終章 夢の名残
花が咲いている。
見渡す限り一面に、花が咲いている。
ここは、確か以前マーリンと来た場所だ。
いつどうして来たのだったか、さっぱり思い出せないけど、そこで私はマーリンと――
「なまえ」
ひどく曖昧な記憶を思い返していたら、名を呼ばれて振り返る。
ああ、確か以前にも、私は名を呼ばれて振り返ったのだった。
「マーリン……」
「おいで」
呼ばれて、ふらりとそちらへ歩み寄る。
マーリンは手を伸ばすと、私の腕を掴んで自身の胸元へと押し込んだ。耳元で名を呼ばれる。
「なまえ……」
「……まー、りん」
懐かしい気持ちになって、私はぎゅうとマーリンのローブの裾を握って額を胸板へと擦り付けた。
マーリンが無言で私を抱き締める。
「泣かないで」
「……、別に、泣いてないけど」
「うん」
答えるも、マーリンは依然泣くなと言うように、私の頭を優しく撫でてきた。
そういうことをされると、そんなつもりは無かったのに泣いてしまいそうになる。
「ごめんね」
そっと顔を上げると、マーリンが私の目じりに指を添えながら言う。
まだ私は泣いていないのに、まるで涙を拭うような行動に、じわりと涙腺が熱を持った。
「たくさんひどいことを言って、ごめん」
マーリンが、もう一度謝罪の言葉を口にする。
「……うそじゃ、ないよね?マーリン、は、わたしの、……わたしの、こと」
必死に涙を堪えながら問いかける。マーリンは苦く笑うと、私が全て言い切らないうちに頷いて言った。
「嘘じゃない。キミが好きだよ」
その言葉には、しっかりと熱がこもっているように感じた。
ぼろりと涙が零れ落ちる。
「っう、まー、……っ」
「ごめん、ごめんね。なまえが好きだよ、本当に」
言いながらマーリンが、私の目じりに口づけた。
そうして涙を掬い上げると、今度は顔中にキスの雨を降らせてくる。
「そちらの僕はまだ未熟で、キミに対する感情が理解出来ていないんだ。でも本当に――僕はもう、キミに恋をしている。千年以上恋焦がれたんだから間違いないよ。ねぇ、信じておくれ」
「っ、また、大げさなこと言って……」
「やっと笑ってくれた」
相変わらずの大げさな物言いに思わず笑みを零したら、安心したようにマーリンも微笑んだ。
「うん――キミが僕を思って泣いてくれるのも嬉しいけど、やっぱりそうして笑っていてくれた方が嬉しいね」
「泣かないようにしてたのに、マーリンが泣かせたんだよ」
「ごめん。泣かれるのも嫌だけど、我慢されるのはもっと嫌なんだ。だってその方がずっと痛い。僕のせいとは言え、僕の前でくらいもっと素直でいていいんだよ?」
「それ、そっくりそのまま返すよ。今まで猫被ってたんだね、この性悪」
「うん?いやぁだって、好かれたかったからね。僕が本当にとんでもない人でなしだってバレてしまったら、キミは退いてしまったかもしれないじゃないか」
「今までも結構とんでもなかったと思うけど」
呆れつつ過去を思い返す。
でも、そう。マーリンは私を傷つけるような真似は決してしようとしなかった。
いつも私が怒るギリギリのラインを見極めて、するりと私の懐に潜り込んでくる。
そうやって私はマーリンへと落ちていったのだ。
だから知らなかった。優しくないマーリンのことを。
過去の思い出に浸って目を伏せると、すっと顎を持ち上げられて口づけられる。
幾秒も待たずに離れていく唇に寂しさを覚えてマーリンを見上げたら、マーリンもとても寂しそうな顔をしていた。
「……マーリン?どこか行っちゃうの」
「いいや。キミの傍にいるとも。でもまだ少しだけ、時間が必要だ」
「少し、って」
不安を拭えず、ローブの裾を思わず掴む。
「もう、少しだ。すぐにキミに会いに行く」
「すぐってどれくらい?」
「夢から覚めて、数刻も経たないうちに」
「夢……?」
疑問符を浮かべる私に、マーリンが覆い被さってくる。
抱きこまれて視界の何もかもが、マーリンのローブに塗りつぶされる。
「あ――」
――花の、香りがする。
✽
本当に疲れていたようで、すやすやと眠りこける彼女を抱えて二階の寝室へと運んでやる。
随分深く寝入ってしまったのか身じろぎもしない。そっとベッドに横たえると、何となくその脇に腰掛けて寝顔を見つめる。
特別何の感慨も浮かびはしないが、たまにはそんな暇つぶしも良いだろう。
眠っているというのに、やはり彼女からは私に対する熱を感じる。
私の夢を見ているのだろうか、確かめても良いのだけど、夢の内容には然程興味がわかなかった。
けれどもその味は本当に格別で、もっと味わっていたいと思ってしまう。
私の言葉にいちいち感情を揺さぶられ、その
もっといろんな色を見てみたい。
「ん――」
ふと彼女が声を漏らす。
少しだけ苦し気に顔を歪ませて、その瞳からぽろりと涙を零した。
「……、――」
彼女から放たれる感情の波が、熱をもって襲ってくる。
思わず手を伸ばしてその頬をくすぐると、ふと彼女の表情が和らいだ。色が変わる。熱量は更に増していく。
先刻貪ったばかりなのに、その熱に触発されて、私はまた彼女の精を求めて薄く開いた唇に口付ける。
私と彼女は相性がいい、と言ったのは嘘でも建前でもない。
この味もそうだが、身体の方もなかなかだし、私を呼ぶ声も気に入っていた。
そうでなければ子守歌をせがんだりもしないし、本の読み聞かせなんて無意味なものに耳を傾けるわけもない。
――ああ、やっぱり、まだ欲しいなぁ。
そんな風に思って、頬に手を添えると何度もその唇に口付ける。
ふるりと彼女の瞼が震えて、その瞳がゆっくりと開かれていく。
半分眠ったような顔をしたまま、緩慢に私を見上げると、弱々しい声で彼女が呟いた。
「……まーりん…………」
「――」
とろりとした顔で私の名を告げる彼女が、くいと私の袖を引いた。
「いかないで…………」
……どうやら彼女は、本当に私の夢を見ていたようだ。それも多分、成長した私の夢を。
夢の中でどのようなやり取りがあったのかは分からないが、その声の響きがあまりにも甘やかで、彼女は「恋人のマーリン」相手にはこんな声で呼びかけるのかと、少し興味深く思う。
「まーりん」
何も答えない私にしびれを切らしたのか、彼女は私に手を伸ばし、するりとうなじのあたりに手を差し入れた。
あぁ、あまい。
導かれるようにその唇に再度口付ける。
目を開けたまま、至近距離でその顔を見つめていたら、彼女もそっと目を開いて、唇を合わせたまま、ふふと笑った。
「だいすき」
彼女の声が耳を刺す。
色づいた感情が私の身体を犯していく。
どうすればもっと、これを浴びていられるのだろうか。
女の子をいじるのは楽しい。人の恋心というものは実に甘露だ。
その中でも、彼女の恋心は特に良い。有り体に言えば、大好物というやつだ。
それにつけても、今の声と味は、今まで味わったどの恋よりも、格別という他無い。
「まーりん……」
再び名を呼ばれる。ああ、やっぱり僕は、彼女の声が好きだな。
もっと呼んでほしくなって、自分も彼女の名を呼ぼうと口を開いた。
「――……」
だけど咄嗟に彼女の名前が出てこなくて、私はただ息を吐いただけだった。
「……、……」
無言でさらりと髪を梳く。
目を細めた彼女が私にすり寄るように身じろいだ。愛らしいなと、素直にそう思う。
うとうとと彼女が目を閉じる。
夢のふちへと落ちていくに連れ、その熱が沈黙していく。
ああ、待っておくれ。まだ僕は、こうしてキミの波に揺蕩っていたい。
「姉さん」
夢に沈む彼女を呼び止める為に咄嗟にそう呼んだら、彼女がはっと意識を浮上させて私の顔を見た。
「――まー、りん?」
「うん。マーリンだよ」
ぱちぱちと目を瞬かせた後、彼女の眉間にしわが寄る。
あの熱が欲しくて呼び止めたのに、夢から浮上した途端その熱はしゅるしゅると萎んで、少しの苦さを纏う。
その味もまた好物ではあったのだが、先のあれには程遠い。
「……間違えた」
ばつの悪そうな顔で彼女が言う。
何をそんなに気にすることがあるのだろう。
大人でも子供でも、私は私。同じマーリンなのに。
彼女はゆっくりと身を起こすと、鈍い動きで周囲を見渡した。
自室にいると気づき「運んでくれたの?」と問う彼女に、頷いて返事する。
「……、ありがと」
「どういたしまして」
にこりと微笑みかけると、目を逸らされる。
やだなぁ、今はセーブしてるから、キミを惑わしたりなんかしないのに。
さっきはちょうどいいと思ったし、強烈な感覚に支配されて、ただ私のみを求めるキミを貪るのも楽しかったんだけど。
それももう、今となっては味気ないとすら思う。
キミが先刻放った感情は、あんなものとは違う。
もっともっと、蕩けるように甘くて、蜜の海に沈んでいくような感覚だった。
人のようには味わえないが、舐めたらあの味がしないだろうか。
そう考えて彼女を見ると、なるほどとても甘そうだなと思えてくる。
髪も目も手も脚も、すべてが極上のお菓子のよう。
いや、私は彼女以外に「極上のお菓子」を知らないので、これが正しくそういった感覚なのかは分からない。
けれど甘さを求めて手を伸ばしてしまいそうになるのは、我ながら甘味をねだる幼子のようだ。
「寝るから出て行ってよ」
「つれないなぁ。折角だから一緒に寝ようよ」
「……寝る前にお風呂入りたいし」
「じゃ、一緒に入ろう。久々だね」
「…………」
呆れた顔でこちらを見る彼女にニコニコと笑顔を返す。
ややあって彼女がため息を吐いて頭をかいた。
どうしていいのか分からないのだろう。さっきの今だものね。
でもどうせなら困惑というよりは恥じらいの方が見ていて楽しいのだけど。
「ついでだし、お風呂場まで運ぼうか?」
「何がついでなんだ……良いから出てってよ」
「そんなに邪険にしなくても良いじゃないか。良かったろう?キミだって随分、」
「やめて」
思いのほか強い口調で遮られて、私も流石に口を噤む。
眉根を寄せて唇を引き結ぶ彼女の感情は苦味ばかりが強まって、私としては遺憾だ。
「姉さん」
「なに」
「……」
「?」
キミを「姉さん」と呼ぶ私と、名で呼ぶ私は、同じマーリンだ。それなのにどうしてこうも違うのだろうか。
彼女の言う私が、おそらく相当年月を経たあとの私であろうことは、もう察しがついているのだが、多分私は幾年を経ても特別内面に変化など起こり得ないと思う。
だからきっと、彼女に対する態度が違うということなのだとは思うが、それなら今からでも彼女の思い通りに優しく接してやれば、あの味を再び味わうことが出来るのだろうか。
「マーリン?」
「……ねぇ、私に優しくされたい?」
「えっ……そりゃまぁ、優しい方が嬉しいには決まってるけど……」
「さっき、キミはこの私にも、キミの言うマーリンと同じ恋情を向けていると言ったけど……どうやら違っているらしいって、今気づいたんだ」
「え……?」
さらりと彼女の髪に手を梳き入れる。肩が跳ねたのが分かって意図せず口角が上がった。……可愛い。
「どこが違うのかな。どうすればもっと甘くなる?」
「あ、甘やかさないよ?もう」
「……ふふ」
彼女は知らないのだ。私がキミの恋情を食べて育ったことを。その甘さの虜であることを。
だからそんな見当違いなことを言う。
甘やかされるのも好きだから、別にそれで良いんだけどね。
「子供の僕は、大人の私のようには愛せない?」
静かに尋ねると、彼女は押し黙って私をじっと見た。その目にはやはり困惑の色が浮かんでいる。
「私に愛されたいの?」
「うん」
「……自分は愛してないくせに?」
「ごめん」
素直に謝ったら、彼女ががくりと肩を落として盛大にため息を吐いた。ため息が多いなぁ。
「――ばか。どっちだって、愛してる……よ」
彼女の頬が色づいて、その心がふわりと綿のように私を包んだ。――甘い。
「もう一回言っておくれ」
「もう言わない」
「意地悪だね、姉さん」
「性格が悪いマーリンには言われたくない」
ふわふわと、少しの甘さが蘇る。
嬉しくなって茶化したら、照れ隠しなのが丸分かりな言葉を吐かれて私は小さく笑った。
「……愛してるって言ったら、キミは私をもっと愛してくれるかな」
「嘘なんか吐かなくて良いよ」
苦笑しながら言われて、少し考えを巡らせる。
もう私がキミを愛してなどいないと、そう言ってしまった後では遅いのか。
いっそ暗示でもかけてしまった方が早いかな、と思いついたところで、彼女がじっと私を見つめて言った。
「大人でも、子供でも……私はマーリンが好きだよ」
ふわりと浮かんだ微笑は、素直に美しいと思えた。
先ほど夢見心地のまま浴びたそれとはまた違う色だったけれど、この味も、とてもいい。
あぁ、欲しいな。
思考する隙も無く、そんな欲がもたげる。
その衝動のまま、彼女の頬を両手で包む。ぴくりと身体を揺らしたものの、抵抗はされない。
そのままゆっくりと顔を近づけ、今度こそ彼女の名を呼ぼうとして――
◆
「……なまえ」
口付けられ、名を呼ばれる。
久々のような、つい最近聞いたような、不思議な感覚を覚えながらゆっくりと目を開くと、穏やかに笑ったマーリンが静かに言った。
「ただいま」
「――。――……まー……りん?」
「うん。今度こそ、キミのマーリンだよ」
それは――それは間違いなく、私の焦がれた「大人の」マーリンだった。
十八のマーリンとの違いは殆ど無いとは言え、間近で見ればよく分かる。
「……、……急、に、もう、びっくりし……」
笑おうとしたのに、ぶわりと噴き上がった涙に顔が歪む。
嗚咽が漏れて、最後まで言葉を発することも出来なかった。
マーリンが私の涙をその指で掬う。
「ごめんね、寂しい思いをさせて」
「……っ、……いい、もう、いいから……」
ふるふると首を横に振って謝罪を拒んだら、マーリンに身体を引き寄せられ抱きしめられる。
花の香り。マーリンのにおい。ああ、私の大好きなマーリンだ。
「キミは多分、またもういいって言うだろうから落ち着く前に言ってしまうけど。本当にごめん。色々悲しい思いをさせてしまったこと、今はとても後悔しているんだ。……それでも、僕が帰ってきたこと、泣くほど喜んでくれたのが嬉しい。まだ、僕のこと愛してくれているんだね」
「あっ、たりまえでしょ、ばか!」
「うん。僕はバカだよ、まったくもってキミの言うとおり」
苦笑を交えた声でマーリンが言う。
抱きこまれてその顔は見えないけど、表情は声音から十分察せられた。
「もう……もう、いなくなったりしない?」
「しない。もう平気だよ」
穏やかな声音でそう言いながら、マーリンが私の頭を優しく撫でる。
ぽろぽろと零れ落ちる涙をマーリンの服が吸い取っていく。
嬉しくて、でもまだ怖くって、マーリンの背中に腕を回すと必死にしがみつく。
ぎゅっと背中の服を握りこんだら、マーリンもまた強く私を抱きしめ返してくれた。
「でも、前もこんな事があったって、ロマンが」
「ああ。……うん、それははっきり言って嘘だ。まぁこれに関しては彼を責めるのは筋違いというものかな。キミを安心させる為にそう言ったのだろうから、寧ろ感謝しなければならないところだろう。しないけども」
「……なに、それ、もう。ひどい」
「彼はキミと夫婦扱いされたりしたんだ、感謝なんてしてやるものか」
私を抱きしめたまま、マーリンが言う。いつも通りの軽口に、ようやく私は少し笑った。
「でも、じゃあ……何でこんなことになったの」
「それは……、……僕がキミと出会う為に、必要だったから」
全然答えになっていないことをマーリンは言って、「キミを好きになるための物語が必要だったんだよ」と続けた。
意味が分からない。
相変わらずマーリンは思わせぶりで不思議で変で、でもその変わってなさが、私を妙に嬉しくさせた。
「今までどこに行ってたの」
「さて、どこと言えばいいのやら。キミの夢に、とでも言っておこうかな」
「またそうやってはぐらかす」
「本当にどこって言えないんだよ、私にも分からないんだ。私はそこで、キミと話をした」
「……私と?」
「次はキミの番ということかもね?」
「変なフラグ立てないでよ」
冗談だよ、とマーリンは笑った。
どこからが冗談だったのだろうか、次はキミの番というところか、私と会ったというところからか、僕がキミと出会う為というところからなのか。
分からないけど今はもういい。ただマーリンが戻ってきてくれたことが嬉しい。
……子供のマーリンと生活するのも楽しかったから、突然いなくなられるとそれはそれで寂しいんだけど……。
「あれ、もしかして寂しがってる?」
「えっ……いやその、……もう、何でそんな察しがいいの」
「キミのことなら任せておくれ」
得意げに言って、マーリンが私の顔を覗き込む。
「ずっとキミを想い続けてきた。ずっとキミを見ていたんだ、キミのことなら何でも分かるし、何をも忘れたりしない。キミが忘れても僕は覚えているよ。夢の中で語った未来も、すべて」
時折、マーリンはやけにロマンチックな言い回しをする。
その中でも「キミの夢に会いに行く」とか、さっき言っていた「キミの夢の中にいた」だとか、夢に関する文言を特に好んでマーリンは言った。
それを本気にしたことは無いけれど、そう、さっき見た夢は、少しだけ覚えている。
今回ばかりは、私の夢の中にいたというのも、本当の話だったのかもしれない。
ううん、もしかしたらマーリンは、本当に夢の中に会いに来れるのかもしれないな。
「夢の中で語った未来って?」
「キミと将来、僕の家で過ごそうと話した事さ」
戯れに尋ねた質問に、マーリンがするりと返答する。まるで本当にあったことのように。
言われてみればそんな夢を見たような気もして、やっぱりマーリンなら人の夢に入るくらいは出来そうだと、妙に納得してしまった。
「突然戻ってしまったから、キミが寂しがるのも分かるけど……僕はすべて覚えているよ。……忘れられなかったんだ、キミを。キミとのことを。――姉さん」
マーリンが穏やかに微笑んで言う。
大人のマーリンによる「姉さん」という響きは、何だか妙に切なかった。
早く元に戻らないか、私を愛してないマーリンと過ごすのは胸が痛いって、そんな風に思っていた筈なのに。
俯いた私の顔をマーリンが覗き込む。
「それでも寂しいのかい」と問われ、一瞬考えた後「少しだけ」と答えたら、マーリンがふむと頷いた。
「分かった。じゃあ子供を作ろう」
「何が分かったの!?」
ずずいとマーリンの身体が圧し掛かってきて、案の定私の身体はベッドへと沈む。
最近マーリンに押し倒されまくっている気がするが、彼自身は「ちょうどいいじゃないか、私も久々にキミを感じたいんだ」などと宣った。
確かに私にしてみれば頻繁な現象も、マーリンにすれば相当ご無沙汰だったわけで、そう言われては私も断りにくいのだが、如何せん物凄く疲れているのだ、私は。
泣いた分余計に体力を消耗してしまったし。ていうか子供は流石に、ちょっと困る!
「ま、待ってマーリン、今はちょっと」
「嫌だ、待てない」
「んんっ」
強引に顎を持ち上げられ口付けられる。じたばたと暴れるもののびくともしない。
唇を離したマーリンが、至近距離で「そんなに暴れると余計疲れるよ」と囁いた。
疲れてるの分かってるなら遠慮してほしいなぁ……。
「ねぇ……良いだろう?」
じっ、とマーリンの目が私を射抜く。
「うっ……」
若マーリンに見つめられたときのような衝動が襲ってくるわけではない。
やっぱり大人のマーリンにはそんな感覚は無くて、でもそれなのに、そんな目で見られたら私はどうしようもなくなってしまう。
あの変な感覚が無くたって、私は十分マーリンに弱いのだ。
「なまえ」
ダメ押しのように、マーリンが耳元で私の名を呼ぶ。あぁ、もう、ダメだ。
「……もっかい、名前、呼んでくれたら……良いよ」
「……いくらでも呼ぶよ。だからキミも私の名を呼んでおくれ」
マーリン、と私が名を呟くと、マーリンもなまえ、と私の名を呼ぶ。
ほっと身体から力が抜けて、その代わりにじわじわと胸の奥が熱を持つ。
嬉しくて、愛しくて、ちょっと恥ずかしくもあって、照れ隠しに笑みを漏らせば、マーリンが頬にキスをくれた。
「なまえ……」
もう一度マーリンが熱っぽく私の名を呼ぶ。
ぞくりと背筋が震えて、思わずぎゅっとマーリンの服の裾を掴んだ。
「あの、……手加減してね」
「善処しよう」
投げやり気味の返事があって、マーリンが私の服を手にかけた。
これはただでは済まないかも、と私が覚悟を決めたところで、
「こらあああああああああッ!!」
「わああああああああああっ!?」
「…………」
お約束のように突入してきたロマンに、私はマーリンを全力で押しのけた。
「ろ、ろ、ろまっ、ロマン、今日帰れないって」
「帰ってこれたんだよ!深夜だけど!起こしたら悪いなと思って静かに帰ってきたら、キミの部屋の扉が開いてて会話が聞こえてきて」
……あぁ、そうか。
私を運んできて両手が塞がっていたから、マーリンは扉を閉めることが出来なかったのだろう。
私も、誰もいないと思っていたから部屋の扉のことなんて考えもしなかった。
……も、物凄く恥ずかしい…………。
「……キミは空気を読むという言葉を知らないのかい?」
「ボクの目が黒いうちは絶対にお前を好きにはさせないからな!……ってお前、戻ったのか」
「戻ったよ。感動の再会を台無しにしてくれちゃって、ロマンと名乗っているくせにロマンを解さない男だなキミは」
「お前にだけは言われたくないッ!」
ぎゃあぎゃあと言い争いを始める二人を見つめながら、私はそろそろと身体を起こす。
ベッドの上に座り込んで暫く二人の喧嘩を眺めたあと、何だかとてもむずむずとした感覚に苛まれて、耐え切れず噴き出した。
「っく、ふふふっ、はははっ」
笑い出した私に、二人がきょとんと目を瞬かせる。
その姿に更に笑いが漏れてしまう。
そんな私に毒気が抜かれたのか、ロマンがため息を吐くと苦笑して私を見つめる。
マーリンもいつもの穏やかな顔に戻っていた。
「そんなに笑わなくてもいいじゃないか」
「ご、ごめん、だって久々に見たなって思って」
ロマンが恥ずかし気に口を尖らせて言う。
それに答えると、更にむすっとした顔になってしまったけど、照れているのがよく分かって、私はくくっと喉の奥で笑いを必死にかみ殺す。
「キミが私とロマン君の喧嘩が好きというならいくらでも喧嘩を売りたいところなんだけど、ロマン君より私を応援してくれないと嫌だよ」
マーリンが私を抱き寄せて言う。
ロマンの前でこういうことはやめてって言ってるのに、もう。
そうやって挑発するから更にロマンが怒るんだよ。
「好きってわけじゃないよ!仲良くしてくれるのが一番」
「それは無理な相談だ。だってキミを巡って争うライバルなんだから」
「ライバルっていうか普通に敵だよ!」
喚くロマンをマーリンが華麗にスルーする。
意味深に「ね?」と言われ、私はぎくりと固まった。
……マーリン、私がロマンのこと好きだったの、知ってたんだ。
ていうか私、自分から言ってしまった……!
「うん、私にとってもロマン君はやっぱり敵だなぁ。ねぇ」
「……な、仲良くしてほしいなぁ」
「無理だよ」
にこやかにきっぱりと否定される。
ロマンもウンウンと激しく首を縦に振っていて、気が合ってるのか無いのか分かったもんじゃない。
……しかしマーリンがロマンを嫌っていたのって、そういうことだったんだなと分かってしまい大変気まずい。
いや嫌いじゃないとは言っていたけど、何でそんなにつっかかるの?とかロマンは良い人だよ!とか言ってたの、多分全部逆効果だった。ロマンごめん。
「またロマニのこと考えてるだろう」
ひっそりとマーリンが耳元で囁く。
ぎくんと肩を震わせた後、ブンブンと激しく首を横に振った。
マーリンの口元がスゥと弓形に反る。
今はもう懐かしき、七歳くらいのマーリンがしていた「作り笑顔」の顔だった。
「まぁ良いさ、キミは僕のモノなんだから」
言って、マーリンが私にちゅっと口付けた。
ロマンの顔が面白いくらい蒼白になり、悲痛な声でマーリン!と叫ぶ。
「ほらお邪魔虫はさっさと出て行きなよ」
「行くわけないだろ!行くならお前も引きずっていく!」
「あの、私本気で疲れてるんでそろそろ……」
やめて……と言ったところで、鎮まるわけもなく。
延々と続く二人のやり取りを見ながら、あぁ、我が家にやっといつもの日常が帰ってきたんだと遠い目をする。
ホント、歪で困った関係だ。けれども結局、こんな毎日こそが何よりも愛しくて。
「ロマン、マーリン」
二人が同時に私を見る。
既に私に抱き着いているマーリンと、傍でマーリンを諫めていたロマンを引っ張り寄せて、私は元気よく言った。
「おかえり!」