夢違いの獏の札 挿話
花の香りがする。
そう意識すると身体に感覚が戻ってくるような心地がして、何かが私の髪に触れていることに気づいた。
「……ん」
むぐむぐと口が動いて、髪の違和感に手をかざすと、何かぬくもりのようなものに触れた。
ゆっくりと目を開いてその感触のもとを辿れば、枕もとでマーリンが私の髪をいじっているのが目に入る。
──驚きすぎて一気に目が覚めた。
「マ───ッ!?」
「しー」
思わず叫びそうになった私の口をマーリンが手で覆う。
どうせ寝起きなので大した声は出せまいが、それでも私は慌てて口を閉じた。
いや、確かに最初のころはともかく最近は部屋に鍵とかかけてなかったんだけど、今までこんな風に侵入された事は無かったので本当にびっくりした。
私がいない間に忍び込まれたことはあるが、とりあえずその話は置いておこう。
「なに、どうしたの……?」
もぞもぞと起き上がり小声で問いかける。
変な寝ぐせとかついてないだろうか、気になって手櫛で髪をとかすと、マーリンの指がさらりと私の髪を撫でた。
「キミが恋しくて仕方ないから、悪いとは思ったんだけどこうして会いに来たんだ。起こしてしまってごめん、見ていたら触れたくなってしまって」
「……い、いや、まぁ、別に、良いけど……」
……って寝てる婦女子の部屋に侵入してくるのは決していいことではないけれども。
でもまぁ、せっかく一緒に住んでいるにも関わらず、二人きりになれる機会が極端に減ってしまったのは事実で、マーリンがそれを寂しく思っていてくれたなら素直に嬉しい。
カーテン越しに薄暗い明かりが差し込んでいる。夜が明けたばかりという頃合いだろうか。
うっすらとした朝日に照らされたマーリンは、普段よりいくぶんか世界に溶け込んでいるように見える。
いつもなら日差しに虹色を映す髪も、今は夜と朝の狭間で大人しく揺らいでいた。
不意にマーリンが身体を寄せる。
「……抱きしめてもいいかい?」
「き、聞くの!?」
「無断でいいならいくらでもするけど」
「……、強引な事しないなら、聞かなくてもいいよ……」
恥ずかしさに震える声でそう言うと、マーリンは薄く笑って私をそっと抱きしめてくれた。
「……っ」
たまらなくなって、おそるおそるマーリンの身体に腕を回すと、私もぎゅっと抱きしめてみた。
マーリンが小さくふふっと息を漏らす。何だかすごく照れ臭くてドキドキするけれど、とても心地いい。
「──やっと、キミから抱きしめられた」
「……、……」
照れ隠しの憎まれ口とか、何かしら言おうかと思ったのだが、言葉にならずに消えていく。
何を言ってもこの空気を壊してしまうような気がして、何も口に出来なかった。
マーリンが私の首筋に顔をうずめて、柔らかな白い髪が私の頬をくすぐっていく。
そっと手を伸ばして、マーリンの背中を流れる髪に指を滑らせてみた。すごく滑らかで、とても気持ちがいい。
マーリンは基本髪をみつあみに結っているから、こうしておろしている姿を見るのは珍しい。物凄い量と長さだなと改めて思う。
浮世離れしているとは思っていたけど、魔術師なんだったらそういうこともあるだろう。何か儀式的な意味合いでもあるのかもしれない。今度聞いてみよう。とりあえず、それは今聞く事では無い。
「なまえ……」
熱い吐息と共にマーリンが私の名を吐き出した。
耳に息がかかって身体が震える。
マーリンが不意に顔をあげて、私の頬に手を添える。
「……や、ま、待って……なに、を……」
「何って……キスだよ」
「だ、ダメ、待って」
「何故?」
「ね、寝起きだし……っ、せめて歯磨きしてから……」
「……」
マーリンの眼が不服そうに細まる。だって、そんな、急に、困る。何の準備も出来てない。
「……は、初めて、だし、こういう形じゃなくて……」
「それを待ってたらまた邪魔されてしまいそうだから嫌だ。キミの唇が欲しい」
「……ぅっ……」
はっきりと言われて困ってしまう。
躊躇している間にもマーリンは顔を近づけてくる。
咄嗟に上体を逸らせば、腰に回された腕でぐいと引き戻された。
「逃げないで」
「や、で……も」
「何も気にしないから」
「わ、私が気にな……、…………っ!」
ダメだ、マーリンはもう止まるつもりがない。
ここで私が全力で拒否すれば、マーリンは多分やめてくれると思う。
だけど困ったことに、私も嫌なわけではなかったから、結局目と唇を閉じてその感触を受け入れる覚悟を決める。
「……──」
「……、ぅ」
そっと唇に柔らかな感触が触れる。身じろぎも出来ず私はそのまま固まってしまう。
幾秒か経った後、すっと感触が離れていき、私はようやっと目を開く事が出来た。
マーリンはまだ目と鼻の先で私を見つめていて、柔らかな瞳と視線がかち合う。
視線に耐え切れず俯いた私の額に、マーリンがこつりと自らの額を合わせた。
「……、ぜんぜん、ロマンチックじゃない」
寝起きで、パジャマで、寝ぐせ頭のままのファーストキスなんて。
「ごめん。そういうのは、また今度」
悪びれずにさらりと言ってのけるマーリンの背中をそっとつねると、マーリンが「ははっ」と声を上げて笑った。