序章 夢の通い路
あれ?何だろう、ここ。
私、どうしたんだっけ。
見覚えのない風景に、きょろきょろと辺りを見回す。
どうしてこんな場所にいるのか思い出そうとしていたら、誰かに名を呼ばれて振り返った。
「なまえ」
「マーリン?」
「よそ見してどうしたんだい」
マーリンが、いつも通り笑って言った。
もう一度辺りを見回す。
一面花畑で、空は青くて、空気が綺麗で、視界を遮るものも殆どない。遠くに森の樹々が見えるのみだ。
こんな場所にやっぱり覚えはなかったのだけど、マーリンがここにいるってことは、ええと、そう、きっと、マーリンが連れてきたのだろう。
特に不思議に思うことなく私は状況を受け入れる。
「ここはどこかなって思ってた」と正直に言うと、マーリンが「前に花畑に行ったときのことを覚えてるかい」と尋ねてきた。
「勿論、覚えてるよ。初デートで行った、あの花畑のことだよね?」
「そう。そのとき言ったろう?花畑が気に入ったなら、いつだって連れて行ってあげるって」
なるほど。それで今日、私は連れてきてもらったわけだ。そうだったっけ?……そうだった。うん。
言われてみれば、そうしてここに連れてこられたんだった。
「行こう」
マーリンが手を差し出す。
躊躇わずその手を取れば、ゆっくりと私の手を引いてマーリンは歩き出した。
何故かマーリンはいつもと違って、白い、ローブ……だろうか。そんな服を着ている。
普通だったら、そのコスプレ衣装は何なのって言ってたろうに、私はやっぱりそれを不思議に思うことは無く、やけに似合うなぁと思っただけだった。
場所と恰好のせいで、何だかマーリン、人間じゃないみたいだな。
そう感じたらちょっと心配になって、慌ててマーリンの手を握りなおすと早足で隣に並ぶ。
マーリンはそんな私を見て不思議そうに首を傾げたあと、ふわりと笑いかけてくれた。……綺麗だな。
花畑をさくさく、てくてく歩いていく。
足元の花をどうしても踏みつけてしまう私と違って、マーリンの足は一切花を傷つけていないように見える。
あぁ、だってマーリン、花が好きだもんね。
そんな風に納得して、無言でマーリンについて歩く。
暫く歩いていると、足元の花が少しずつ減ってきた。よくよく見ると、どうやらこの地の端の方は荒野であるらしい。
後ろを振り返って見てみると、様々な花がこれでもかと咲き誇っているのに、同じ場所でこんなにも違うのか。
土の栄養価でも違うのかな、なんて考えながら前に向きなおして、視界に入ったものにびっくりして立ち止まる。
それに合わせてマーリンも立ち止まった。
視界の先、上の方を見上げて私は言う。
「何、あれ。塔?」
「そうだね。塔だ」
咲き誇る花々が途切れた場所、遠くに見える荒野の上に、その塔は――浮いていた。
「何で浮いてるの?浮かないでしょ塔は」
私としては、至極当然のツッコミをしたつもりだった。だけどマーリンは平然と返す。
「あの塔は浮くんだよ。そういうものなんだ」
そういうもの、なの?そうなんだ。じゃあ、浮くこともあるのかな。
何だか釈然とせず首をひねると、マーリンが「あれは出ていけないようにするために浮いてるんだよ」と理由を教えてくれた。
なるほど、じゃあ浮いててもおかしくないね。
「まぁ、あそこの中はまたのお楽しみだ。それよりも」
「?」
マーリンがもったいぶって言うと、振り向いて花畑を一望する。
それに倣って、私ももう一度振り向いて視界一面に広がる花畑を見る。
「どう? 気に入った?」
穏やかに微笑んでマーリンが言う。
私はこくりと頷いて、「綺麗で、素敵だね」と答えた。
「ここは、どこなの?」
「僕の……まぁ、家、かな」
マーリンの家は、私の家でしょ?
そう考えて、あれ、違ったかなと思い返す。
「ここで、キミと暮らしたいんだ」
「ここで?でも何も無いよ」
コンビニもスーパーも、それどころかあの塔以外に建物すら見当たらない。
人も、私たち以外には誰もいないのに。どうやって住むの?
私の当然の疑問を、マーリンはにこりと笑って流してしまった。
代わりに「どうしてもキミを、ここに連れてきたかったんだよ」と言う。
「まぁ、ここは現実のアヴァロンじゃないけど。でもホラ、事前準備って大事だろう。いきなり連れて行って、知らなかった聞いてないと言われても困るから。だから覚えておいてくれればいいんだ。と言っても、多分キミは忘れてしまうのだろうけどね」
「何言ってんの?」
「キミをさらってしまいたい気持ちを、いつだって我慢してる僕は偉いってコト」
「……またそういうこと言う」
言い回しが大げさなとこ、直した方がいいよ。
そう言うとマーリンは何やらぷんすかして「冗談だと思ってるだろう」と眉を吊り上げた。
「だっていっつもそう言って、私を担ごうとするんだから」
「僕はいつだって本気なのに。なまえのことが好きで好きで、どうしようもないからわざわざ会いに来たっていうのに。ここから出るのとっても大変だったんだよ。少しくらい褒めてくれたって良いと思う。うん、ていうかキミは僕を褒めるべきだ。ホラ」
言いながらマーリンが屈んで私に抱き着いてくる。
もう一度「ほら、なまえ」と言われて、呆れつつマーリンの背に手を回すと、右手で頭をぽんぽんと撫でてやった。
「うんうん、えらいえらい」
「ふふふ」
嬉しそうに笑うマーリンに苦笑する。まったく、時々本当に子供みたいなんだから。
「マーリンて、意外と甘えん坊だよね?」
撫でつつそう言ってみると、マーリンが私にすり寄りながら「キミにだけだよ」と答えた。
「えい」
「わ、ちょっ」
突然体重をかけられて、花畑へと身体を沈める。
「こら!」
危ないでしょ、と怒る私にマーリンが笑う。
「ふふふ、良いじゃないか。他に誰もいないこの場所で、キミとこうしてのんびりしたかったんだ」
「まぁ……私も、確かに気持ちいいけど……」
マーリン越しに空を見上げる。綺麗だ。
楽園なんてものが本当にあれば、きっとこんな場所なんだろうなとふと思う。
そんな場所で、マーリンと二人きり。確かに、こんな贅沢はなかなか無いかもしれない。
上に乗ったままだったマーリンが、私を抱えるとごろりと横になる。
向かい合って寝そべる形にされて、マーリンの胸板から目線を上げたら、やたらと嬉しそうなマーリンの顔が目に入った。
「本当マーリンは甘えん坊だ」
「なまえには言われたく無いなぁ。それに僕がキミに甘えるのは自然なことだよ。なまえは僕の姉さんなんだし」
「……ん?恋人だよね?」
「もちろん」
「…………?」
言ってる意味がよく分からなくて物凄く怪訝な顔をしてしまう。にも関わらず、マーリンは特に説明する気はないらしく相変わらずニコニコしているだけだった。
マーリン、私より年上だよね?いや正確な年齢は知らないんだけどさ。
「ねぇ、なまえ」
「何?」
考えても分からないのでとりあえずさっきの発言は置いておいて、マーリンの呼びかけに返事する。
穏やかな笑みを浮かべたマーリンが、唐突に言った。
「これから、ごめんね」
「は?」
これから?……これから、とは?
「これから、僕はなまえを傷つけることになる。でも僕はキミのこと、出会ったときから好きだったんだよ」
「え……、う、うん」
何?実は浮気してます宣言?
意味が分からず困惑する私を、マーリンが気にする素振りはない。
自分がクズだから私を泣かせちゃうかもしれないけど本意じゃないよっていう、これは予防線なのだろうか。
いや泣かせないでよ、と思いつつ、どう返そうか迷う私に、思ってもみなかった台詞をマーリンが被せてきた。
「子供の頃から、ずっと」
「へ?」
「またキミを見つけるまで、知らないままだったんだけど」
訳の分からない言葉の連続に、いよいよ私は混乱してきた。だけどマーリンはよどみなく口を開き続ける。
「だから、ね。傷つかなくてもいいんだ」
マーリンが優しく私の頬を撫でる。
何言ってるんだろう、本当。
変なマーリン、そう言おうとして――
気が付けば私は、自室の天井を眺めていた。