花園は夢の中

キミに私は必要が無く、私にもキミは必要が無い――。

そう言って私はカルデアを後にした。
勿論その後に訪れる危機についても承知していたが、彼女の悪運の強さなら何とでもなるだろうと考えていた。
それに伴う人的被害などは私にとってはどうでもいいことで、なまえさえ無事ならどんな多大な被害も私にとっては些事でしか無い。

勿論それは、彼女が大切だから――などという理由では無く、人理の為に彼女が必要だったからで、犠牲になってもらったという意味では他の人間と何も変わらない。なまえの幸せを願うと謳いながら、結局私はハッピーエンドに彩られた世界をこそ望んでいる。
その世界にキミがいてくれたらどんなに良いだろうか、そう思いはしても、それはただ、望んだ世界にキミがいるという絵を待ち望んでいるに過ぎない。まさに絵空事、というやつだ。

当分出番は先になるだろう、そう考えていたのはつい先日までのこと。
まったく彼女は良くも悪くも私の想像を超えてくるのだから、心臓に悪いことこの上無い。いや本当に。

「心臓に悪い、なんて思う日が来るとはね。あんまり嬉しい驚きじゃ無いけど」
「なんのこと?」

無邪気に花冠を編みながら、彼女は私の言葉に笑いかけて言った。キミのことだよ、と言うと、不思議そうに首を傾げられる。

「わたし、いけないことをした?」
「うーん、そうだねぇ。キミは何も悪くないのだけど。人で無いものの扱いには気を付けなければいけないと、もっときちんと教えておくべきだったよ。こんなことになるなんてね」
「こんな?」

尚も不思議そうな顔で彼女が鸚鵡返しに問い返す。
こんな、と言われても、今の彼女には自身の状況など把握出来る筈も無いのだから、当然の反応だ。

ここは彼女の夢の中。
そしてその夢は今、私によって保たれている。

夢の最奥に殆ど残留思念に近い彼女の意識を解放し、楽園アヴァロンを模した空間を作り、何とかその存在を留めおいている。

「夢の中の夢、底へと続く階層、天へのきざはし……。キミをこんな場所に連れて来たくは無かったのだけどねぇ」
「きれいだよ。だめなの?」
「綺麗なのは僕がそうしているからだよ」

頭を撫でてやりながら優しく語り掛ける。

この場所が美しいのは、殻のみを残し核を失った彼女ではどんな世界も再現不可能だったから、私が代わりの世界を用意した為に過ぎない。

「夢にはたくさんの可能性があり、情報を持つ。
だからこそ、こういう場所は繋がりやすい・・・・・・。精神にどんな影響を及ぼすのか計り知れない。……でも今のキミには何も無い。だから今回は特別だ」
「なにも、ない?」
「そう。ねぇ、人格を失い本質のみとなった人間は、果たしてその人物であると言えるのかな」
「……?わたしはわたし。でしょ?」
「うん。そうだね。誰かに成り代わられた、キミそっくりの何かよりも、キミという殻の方が大事だったから、こうして逃げ出してきたのだし?」
「にげてるの?」
「そうだよ。だからキミはここから出てはダメ」
「ふぅん」

彼女が興味無さげに呟く。私は苦笑する。

なまえという存在が失われてしまったことを思い知るたび、私は得体の知れない喪失感に苦しさを覚える。
ここにいる彼女は、やはり殻でしか無い。
なまえ自身は、もういない。

それは、誰も気づかないうちに浸食していた。

なまえの内側に潜み、その心を取り込み、なまえ自身へと成り代わる。彼女に取り憑いたのは、そういった性質のものだった。

取り込んだ心を自分のモノとしてなまえ自身に成り代わるのだから、外からは何一つ変わったようには見えない。
だけどそれは決定的に違うものなのだ。少なくとも、私にとっては。

なまえの夢が突如喪われて――私は取り乱した。

取り乱して、咄嗟に残された彼女の心の殻と呼べるモノ――夢の容れ物、そう呼ぶべきものをなまえ自身から切り離し、この場所に固定した。

今ここにいる彼女は、その容れ物自身を擬人化したものだと言える。
いわば生まれたばかりの無垢な赤ん坊と同様およそ人格と呼べるものは無く、あるのは魂の本質を映した殻だけだ。
だから彼女には現状を理解することも出来ないし、自分が何者なのかを思考するような情緒すら、もう存在しない。
ただここに在って、いつも笑っている。

なまえの心を取り込んだ何かは、私にとってなまえでは無い。
では心を失ったこの少女は、私にとって何なのだろうか。

「キミは自分を幸せだと思う?」

ごろりとその場に寝転がり、彼女を見上げて尋ねてみる。
私の真似をしたくなったのか、編みかけの花冠をその場に置いて、彼女もまた私の隣に寝転んだ。
嬉しそうな顔をして、私を見つめる。

「たのしいのがしあわせなら、わたしはいますごくしあわせ」
「……そう。僕といるのは、楽しい?」
「うん!」

無邪気な顔で笑いながら、彼女は私に抱き付いた。優しく抱き留めてその頭を撫でてやる。
えへへとはにかんだような笑みを漏らす姿は、私の知っている少女と寸分違わない。

「泣かせてばかりいたのにね」
「え?」

小声で囁いたその声は耳に届かなかったようで、問いかける彼女に笑い返し、誤魔化すように彼女の頭を抱え込むと胸に押し付けた。
特に気にしたふうも無く、彼女はくすくすと楽しそうに笑った。

――かつて私は、なまえに言った。

「私にキミは必要無い。だけどキミには私が必要だ」

嘘だ。

必要だったのはそのときだけで、それは私で無くとも良かった。
だから最後の別れのときに、改めてこう言った。

「キミに私は必要が無く、私にもキミは必要が無い」

私がそう言ったときの、なまえの顔をよく覚えている。――苦い思い出の一つとして。

傷つけることも泣かせることも分かっていたし、最後まで悲しい顔をさせたままでお別れなんて、私だってしたくはなかった。
だけどもう、笑って「楽しかった、ありがとう」なんて別れが不可能なことはよくよく理解していたし、なまえには私との決別が必要だと、そう思ったから、私は最後にそう言った。

――それでも彼女は、最後にありがとうと言った。

本当は、きっと言いたいことが他にあったろうに、最後の最後で強がって。
……いいや。なまえは強い。私はそれを知っている。

私が口にした言葉は、嘘でも欺瞞でも無い。今となっては、私は本当に不要になってしまった。

なまえは私が思っていた通りの、いや、思っていた以上の強さと眩しさで、過酷な旅を乗り越えていった。
要らなくなった私をいつまで彼女が想い続けていられるのか、正直に言うとあまり期待は出来ないと思う。

僕にとってなまえは不要で、
なまえにも僕は必要無い。

――必要が無い、のに。

「僕もね。きっと幸せなんだと思う」
「マーリンも?」
「そう。どうしてかな……」
「どうしてかなぁ」

楽しそうに、彼女が同じ言葉を繰り返した。

――どうして。

「――キミと二人きりでいるのは、どうしてこんなに心地がいいんだろうね」
「わたしじゃないひとはちがうの?」
「……全然、違う。キミだけ何故か――」

――欲しい、と思った。
キミだけを。

要らないものを欲しいと思い、共にいることを心地よく感じる。
その理由をどんなに探っても、はっきりとした答えは見つからなかった。

なまえを美しいと感じる私がいる。

私は美しいものが好きだ。だからなまえを好いているのかもしれない。
だけどもう私が美しいと思ったなまえ自身はいないのに、それでもこうしている時間を心地よく思っている。不思議だった。

何一つ知らずに、私を見上げてくる腕の中の少女の髪を梳く。
気持ちよさげに目を閉じられて、たまらずその瞼にキスをした。くすぐったそうに彼女が笑う。
そんな愛らしい反応に胸の内がむずむずと疼いて、私も自然と笑っていた。

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