛む。
やっぱりこいつは伝説通りの夢魔で、人でなしなのだ。
なまえをこんな男に任せられないと強く思う。
「本当の本当に本気で!なまえちゃんを傷つけたら許さないからな……!」
「……許さない、ねえ。どうするつもりだい?力を失って、ただの人間になったキミに何が出来ると?」
「……っ」
言われてロマンは言葉に詰まった。
確かに、許さないからと言って出来ることなど微塵もない。
自分は今単なる人間でしか無く、一介の魔術師ですら無いのだ。
マーリンが本気になれば──いや、本気になるまでもなく、少しそんな気になれば、簡単に排除されてしまうだろう。
ぐっと拳を握りしめるロマンをマーリンは一瞥すると、キッチンで作業するなまえを何とはなしに見つめながら続けて言う。
「キミの言うとおり私は夢魔だ。キミのように人間になったりするつもりもないし、キミの知るとおりの人でなしさ。だからキミがなまえを心配するのは分かる。──けど」
「……」
「なまえを愛してる。たとえそれが僕の思う愛であって、キミたちの価値観とは違っていても」
「……、……」
「なまえを僕のモノにする。いいや、もうずっと前からそれは決まってる。なまえは、僕のモノだ。もう何者にも引き裂かせはしないよ」
なまえがキッチンから二人の様子を窺い、マーリンとぱちりと目があった。
言いながらマーリンはなまえに優しく微笑みかける。
なまえはマーリンが何を話しているのか知らないまま、その笑みに笑み返すと作業を続ける。
そんな二人の様子を複雑な面もちで見つめながら、黙って聞いていたロマンもようやっと言葉を返した。
「──……熱烈だな……。言葉だけを見れば、だけど」
「熱烈に思ってるよ。今すぐ強硬手段に出たい程度には」
「……!」
マーリンの言葉にロマンは目を見開いてマーリンを凝視した。
やはり大していつもと変わらない調子のマーリンが、ひらひらと手を振りながら首を横に振る。
「……けど、しないとも。安心したまえ。まだ今は、なまえを世界に預けておくよ。なまえとこうしているのが、私も楽しいからね」
柔らかな眼差しをなまえに向けて、マーリンは幸せそうに目を細めた。
不気味なものを見るような目で、ロマンはそんなマーリンを見つめる。
しばらく黙りこくっていたロマンだが、数刻置いて口を開く。
「……一つだけ教えろ」
「何を?」
絞り出すように低く放たれた言葉を、マーリンは軽い調子で受け止めた。
「どこで、なまえちゃんを知ったんだ?どうして好きになった」
「……それは」
その問いに、マーリンはようやくロマンに視線をやった。
真面目な顔をしたロマンが、マーリンを睨むように視線を返す。
何を考えているのか分からない色のない顔でロマンを見つめるマーリンが、またそっとなまえに視線を戻して、遠くを見るように目を細める。
いつもより少しだけ低い声音で、マーリンは言った。
「──さて。遠い昔のことで、もう思い出せないな」