四章 十二過ぎては……

流石に段々マーリンが大きくなることにも慣れてきたが、部屋から出てきたと思ったら大きくなってたのにはびっくりした。

「……成長したの?」
「そのようだね。今十二歳」

どうよこの話の早さ。こっちから尋ねるまでもなく年齢を答えられた。

「七歳から十二歳かぁ、もう結構大きくなったね。身長もだいぶ近づいてきちゃったなぁ」
「そうだね。この体格差なら色々問題ないと思うよ」
「……ん?」

ちょっと意味が分からなかったが、にこりと微笑むマーリンに私も曖昧に微笑んで返す。問題ないて何だ。
っていうか、いつの間にか凄く綺麗に笑うようになったな。
ここにきてようやく「私の知ってるマーリンの子供版」と言えるような感じになってきた。

「表情豊かになったね?」
「姉さんのおかげかな」
「えー、ほんとに?そうだったら良いなとは思うけど、全然そんな手応え感じなかったよ。成長と共に自然と覚えただけじゃないの?」
「はは、バレた?」
「この野郎……ちょっと期待したのに!」

本当、随分と流暢に軽口を叩くようになったな。
怒ったような声でマーリンを咎めるも、感情豊かになったこと自体は良かったと思う。
繕ってるだけなのかもしれないけど、人は笑っていれば自然と嬉しくなってくるものらしいからね。

いつまでも二階の廊下にたむろしていても仕方がないので、マーリンと話しながら一階へと下っていく。
移動のさなかにマーリンが口を開いた。

「お兄さんは今日も仕事?」
「うん」

……そういえばロマンのことはいつまで経っても「お兄さん」なんだなぁ。
まぁロマンもマーリンに兄さんとかお兄ちゃんとか呼ばれても多分嫌がるだろうけど、ちょっと面白いのでお兄ちゃんと呼んでみてほしい。あとで頼んでみよっかな。

内心悪戯めいたことを考えながらニヤニヤしてリビングのソファに腰掛ける。
するとマーリンが私の真横に腰掛けてにこりとこちらに笑いかけてきた。にこり。私も微笑み返す。
何だかこんなに笑うマーリンが久しぶりすぎて、ちょっとドギマギしてしまう。
十二歳のマーリンは美少年と呼ぶに相応しく、ともすれば美少女にも見える。
ずっと見ていると、何だか身体が熱くなってくるような心地がして、ふいと目を逸らす。
別に変な意味ではない。妙に胸が騒ぐのだ。

謎に高ぶる心臓を押さえつけようと息を吐いたら、マーリンがふと私に問いかけてきた。

「そういえば、姉さんは魔術に興味があるんじゃなかったっけ」
「え?……まぁ、無いと言えば嘘になるけど」

だけど魔術について知りたいと言ったら、ロマンは困った顔をするし、マーリンもキミには向いてないとか言って誤魔化すから、いつからか知ろうとするのを諦めていた。
私の返事にマーリンはにこりと綺麗に微笑んで、軽やかな声で「教えてあげようか」と囁く。

「えっ……い、良いのかな」

マーリンの言葉に戸惑いつつ返す。
マーリンは事も無げに「別に良いんじゃない」と答えると、ソファに背を預けなおしながら言葉を続けた。

「魔術回路はあるんだし、基本的なことなら教えたからって大勢たいせいに影響はないし。寧ろお兄さんは何でそう頑なにキミから魔術を遠ざけようとするのか、そっちの方が不思議だよ」
「危険だからじゃないの?」

私の言葉に、マーリンは小さく首を傾げる。

「何が?別に素人に少し魔術教えたからって、困ることなんてないと思うよ?」
「そうなの……?でも、ロマンは知らない方がいい世界だって言ってたけど」

……と、話の流れでついうっかり言ってしまったけど、今現在魔術の世界に身を置いているであろうマーリンにこんなことを言ったら不快に思わないだろうか?

しまったと思い、慌ててマーリンの様子を見てみると、特に何とも思ってはいなさそうだった。
「ふうん」と気の無い返事をして、「少しくらい良いのに、ねぇ」と軽い調子で答えるマーリンに、私は戸惑ってしまう。

「良い、のかな?」
「良いじゃないか。秘密にしておけばバレやしないさ」
「黙ってやるのはちょっと……」
「何だ。姉さんも怖いのかい?」
「…………そりゃ、散々脅されてきたし」

怖いのかと指摘されて肯定するのも悔しいけど、実際問われてみればその通りで。
ロマンに悪いというのも勿論本音だ。
何なら大人のマーリンだって嫌がるかもしれない。
まぁマーリンのあれは面倒くさかっただけかもしれないけど。

渋る私に、マーリンは眉を下げて「まぁ、最初は痛いしねぇ」と何の気なしに口にする。
えっ?

「痛いの!?」
「最初だけね」

何の最初なのかよく分からないけど、痛いとは知らなかった。
じゃあ子供のマーリンがあんなだったのも、痛い目に遭った結果なのだろうか。
うぅ、可哀想だし、やっぱり怖いなぁ。

「大丈夫。怖くないよ。僕が手伝ってあげるから」

痛いと聞いて思わず眉を寄せてしまっていた私に、マーリンが優しく話しかけてくる。
十二歳の子供に励まされて、なんという情けなさ。

「姉さん……」

隣に座っていたマーリンが、ぐっと私に身を寄せ顔を近づけてくる。

「マーリン……、…………ん、んん?」

驚いて身を引いたら、不思議そうな顔をされた。

「どうして避けるんだい?」
「いやいや、あの、何をしようとしていらっしゃるの?」
「何って、手っ取り早く魔術回路を開こうかと」
「……どうやって?」
「口から魔力を送り込んで、強制的に」
「待って」

口から魔力を送り込むって、それはそのー、あの、つまるところ、接吻するということですか?

額に手を当てて考え込む私に、マーリンがまたまた無遠慮に近づいてきたのでこめかみをひくつかせながらそれを押し戻す。
何かこの態勢大人のマーリンによくされた気がするなぁ!

「どうして止めるんだい。難しくないよ。全部僕に任せてくれれば、キミはちょっと痛いで済むんだから」
「なんか別の意味に聞こえる!」

ぐいぐい迫りながらのほほんと言うマーリンに思わず言ってしまった。
何があったんだ七歳から十二歳までの間に!?
ついこの間まで興味も何もありませんみたいな顔してたくせにいきなりどうした!?

「いやあの、ほっぺにちゅーくらいならいくらでもさせてほしいくらいなんだけど、口と口でっていうのはマーリンにはまだ早いんでないかな!」
「嫌だなぁ。これは魔術的な儀式であって、変な意味なんか無いよ。そんなに構えないでおくれ」

あっけらかんと笑いながらマーリンが言う。

「儀式でも何でもダメなものはダメだよ!別にこれしか方法が無いわけじゃないんでしょ!?」

慌てて押し戻しながら言うものの、その小柄な体躯のどこにそんな力があるのかマーリンはびくともしない。
からからと笑いながらえいっとばかりに私の身体を押し倒し、その上に何の遠慮も無く乗り上げてきた。

「方法が他にも無いわけじゃないけど、これが一番手っ取り早いんだよ。姉さんの負担も軽くなるし、一番有効な方法だから言ってるんだ。別にキスくらい初めてでも無いんだろう?」
「私じゃなくてマーリンが……っていうか通報案件だから!ダメだってば!」

上に乗っかられたまま喚いてみるけど、マーリンは何を考えてるのか分からない顔で私を見下ろしたままで、どいてくれる気配は無い。
困り果ててあわあわしていたら、マーリンがすっと目を細めて口を開いた。

「僕、初めてじゃないけど」
「え、え、えっ……」

……それは……、
……随分おませさん……だね……?

告げられた衝撃の事実に思わず固まると、マーリンがここぞとばかりに顔を寄せてくる。
慌ててわたわたと暴れてマーリンをどかそうと試みるものの、やっぱりびくともしない。
こ、子供相手に雑魚すぎるよ私……!もっと頑張って!!

「お互い初めてじゃないんなら、構わないじゃないか。ねぇ、ほら、姉さん。こっちを見て……」
「……ッ!」

言われて、うっかりマーリンの目を見つめてしまう。
途端に、胸の奥から湧き上がるように、不思議な衝動が私の身体を襲ってきた。

大人のマーリンを見たときも、不思議な感覚はあったけど……これは、そんなものではない。
マーリンに感じていたような、恋心とは違う。

この子のためなら、何もかも投げ捨てても構わないというような、
この人に抱かれたなら、きっと最上の悦びを知るだろうという確信が、
私の頭をどろどろに溶かしてしまいそうな心地がした。

いけない。
ダメだ。

「……!」

目をつむると顔を限界まで逸らして歯を食いしばる。
このまま衝動に身を任せたら、甘美な夢の代わりにとても大きな何かを失いそうな、そんな予感がした。

「……へぇ。なるほどね。そうなんだ」

あまりにも焦る私に興が殺がれたのか、ほどなくしてマーリンが妙な事を言うと急に顔を離した。

恐る恐る目を開けてそっとマーリンを見つめると、まだ胸がチリチリと燃えるような熱を感じたけど、もうあの衝動は襲ってはこなかった。

マーリンは首を傾げて私に問う。

「僕と姉さんって恋人なんだろう?なら構わないだろうに」
「……私、恋人って言ったっけ?」
「言わなくても分かるよ」
「ぐっ……」

そ、そんなに分かりやすかったか……咄嗟だったし誤魔化し方が荒すぎたか。やっぱりマーリンは賢いな。

「こ……恋人なのは大人のマーリンだし。そういうことに興味があるお年頃なのは分かるけど、こういうことは誰彼構わずしちゃダメ!」
「ねーさんのこと愛してるよ、だからしようよ」
「人のこと舐めすぎじゃない!?そんな適当な愛の告白に頷くかバカ野郎!!」
「ダメか~」

あまりにも雑な告白に怒ったら、あははと笑ってマーリンが私の上からやっと降りてくれた。

この……!この男……!
そういうところだぞ!

……はぁ。しかし焦った。
女好きなのは知ってたけど随分とお早いお目覚めなんですね……。

……と思ったけど、よく考えたら十二歳なら興味があること自体はおかしくはないか。ナチュラルに迫ってくるのはおかしいけど。
なんかもう色々通り越して感心してしまった。
きっと学校とかでもモテまくった結果なんだろうなぁ。最近の子供は凄いなまったく。

……あの問答無用でマーリンを好きになってしまいそうな感覚も、マーリンが持って生まれた才能だろうか?
だとしたら私はもしかして、知らないうちにその性質に惹かれてしまった哀れなアリだったりするのだろうか。

……大人のマーリンが、私を好きでいてくれてよかった。
でなければ私の恋は、かなり悲惨な道を辿っていたことだろう。

マーリンがロマンに只管クズ呼ばわりされるのって、そういうところもあるのかな。
あんな衝動抱かせといて、本気になってくれないなんて考えただけでも辛いから。

……ああ、それは本当に、ひどい話だ。

「あのさ……マーリン」
「うん?何だい」

きらきら。マーリンの周囲に花が舞う。光が集う。
天使か、もしくは妖精か。ああ、勿論今のは比喩であって、実際に花が舞ったりマーリンが光ったりしているわけではない、……筈なんだけど、そう見えるくらい、ぐらりと頭が揺らぐような感覚。
ずっと見ていたらおかしくなってしまいそうで少し怖くなった。

大きなため息をひとつ吐くと、態勢を立て直す。
マーリンから目を逸らしながらもう一度ふぅと息を吐いて、横目にマーリンを見ながら口を開いた。

「その、……本当に、ダメだよ。女の子を……人を、そんな風に誑かそうとするのは」
「誑かすなんて人聞きが悪いなぁ。僕はただ、姉さんと仲良くなりたかっただけだよ。ついでに魔力のやり取りが出来れば更にいい」
「ウーンそういうことじゃなくてね、ていうかそれもしかしなくても後者目的だよね?」
「そんなこと無いよ?姉さんに触れたいのは本当だよ」
「ば……ばか言わないで。子供のくせに」
「子供相手にそんな顔するんだ」

ニヤニヤした笑みを浮かべてマーリンが言う。

そんな顔って、別に、変な顔はしていない。いたって真面目な顔をしている筈だ。
……ちょっと顔が熱いのは、否定できないけど。

「とにかく……そんな簡単にキスしちゃダメ、何ていうかマーリンは人を惑わせる素質あるから、調子に乗ってそんなことばっかりやってるといつか痛い目を見るよ」
「そんなにさっきのダメだった?」
「子供相手に恋人気分とか無理だから、もっと健全に遊ぼう。ね、マーリン」

真面目に言い聞かせる私に、マーリンは可愛らしい仕草を作ると明るい声で即答した。

「じゃあお姉ちゃん大好き♡っていう感じでいけばよかったかな、失敗した。次に活かそう」
「次とは!?」

慌てて言うと、マーリンがおかしそうに鼻で笑いながらにんまりと笑う。ぐっ、明らかに舐められている……!

「やめなさい!無邪気な顔して本当に小悪魔だなお前は!」
「知らなかったのかい?僕は悪魔なんだよ」

くすくすと笑みながらマーリンが言う。

……マーリンが本当に悪魔だったら、私はなんて哀れな女なんだ。

でもこうして子供のマーリンが無邪気に笑う様を見ていると、悪魔って言うのは確かにこういう姿をしているのかもしれないとか思ってしまう。

「まぁ、キスはとりあえず置いておいて。魔術回路を開く手伝いくらいは、僕もしてあげられるのは本当だよ。僕としては吝かで無いんだけど」
「……良いよ。痛いの嫌だし、その、何か危なそうな気もするし」

何となく口を突いて出た言い訳に、「そんなこと無いよ」と否定するだろうなぁと思ったのだが、予想に反してマーリンは私の言葉に「ああ」と言いながら頷いた。

「まぁ、失敗したら死ぬ可能性もあるからね。それに上手く魔力を操れなかったりしたら暴走することだってあるし」
「えっ……」

何それ聞いてないんですけど。

さらりと告げられた言葉に固まっていると、マーリンは事も無げに笑いながら「でもそのときはそのときだよ」などと宣った。
いやいや。他人事だと思ってるだろうこの小悪魔。

「……もう魔術使ってみたいなんて二度と言わない……いやそもそも言ってないけど」
「興味はあるんだろう?良かれと思って言ったのになぁ」
「デメリットは一番最初に説明しといてほしい」
「僕がアシストするならとりあえず大丈夫だよ、姉さんは心配性だね」

とりあえずってことはその後危険な可能性もあるということなのでは?思いつつ、突っ込む気力も失せていた。
本当に失敗して、私が死にかけたりしたらどうする気だったんだろう。まだ子供だから無鉄砲なだけかな。
これは「マーリンは賢いから」とか言って好き勝手させてたら危なそうだ。

既に女の子に興味津々……というか、キスは経験済みというのも怖いし。
あの魅惑の眼差しを向けられたら即堕ちも否めないもの。

遊び半分なマーリンに、見知らぬ相手の子に妬くよりも、寧ろちゃんと大事にしてあげてほしいと思ってしまう。

……というか、経験済みなのはキスだけだよね?
そうだと言ってほしいところだけど、聞くのが怖くて流石にそれは聞けなかった。



「マーリンお前!何だよあの部屋は!」

特に何をするでもなくマーリンとテレビを見ていたら、ロマンが突然リビングへと飛び込んできたかと思うと開口一番叫んで言った。

「あの部屋?」
「マーリンの部屋だよ!凄いことになってたんだけど!」
「凄いこと?」

問いながらマーリンに目をやる。
特に何も言わずロマンを横目で見ていたと思ったら、徐に肩をすくませて口を開くところだった。

「勝手に人の部屋に入らないでおくれよ」
「入ってないっていうか入れないだろアレ!」
「どしたの?」

怒っているというより慌てているように見えるロマンに問いかけてみる。
あわあわしながら何度か私とマーリンを交互に見つめて、結局口を閉ざしてしまった。……またそれか。

「自室に工房作っただけじゃないか」
「工房?……えっと、魔術工房?」
「そう」

聞き覚えのある単語だったので問うてみたら、マーリンがこくりと頷いた。
ロマンががっくりと肩を落とす。

「あのな……あそこは寝室であって、そういう用途で使われることは想定してない部屋なんだよ」
「だってあそこが僕の部屋だって姉さんが言うから」
「大人のマーリンだってあそこは寝室として使ってたんだぞ!」
「じゃ、別のどこかに工房があるのかい?」
「あるの?」

思わず私もロマンに尋ねてしまった。

「無いよ!そんなものあって間違って入ったら危ないだろう」
「だから自室に作ったんじゃないか」

マーリンが一切反省した様子無くロマンに言う。

何か言いたげに眉を吊り上げたロマンが、はぁとため息を吐くと「ちょっと来て」と言ってマーリンを連れて行こうとしたので、私はいつものようにそれを見届けようとしたのだが、何となくふと思いついて、今回は呼び留めてしまった。

「待ってよ、どこ行くの?」
「え……」

呼び止められると思っていなかったらしいロマンが驚いた様子で私を見る。

「いつもの内緒話だろう。またぞろあの子は何も知らないからそういう部分を見せるな、とか言うんだろう?」

マーリンがあっさりと白状した。

知ってたけど、やっぱりそういう話をしていたんだ。
しかも「またぞろ」ってことは、まだマーリンが小さかったあのときから、多分ロマンはずっとそういうことを言ってたんだろうな。

「そこまでして隠さなくても。マーリンはまだ子供なんだし、部屋に工房作っちゃったのは流石にびっくりだけど、私もロマンも魔術師じゃないから気を付けてって言えば済む話でしょ?」
「そういう問題じゃないんだよ」
「……じゃ、どういう問題なの」
「……」

まただんまりを決め込むロマンにむっとする。

いつだってそうだ。
危険だから、良くないからって言うけど、どうして危険なのか、何が良くないのかは決して言ってくれない。
魔術に関してもそうだし、私がマーリンについて知ろうとするのも嫌がって、でも決して理由は言わない。

全部私のためにやっていることで、実際魔術に関しては素人には踏み込みづらいところがあったから、ロマンの意思を尊重してはいたけれど。
でもだからっていい加減、そんな子供だましにもならないような言葉で納得出来ると思わないでほしい。

「言えないんだね」
「……言えない。ごめん。でもダメだ」
「何で!」

むかっ腹が立って思わず声を荒げてしまう。

困ったように眉尻を下げるロマンに内心ちょっと気が引けてしまったが、いい加減この私だけ除け者扱いにも嫌気がさしていた。

「いつもいつも危険だなんだって、私だってもう良い大人なんだから理由くらいもっとはっきり言ってくれてもいいじゃない。何で隠すの?何がどう危険なの」
「……言ったろう?魔術っていうのは他人に知られれば知られるほど薄まっていくものなんだよ。知られるほど力が弱まるということは、知るべき人間を限定するってことだ。勿論、魔術師なら誰でも使えるようなものを君が知ったからって、大して影響はないけど……もし万が一、そこからなまえちゃんが知ってはいけない何かに触れてしまうような事故が起きても、ボクには守ってあげられる術がない。だってボクは魔術師じゃないからね」

ロマンが自嘲気味にそう言って、首を振る。
魔術師でないロマンは知っていても問題が無いとでもいうのだろうか。

「でもそれって、ロマンが危険ってことじゃないの?ロマンのことは誰が守るの?」
「ボクは……まぁ、大丈夫だよ。やっているのは恩人に対するちょっとした手伝い程度だし」
「私だって、別に一流の魔術師になりたいなんて言ってないよ。ロマンのお仕事を手伝うのもダメなの?」
「……ダメだよ。ボクはたまたま、彼の研究を知ってしまったから手伝っているけれど、君は違うんだから」
「……」

研究って?たまたま知ってしまって、それで逃げられなくて仕方なく手伝ってるの?やっぱり危ないんじゃないの?

そう思って口を開こうとしたら、ロマンが「それに」と言葉を続けたのでタイミングを逸してしまった。

「君は知らない方がいいけれど、ボクはある程度知っておいた方がいい。どっちも無知ではいざというとき何も出来ないもの。今回のことは勿論、この地の管理もあるし、それに……ボクはなまえちゃんの保護者だから」

つとめて優しく、ロマンはそう言った。

……あぁやっぱり、ロマンにとって私はいつまでも小さい子供のままなんだな。

「……もう、良いよ。……私、部屋に行ってる」

困ったような顔をしたロマンの前を素通りして、二階へ上がると自室に閉じこもる。
背中に「ごめんね」という言葉を聞いたけど、それに対して何も言えなかった。

何がもう良い大人だ。
結局まだまだ私は子供で、ロマンを困らせてばかりいる。

こんな風に拗ねて閉じこもって、それでどうして「そろそろ話してくれてもいい」とか言えるというのか。

でも、反論出来なかった。
魔術について知るのが怖い。

ベッドに突っ伏して深いため息をひとつ。
もやもやした気持ちはまったく晴れる様子もなく、先刻の疑問がぐるぐると頭の中を回る。

まだ小さかった頃、私とロマンがこの家で生活し始めた当初は、ロマンは私の疑問に割と素直に答えてくれた。
あの当時のロマンは、妙にふわふわして何だか浮世離れした感じで、あぁそう、ちょっとだけマーリンに似ていたかもしれない。今は全然違うけど。

その幼い頃のぼんやりした記憶が、私の魔術の知識のすべてだ。
魔術回路、魔術工房、あとそれから、魔術刻印、とか何とか。そのくらい。

聞いても答えてくれなくなったのはいつからだったかな。忘れてしまった。

ぼうっと過去の記憶を思い返していたら、コンコンと部屋の扉をノックする音がした。

「――入ってもいい?」
「!……マーリン?」

まだ声変わりしていないその声は間違いなくマーリンのもので、私は驚きながら身を起こすと「良いよ」と答えた。
がちゃりと扉が開いて、マーリンが部屋へと入ってくる。

扉を閉じて私に近寄ると、ベッド脇に腰掛けてマーリンが私の顔をじっと見た。

「泣いてるかと思った」
「……泣かないよ。あしらわれるのはいつものことだもん」

苦笑して言うと、マーリンに頭を撫でられる。

「うん?慰めてくれてるの?」
「いや。……喜ぶかな?と思って」
「それを慰めようとしてるって言うんじゃないの?」
「じゃあ、そう」

薄く口元に笑みを浮かべて、マーリンが言う。

よく考えたら、私ってばマーリンの前で駄々こねるような真似して、そのうえ拗ねて部屋にこもったりしちゃって、本当に滅茶苦茶大人げなくて恥ずかしい。
子供に子供扱いされて、まったくもってどうしようもないな私は。

「変なとこ見せてごめんね」
「気にしてないとも。魔術について知りたいことがあるなら、僕に聞いてくれれば答えるけど」
「……、いい。ロマンが嫌がることは、あんまりしたくないから」

というのは建前で、本当は怖いだけだ。

「黙ってればいいのに、真面目なんだから」

マーリンが極めて軽い調子で言う。相変わらずだなぁまったく。

「真面目とか、そういうんじゃないよ。ただ嫌なだけ。我ながら子供っぽいと思うんだけど、でもやっぱり、ちょっと、怖い」

知らないでいるのも不安だけど、知ってしまったとき、それを受け入れられるかはもっと不安だ。
神秘と言えば聞こえはいいけど、話に聞く限りでは、魔術があまり真っ当なモノとは思えない。

「こんなだから心配かけちゃうんだろうね」

だけど、だからこそ私も心配なんだけど。
それなのに、自分からは踏み込めない。臆病で卑怯だと自分でも思う。

当時――まだ子供だった私にとって、ロマンに疎まれたり嫌われたりすることはこの世の何より恐ろしかった。
だったら余計なことを言ってしまわないように、初めから知らないでいるのが楽だったのだ。
そうしてそのまま、無知で何も知らない子供として、私はここまで来てしまった。

……思えば、私はマーリンに対してもそうだ。
知って傷つくくらいなら、知らないままでいた方が楽だから、だからきっと私は、マーリンの過去も、年齢も、苗字も、職業も、知らないままで平気だったのだろう。

「大丈夫さ」

マーリンがするりと私の身体に腕を回し、自然な動作で抱き締められる。
もう殆ど体格差が無いのが分かって、ちょっとドキッとしてしまった。あんなに小さかったのに。

「キミは彼を心配性だと言うけど、キミもよっぽど心配性だ。魔術は怖いものなんかじゃないし、悲しい結末になんて僕がさせないよ」
「…………」

さらりと言い切るマーリンに、何だか気が抜けてしまいぽすりと額をマーリンの肩に預ける。
まだ華奢なその肩は、まるで女の子みたいに薄くて、でも少し骨ばっている。
ちょっとだけ懐かしい心地がした。

「生意気言って、まだ子供のくせに」
「子供でも、優秀だからね」
「ほんっとーに生意気だな」
「だって事実だもの。気休めでも慰めでも無く、本当にそうだって僕は言ってるんだ。人間は見えないものを怖がるけど、僕はヒトより目が良くてね」

軽やかに笑いながら可愛げのない台詞を吐くマーリンのちぐはぐさに、何だか色々とバカバカしく思えてきてがっくりと肩から力を抜く。

私を抱き締めるマーリンの身体に腕を回して、その細腰をぎゅうぎゅうと締め付けてやった。いや細すぎるでしょ。女子か。
マーリンのご飯の量もっと増やさなきゃ。

「ねーさん」
「んー」

声変わり前でもやたらに艶やかな声が、冗談めかして私を呼ぶ。
適当に返事しながらマーリンの肩にぶつけていた額を持ち上げると、狙いすましたかのようにマーリンの唇が私の唇を捉えた。

「んっ!?」

驚いて身を引いた私の身体を、マーリンの腕が抱き留める。
やけに楽しそうな微笑を浮かべたまま、マーリンが再び私の唇に口づけた。

「ちょっと……!」
「ふふっ、まーだ」

そう言って何度も私の唇を啄むマーリンの軽やかな声音とは裏腹に、私の身体に回された腕の力は相変わらず強い。
本当に、どこにこんな力があるんだろう。
確かに大人のマーリンも、儚げな見かけとは裏腹に物凄く力持ちではあったけど。

「こら!もう!」

頬や首筋にまで唇が降ってきて、流石にくすぐったくなって咎めたら、やっとマーリンは顔を離した。
悪戯が成功したような顔をして、私の顔を覗き込んでくる。……くそう、可愛い。

「しようよ」

遊びましょ、とでも言うようにマーリンが軽く言う。

「……何を」

嫌な予感がして顔が引きつる。
そんな私の様子を気にすることなく、マーリンは子供らしい無邪気な笑みを浮かべて、当たり前のように答えた。

「セックス」
「…………」

誰だマーリンにそんな知識を植え込んだのは。
私はそんな子に育てた覚えはありませんよ。

「どこでそんなこと覚えたの……」
「産まれたときから、自然と」

「本能で」などと宣うマーリンの頭をぺしりと軽く叩いて、抱き着くマーリンをぐいと引きはがす。
割合素直に離れてくれて内心ほっとしつつ、きっと眉を吊り上げてマーリンを見つめた。

「あのね、マーリン。イギリスの法律はちょっと分からないけど、少なくともこの国では男は十八になるまで結婚出来ないんだよ。その、せ、セックスっていうのは子供が出来ちゃうかもしれない行為で、遊び半分でやって良いことじゃないの」
「平気だよ、子供出来ないようにするから」
「……そういう問題じゃない」

脱力しながらどう言ったものかと考える。
この年で既に女たらしとして覚醒していたとは流石マーリン。別に褒めているわけではない。

うーんと悩む私を暫く見つめていたと思ったら、えいやとばかりに勢いよくマーリンに抱き着かれる。
不意を突かれてあっさりベッドに倒れ込んだ私の上から、マーリンがにっこりと可愛らしい笑みを降らせる。
……あ~、マーリンは本当に可愛いなぁ(現実逃避)。

「まぁまぁ、細かいことは気にしないで。これは必要なことなんだよ。大丈夫、僕こう見えて結構上手いからさ。キミは何も考えず僕に身を委ねれば良い」
「あまりにも手慣れすぎでは」

このやり口、既に百戦錬磨の貫禄がある。
どういうことだ。いや真剣に私は君が心配だぞ。

「ダメダメダメダメ、私子供とそういうことする趣味は無いから」
「確かにまだ育ち切ってないけど、それはそれで楽しめると思うよ?怖がらず一回やってみよう、きっと癖になるから」
「怖いとかじゃなくてね!?」

人を初心で純情な小娘みたいに言わないでほしいな!私はお前の彼女だぞ!?それなりにそれなりのことはしてるんだからね!
……本人に言っても逆効果でしか無さそうなので言わないけど。

「まぁまぁ」などと言いながら、マーリンは嬉々として私の服を脱がしにかかってきた。ちょ、待って本当にヤバイ。

「わああああ!ダメだってば!」
「もー、素直じゃないなぁ」

言いながらマーリンが私に押し付けるように口付ける。
無理矢理こじ開けられた口に舌がねじ込まれて、驚きのあまり声を上げてしまった。

「はぅっ!?」
「ん、……」

ぬるりと口内をマーリンの舌が這って、否応なしにぞくぞくとした感覚を呼び起こされる。
まだ子供のくせに、やけに繊細に、時に大胆に口内を荒らされ、思わず息が上がった。……上手い。

「ま、こら……ほんと、ダメって……」
「気持ちいいんだろう?僕も、気持ちいいよ」

っお、おまわりさーん!!いやダメだ、これ捕まるの私の方だ。
焦って変なことばっかり考えてしまうが、本気でどうにかしないとこのまま済し崩しに押されてしまいかねない。

「キミは……僕の前だと、すごーく、甘いよね」
「な、なにが……!?」

あどけない顔に色を乗せてマーリンが言う。
甘いって、態度が?そりゃだって、小さいマーリンが可愛いからつい甘やかしちゃってたかもしれないけど!

「ねぇ」
「う……っ!」

目と鼻の先で私の目を真っ直ぐ見つめながら、マーリンが吐息交じりの声を漏らす。

ああ、あの感覚だ。
頭がぐわんと揺らいで、マーリン以外の何もかもが目に入らなくなってしまう。
ちりちりと頭の奥が焦げるような心地がする。

マーリンの唇が再び近づいて、私はそれを拒めなかった。
薄く開いた口の隙間から小さな舌が侵入して、再び私の口内をくすぐる。

「っは、ぅ」
「んっ……」

ぞくぞくとお腹の底から立ち上る熱が、更に私の思考力を奪っていく。
まずい。このままでは本当に、一線を越えてしまいかねない。

とろけていく理性の紐を手繰り寄せ、熱を逃がすように息を漏らしながら、必死になってマーリンを拒んだ。

「待っ……て、ほんとに、ダメ……」
「まんざらでもないくせに」

必死に吐き出した言葉は、情けなくなるほど弱々しくて、案の定あっさりと流されてしまう。

「なく……ない、本当ダメ……ひゃっ!?」

するりと服の隙間に手を差し込まれ、思わず肩が跳ねた。
ああ、やばい、まずい。どうしよう。

「えーと……何だっけ、あぁそう。好きだよ」
「なん、ぁ」
「ふふ、あまい」
「い……や、だめ、まーりん……っ、だっ……ぁ、た、たすけてええええええっ!!」
「こらーーーーッ!!」

バターン!と扉が開いて、血相を変えたロマンが飛び込んできた。
そしてベッドの上で押し倒されて涙目の私を見ると、更に青ざめてわなわなと震えだす。

「何をしてるんだお前はーーーーっ!?」
「こういうときって聞こえない・知らないふりをするのがマナーだろう?お姉さんのことは僕に任せてって言ったのに」
「今ボクが行ったら逆効果になると思って不本意ながらお前に頼んだんだよ!失敗だった……やっぱりマーリンはマーリンだった……!」

ズカズカと私たちに近寄ると、ロマンがマーリンを私から引きはがす。
ちぇ、と口を尖らせるマーリンの態度はまったくもって子供のそれで、先刻までのやけに艶めいた顔は鳴りを潜めていた。

「あーあ……じゃあせめて一緒に寝てもいいかい?」
「ダメに決まってるだろう!」
「僕は姉さんに聞いてるんだけど。ね、姉さん。ダメ?」
「……だ、ダメ」

さっきまでの態度が嘘みたいに、マーリンは可愛らしく私に尋ねる。
まだ余韻が抜けていない私は、そんな表情にすらどきりと胸が高鳴って、上ずった声で首を横に振った。

「えー。本当にダメ……?」
「うっ……!」
「今さっきまで貞操の危機だったのにそのチョロさは本当にどうかと思うよ!気をしっかり!」

ロマンに励まされ、私はふるふると顔を横に振ると潤んだ瞳でおねだりするマーリンを睨みつける。
布団を手に取るとそれをマーリンにばさりと被せて、無理矢理マーリンをベッドに押し付けた。

「子供は!寝る時間です!」
「わぷ、何するんだい!」
「悪い子にはお仕置きだ!ほら今日はここで寝ていいから、もう寝なさい!」
「え、それって一緒に寝てくれるってこと?」
「私は下で寝る」
「えー」

不満げなマーリンを無視して立ち上がると、「いい子で寝るんだよ」と言い残してロマンと共に部屋を出る。
リビングまで降りると、ソファに座ってぐったりと背中を預けた。

「……はぁ、びっくりした……」
「それはボクのセリフだよ……」

同じく少し離れたところでぐったりとしたロマンが言葉を返す。

……そういえば私とロマンはちょっと気まずいことになっていたような気がするのだが、マーリンのせい……いや、おかげ……?で、何かすっかりどうでもよくなってしまった。
結果的にはマーリンの「励まし」は成功したと言える。

全部狙ってた……わけでは流石に無いかな。
どこまでがマーリンの思惑通りだったのかはよく分からないが、結局のところ最後は落ち着くところに落ち着いてしまうんだから、ムカつく。

何ていうか、そういうところがずるい男なんだよなぁ。

「ロマン」
「んー?」
「さっきはごめんね」
「……ボクこそ、ごめんよ。心配させてることは分かってるんだけど、でも……」
「うん。大丈夫、分かってるよ」

心配や不安が無くなったわけではないけれど。結局私は、自分だけ分からないのが気に食わなくて拗ねていただけだ。謝るのは私の方。

……「悲しい結末になんてさせない」か。
マーリンは軽い気持ちで言ったんだろうけど、敵わないな、って思った。
ほんと、女たらし。

いつまでも、知らないままでいていいとはやっぱり思えない。
一緒にいたいのなら猶更、ロマンのこともマーリンのことも、ちゃんと知らなくちゃいけないと思う。

私は二人のことが大好きで、多分二人とも、私のことも好きでいてくれている。
なのに私だけが、二人ともから守られて、ずっとゆりかごの中にいるみたい。
その庇護が心地よくて、ずっと浸っていたかったけど、そろそろ私も成長しなくちゃいけないと、今回のことで強く思った。
子供になったのはマーリンの方なのに、そのせいで自分が全く成長していないことを思い知らされてしまった。

元々マーリンの方が年上で、だからリードされるのも、大事にされるのも、当たり前に受け取ってしまっていたかもしれない。
ロマンもそう。年上だから、お兄ちゃんだからって、随分甘えてしまっていた。

……そう言ったら、きっと二人とも「それで良いんだよ」って言うんだろうな。
ほんと二人とも、私を甘やかすんだから。

ロマンとマーリンがお互いを嫌っている理由すら話してくれないくらいだから前途は多難だけど。
でも知ったからって、二人を嫌いになんか絶対ならないし、もう話しても大丈夫って思われるように、ちゃんと頑張らなくちゃ。

「そうだ」
「うん?」

徐に話し出すロマンに、思考を止めて返事する。

「明日もボクは仕事でいないけど。マーリンに絶対に気を許しちゃダメだからね!」
「……う、うん」

ね!と念押しするロマンに、大丈夫と強めに返す。
……そうだった。明日も二人きりだった。

正直に言って自信がない。
マーリンをずっと見ていたら、何故だか理性がたわんでしまう。
大人のマーリンが恋しすぎて、欲求不満なのだろうか?

……出来るだけ顔を見ないようにするしかない。
目に入ってしまったら、もう止まれなくなってしまうかもしれないから。

いくら相手がマーリンだからって、子供に惑わされるなんて冗談にもならない。

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