夢違いの獏の札8

「なまえがかわいい」
「いきなり何だよ」

とある日のお昼どき、(なまえの)自宅。
肝心のなまえがいないどころか、ロマン君しかいないこの家に閉じこもっている理由も無いのだが、あいにく今日は雨の予報で、外出日和とは言い難い。
せっかくなので、普段誰にも聞いてもらえない話をしようと口を開いたら返ってきたのがこの返事。まったくもってひどいな。そこは間髪入れずに同意するところだろう。だからキミはモテないんだ。

「キミも少しならわかるだろうなまえの可愛さが。私に比べたら全然理解してないけど」
「ぽっと出のくせに何だそのマウンティングは……」

ぽっと出とは心外だ。こう見えても私のなまえ片想い歴は1500年だと言うのに。とは言えなまえのことが好きなのだと気づいたのはほんの数年前だから、あまり大手を振って言えることでも無いのだけれど。
ソファに座って食後のコーヒーを飲んでいたロマン君の隣に腰掛けると、ロマン君は露骨に嫌そうな、というか怪訝な顔をして少しだけ私から身を引いた。返す返すも失礼だなキミは。

「なまえの話がしたいんだよ」
「それはまあ、ボクもお前とはなまえちゃんについて話さなきゃとは思ってたけども」
「何だ、じゃあちょうどいいね。なまえの話をするとしよう」

そう言うとロマン君が身構えたのが分かった。ごくりと生唾を飲み込むのを横目で見ながら、私も真面目な顔をして口を開く。

「なまえの可愛いところなんだけど」
「待て。話ってそういう話なのか?」
「最初に言ったじゃないか」

なまえが可愛いって。
そう言うと、ロマン君はがっくりと肩を落として深いため息を吐いた。

「必要あるのかそれ……」
「必要だよ!誰も聞いてくれないから我慢していたけど、誰かに話したくて仕方ないくらいなまえが可愛くて仕方ないんだ。キミならこれがどれほどの奇跡か分かるだろう!?この僕が!恋人が可愛すぎてのろけずにはいられないとか!」
「ボクに嫌がらせしたいだけじゃないのか?」
「何でわざわざキミに構いに行かなきゃいけないんだ。そんな暇があるならなまえで遊んでいる」
「なまえちゃんで遊ぶな!!」
「間違えた、なまえと遊んでいる」

うっかりうっかり。
なまえで遊ぶのも大好きだけど、なまえと遊びたいのも本当だ。

「でもほら、今なまえは仕事中だし。こんな話はキミにしか出来ないし。この街に私の知り合いは女の子しかいないからね」
「諸々の方向に最低だなお前は……」
「なまえへの想いだけは誠実だとも!」

勢い込んでそう言うも、ロマン君は胡散臭そうな目をやめなかった。非常に遺憾だ。

「どの口が誠実とか言うんだ。本当に誠実なやつは恋人の兄を邪険に扱ったりしない」
「だってキミに取り入るだけ無駄じゃないか。どれだけ私が清廉潔白な人間として振る舞っても、一切信じないだろ?」
「そうだな、ボクがお前を見直すとしたらそれはアヴァロンに帰ったときかな」
「やなこった」

今はね。
帰るならなまえも連れて行くに決まっている。今はまだ、それは出来ないのだけど。

「だいたいキミに見直されても別に嬉しくとも何ともないからね。なまえが私に惚れ直してくれるんなら何でもするけれども」
「何でもなんて言うやつが一番信用ならないよ」
「そりゃあ私の目的にそぐわないことはしないけど、なまえが喜ぶことは何だってしてあげたいと思ってるよ?実際なまえの我儘なんて可愛いものだし……今朝もいってきますのちゅーを強請られて可愛すぎて仕事に行かせたくなかった……は~僕の恋人ホント最高」
「んなっ、いつの間にそんな事を……!」

朝の出来事を思い出しながらほうとため息をつく。ロマン君が引きつった顔で見てくるのをニヤニヤと見返しながら「キミ割と節穴だからね」と告げると、愕然とした様子でロマン君は口をあんぐりと開けて固まった。その様子を見つめながら追い打ちをかける。

「結構いろんなタイミングでイチャイチャしてるよ。なまえは恥ずかしがりだからあまり表だって出来ないのはつまらないけど」
「あぁあああ、クソッ!ボクのなまえちゃんがクソ夢魔野郎に染まっていく!!」
「誰がキミのなまえだ!僕のだよ!!」

聞き捨てならない台詞が聞こえて即座に反論する。キミが兄代わりであるのは認めるし、ここまでなまえを育ててくれたことには感謝してもいいが、なまえが僕のものであるということは譲れない。
けれどもその台詞にロマン君は眉を吊り上がらせて私の言葉を更に否定した。

「お前になんかやるもんか!!なまえちゃんはずっとボクと暮らせばいいんだ!」
「本性を現したな変態ロリシスコン!」
「だっ、誰がロリコンだ!なまえちゃんはもう成人してるだろ!それにただボクは兄代わりとして心配しているだけで……!」

シスコンは否定しないあたり真正だなぁ。
まぁ、彼がなまえを大事に思っていることはよくわかっている。じゃなければロンドンから飛んで帰ってきたりしていないだろうから。流石に私もまさか急に帰ってくるとは思っていなかったから、手を回す暇が無かったくらいだ。

ロマン君がなまえに対して恋愛感情を一切抱いていないことも分かっている。間違ってもそんなことにならないよう、そっちの方は慎重に対処してきたのだし。

そうは言っても、それは以前までの話。
なまえとロマン君が離れていた期間は2年。
その間になまえは、それなりに変わった。女性として魅力的に成長した。
先日のデート姿を見て、彼もそれを実感した筈だ。

「なまえ、すごく綺麗になったろう」
「な、なんだよ急に」
「女として意識してもおかしくないくらいには、変わったろう?」
「……………………ま、まぁ、綺麗になったとは思うけど」

もごもごと口ごもりながらも、ロマン君は正直にそう言った。
可愛い妹が綺麗になった。その事実を認めないわけにはいかないが、意識するほど、という文言は受け入れられない。そんなところだろう。

「私のおかげだ、存分に褒めていいよ」

胸に手をやり、ふふんと鼻を鳴らしながら自慢げに言ってみせると、ロマン君が「余計なことを……」と憎々しげに呟いた。

「何だい?なまえが可愛くなって困る事でも?」
「あるよ、お前みたいなのに目を付けられたら困る!なまえちゃんにはもっと外見で判断しない心根の綺麗な男と添い遂げてほしいんだボクは」
「何童貞みたいなこと言ってるんだい。外見の美しさは重要だよ。まぁ、私は外見が美しいからなまえを好きになったわけじゃないけど」

人間たちの美醜に対してある程度指針はあるけれど、個性の違いとしか私にはうつらない。だからロマン君の言う「外見で判断しない」に関しては、私ほど適う者もそういないだろう。ああでも、外見から心理を察する能力にもそれなりに自負があるから、ある意味では誰よりも見た目で判断している部分もあるけれど。後半部分にくっついた心根の綺麗な、は、空っぽという意味では新品のように美しいと言い張れなくもないけど、正直今はなまえへの情でどろどろに溶けてしまっているから、大きな顔は出来ないか。

そもそも私は、なまえの外見も大好きだ。顔も身体も声も心も、ぜんぶ、好きだ。大好きななまえが着飾る姿は美しいと思う。構図、台座、額装、包装。美しいものが美しくあることが、快いと思う。そう、だから外見を装うことは、重要だ。

そうして美しく着飾ったなまえを見て、ああ、やはり彼女は美しいと、そう思う。

そうしてこうも思うのだ。
なまえがなまえであるならば、彼女はそれだけで美しい。

そうした結論に至り、浮かんだ思考のすべてを捨てる。
意味なんて無い。理由は要らない。
なまえが欲しい。だからこそ、彼女を美しく思うのだ。

脳裏に着飾ったデートしたときのなまえを描きながら、同時に眼裏まなうらで今のなまえを視る。うっとりとした息が漏れた。

「……前から思ってたんだが、なまえちゃんのどこがそんなにお前のお気に召したんだ?」

最初こそ、何か企んでいるのではと考えていたらしいロマン君だが、ようやく私がなまえに本気であることが少しは伝わったらしい。訝りながらもそう尋ねたロマン君に、さてどう答えようかとしばし逡巡する間に、重ねてロマン君が尋ねてきた。

「アーサー王にでも似てたのか?」
「は?……あっはははは!似てないよ、まったく似てない。なまえにアーサーと同じところなど何一つない!いやぁ面白いこと言うなぁロマン君は」
「何も面白くない。じゃ、何をそんなに気に入ってるんだよ」

予想外の質問、というより、考えてもなかった事を言われて、私は珍しく心底で笑った。強いて言えば性別は同じだが、ロマン君がそれを知る由は無いし、知らせる気も特にない。もう一つ付け加えるなら、私に恋という言葉を使わせたという意味では同じだが、その性質は二人でまったく異なっていた。なまえへの執着は――そう、執着。なまえへの恋情は、執着というのが一番しっくりくる。手放したくない、と思ったのは――なまえだけなのだ。

「何……と言われてもね。好きだと気づいたときには、もう沈んでいたとしか。あの声も、瞳も、心のかたちも、何もかもが僕にはたまらない色をしていた」
「色?」
「色。なまえを通して触れるものすべてが美しく、美味しいと感じるんだ」
「やっぱり中身が好きとかそういうんじゃないんだな。なまえちゃんは普通の女の子だから、まぁ当たり前なんだけど」

そうだね。その通りだ。彼女の内面はどこまでも人間的で、普遍的だ。ヒトとの関わりの中で、彼女のような人間に一度も会わなかったなんてことはない。いくらでも見かけたというほどに没個性でも無いけれど、私にとっては誤差のうち。そう考えていたから、私は彼女の「恋愛感情」にしか興味を抱いていなかったのだけど。

どうしてだろう。今は唯一無二なのだと、確信を持って言える。欲しくて欲しくて、好きで好きで仕方がない。
どこまでも誰よりも何よりも、魅力的だと本気で思う。
触れて、抱き寄せて、口づけて、繋がって。
それを幸福と感じるのは、愛しているから以外にどんな理由があると言うのだろう。

ただ、そうだな。
たとえばその魅力が、私にしか分からないものだったなら――と、そう思わなくもない。

彼女の魅力もまた普遍であり、私だけが魅入られているわけではないのが、少しばかり困りものだ。

「優しくて可愛いから、結構有象無象の男たちにもなまえはモテるよ。キミが知らないだけで、たまに告白されたりしているよ?今は私という恋人がいるから、周囲も沈黙しているけれど」
「え!?」
「そんなただの可愛い女の子がたまらなく好きだから、不思議でこそばゆいんだ」

心からの笑みがまた零れる。なまえの話をしていると、胸がむずむずして顔が勝手に笑みを形作る。

欲しかったのは彼女の恋情だけだと思っていたのに。
いつの間にかすっかりとらわれてしまって、私などよりよほど、なまえは魔性だ。

「…………そんなにモテるのにどうしてお前なんかに……」

ロマン君が果てしなく不服だ、という顔をして呟く。
それは勿論、私が手練手管を尽くして振り向かせた結果なのだが、まずもってそれ以前に、一つの真理がある。

「顔が良いからね」

端的に答えたら、ロマン君は重く長いため息を吐いてうなだれた。

「なまえちゃん面食いなところ確かにある……」
「側にキミという男がいたのも大きいだろうね。キミそこそこ整ってるし。私には到底及ばないけど」
「いちいちマウントを取るな」

褒めているのに、注文の多い男だなぁ。
そう言われると、もっと勝ち誇りたくなるじゃないか。

「絶対私の方がキミよりなまえに愛されてる」

そう言うと、ロマン君の目がくわ!とつり上がる。
きっ!と私を睨みつけると、彼は大きく口を開けた。

「ボクとなまえちゃんの月日がお前との数ヶ月に負けるわけないだろ!」
「その月日の分なまえの気持ちを踏みにじってきた男と、大事に守っている私とでは勝負は見えているよ」
「踏みにじったって何だよ!ボクはそんなことしてない」

はぁ~ホントになまえは何でこんな朴念仁に惚れていたんだろう?まったくもって分からない。ちょっと顔が良くてふわふわしてるからって。なまえってば顔の良いふわふわ男が趣味なんだろうか?私もふわふわしているしね。髪とか。

「はぁ……、なまえに見る目がないというのは同意してしまうな」

嫌味のつもりで言った言葉だが、無自覚朴念仁に通じるはずも無く、彼は「分かってるなら自分を省みろ非人間」とつっけんどんに言い放った。私は私が非人間であることを、一瞬たりとも忘れたことなど無いのだが。

「どうしたってそのクソさは矯正不可能なんだから、なまえちゃんのために身を引け」
「その性格がクソな非人間が人の為って身を引くと思うのかい?」

至極当然のことを言ったのに、私の返事を聞くとロマン君は声を荒げた。

「愛してるんだろ!?ならなまえちゃんを思って身を引け!」
「い、や、だ、ね」

私の返答にムキー!と怒りを露わにするロマン君に、ちょっとだけその怒り方はなまえに似ているなとぼんやり思う。似ているところがあったからと言って、彼という人物に思うところは無いのだけど。なまえの怒る姿はあんなに愛らしいと思うのに。
欲しいと思うのはなまえだけで、なまえでなければどんなに近くてもまるで違う。どうしてそうなのか考えてみたこともあるけれど、理由は見いだせず、けれど衝動は確かで、それを恋と呼んでみた。

そうだ。私はなまえを、愛している。

「なまえを手に入れる為にどれだけ身を粉にしてきたと思ってるんだ。私はなまえを大事にしたいけど、それはなまえの為じゃない。私がなまえの事を好きだから結果として大事にしたいだけだ。すべては僕が、僕の望みを叶えるためにやっている」

私が答えると、ロマン君は急速に勢いを失して深くうなだれた。

「……やっぱりお前とは相容れない」
「そうか、残念だよ。でも人間だって結局はそうだと思うんだけどね。やりたい事しかやらないのが、人間だろう?」

私の言葉に、ロマン君は眉を寄せてうなだれていた顔を上げた。「人間は人間の社会の中で、折り合いをつけながらやりたい事をやっているんだ」と、真剣な口調で答える。

「お前がやりたい事をやりたいようにやったら、被害の規模が尋常じゃないからな。お前は……異物だよ」

言いにくそうに言葉を切らせ、それでもはっきりとロマン君は言った。
元千里眼ホルダーとして複雑な感情を抱いているのだろう。彼のそういった部分には興味が無いわけでもない。
私は、彼のように「人間になりたい」などとは、ちっとも思わないのだけど。

それでも私はなまえが大事だから、きちんと「人間の社会」に迎合するよう、努力はしている。

「これでもかなり気を使っているのになぁ……」
「どっちにしろ、なまえちゃんとは合わないさ」
「……それは……分かっているよ」

冷たく言い捨てられた言葉に同意を示すと、ロマン君が目を見開いた。

恋は盲目と言ったって、そこに目を瞑ったりしないさ。

さっき言ったように、私はなまえを手に入れるために身を粉にして、努力を積み上げてきた。
アヴァロンにいる間も、出てからも。

私は夢魔だから、これと決めた主人に合わせること自体は苦ではない。
なまえの価値観を知ることは、むしろ喜ばしいことだった。

けれど――そうしてなまえを知るごとに、決して相容れぬ精神性も浮き彫りになっていく。
なまえを知ることに歓喜する一方で、私の夢魔としての機構はただ冷淡にその人格をなぞり、吸収していく。
そうして最適解を導き出し、なまえに近づき、彼女の気を引いた。

私は非人間だ。
目的の為なら、なまえ自身の心を多少曲げることも厭わない。
その恋心を貪る為の努力も、非道も、私は躊躇わない。

傷つけたくないのは、そうして嫌われては困るからだ。なまえには私を好きでいてもらわねばならない。
大事にしたいのは、もっともっと私に沈んでほしいからだ。恋という感情を、好きなだけ貪る為に。

「好きだから好きになってほしい」なんて、そんな感情を私は知らない。

「――それでも、なまえの為にヒトのふりをするのは、むしろ楽しい。だからこうして、人間になったキミと益体の無い会話だってしてみせてるんだ。好きな人の惚気話なんて、人間相手にしか出来ないだろ?」

笑ってそう言えば、ロマン君はまたしても眉に皺を寄せて難しい顔をした。
返答に悩んでいるらしいロマン君が口を開く前に、私はソファから立ち上がると外出の支度を始める。

「出掛けるのか?」
「なまえってば傘を持たずに行ってしまったからね。迎えに行くよ」
「……帰り道で妙な事するなよ」
「おや、行かせてくれるんだね」

止められても行くけど。と思いながら言うと、「止めても行くだろ」と答えられる。物分かりが良くて何よりだよ。

「実際、なまえちゃんは危なっかしいから、お前が守るっていうんならこれほど頼りになるやつもいないだろうからな……」
「そんな憎々しげに呟かなくても。もちろん何からも守ってみせるとも」

玄関に出て靴を履く。私の様子を背後から見守りながら、ロマン君が躊躇いがちに、かつてと同じ質問を繰り返した。

「……なぁ。何でお前は、なまえちゃんを知ってるんだ?どうして、好きになった?」

立ち上がり、差し渡しの一番大きな傘を一つだけ持つと、扉を開きながらロマン君を振り返る。

「もうすぐ分かるよ」

雨がざぁざぁと降り注ぐ音が響く中、かつてとは違う答えを、うっすらと笑みながら答える。
返答を待たないまま扉を閉め、傘を差す。
何だか楽しくなって、鼻歌を歌いながら、私は愛しい彼女の元へと歩き出した。

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