千年前の恋人たちへ
リビングの隅に置かれた引き出しの前に座り込む私に、なまえが気づいて近づいてくる。
「なに見てるのマーリン」
「コレ」
「ん?あ、私がマーリンに買ってあげた絵本だ」
手に持っていたそれを差し出すと、なまえはすぐさま思い出して、微笑ましそうに笑みを浮かべた。子供だった私を思い出しているのだろう。
「懐かしいね」
「あー、マーリンにしてみたら10年以上前だもんね。私にとっては少し前に買ったものだけど」
1500年以上前だけどね。
そう考えると、本当に懐かしい。忘れたことなんて無いのだけど。
これを読み聞かせられていた当時は、内容に興味なんかなくて、ただなまえの声が心地よかったから絵本をねだっていた。
そんな私がふと思い立ち、今更この本を見ていたのは理由がある。とは言っても、大した理由では無い。今となっては、この本の内容が他人事とは思えないなぁと、ふとそう思っただけだった。
絵本を開くと、なまえがそれを覗き込む。
何の絵本か気づいたなまえが、そのタイトルを口にした。
「鶴の恩返し?」
「有名な日本の民話だったかな、確か」
「うん。老夫婦の元に娘が……ってパターンもあるけど、この絵本は若者の元に美女が来て、夫婦になるやつなんだよねー」
「異類婚姻譚というやつだね」
「そうそう。雪女とか、天女の羽衣とかと一緒」
「妻の方が人じゃない話の方が多いんだね」
「そういえばそうだね、何でだろ」
暢気に言って、なまえが横からページをめくった。若者の元に美女が訪ねてくるシーンを描いたページが開かれる。
「でも何か、竜とか蛇が少女を妻に欲しがる話もあるらしいよ。そういう男形の大物妖怪?っていうのかな?そういうのは、女の子が大好きなんだってロマンが言ってた。だから気をつけろってさ。場所柄、そういうものと近いとこに住んでるから」
生贄とかありがちだもんね、となまえが言いながら、更にページをめくる。女と男が仲むつまじく暮らす様子が絵本には描かれていて、私はそのページを指先でなぞった。
「悲惨な話だ。きっと恋をしただけだったろうに」
ぽつりとそう零すと、なまえがぱちくりと目を瞬いた。
「マーリンて案外ロマンチストだね」
「そうかい?」
「うん。だってこういう伝承ってさ、無理矢理迫られたお姫様が何とかして被害を免れたり、逆に犠牲になってしまうっていう風に被害者主体で語られるからさ。私が小さい頃は、食べる為に欲しがってるんだと思ってたし」
人間が人間側に感情移入するのは当然の話で、脅威を相手に迷惑しているととらえるのも不思議ではない。異形故に心を交わせず、相手を思う感情を恋とすら呼ぶことの出来ないまま、怪物は退治されてしまう。
手を間違えれば僕も同じだ。心通わせられぬ化け物なのだと、知られてしまえば後の祭り。
だから僕は言う。これは恋で、僕はキミに恋をして、キミは、僕に恋をしているのだと。
「それは間違ってないかもね。僕も、食べちゃいたいほどキミが好きだもの」
なまえの顔を覗き込むようにして近づけ、微笑んでみせる。ぽっとなまえの頬に朱が点り、反してなまえは照れを隠すように眉を寄せた。
「何で私の話になるの。まったくマーリンは隙あらば歯の浮くようなことばっか言う」
「伝わらなかったら悲しいじゃないか。僕は悲劇とか悲恋とか、そういうの好きじゃないんだもの。キミに想いが伝わらないまま、悲しい最後なんて絶対ごめんだ」
「もうじゅうぶん伝わってるから!」
怒ったように真っ赤な顔でそう言って、なまえが私の手から絵本をひったくった。そのまま彼女がページをめくると、鶴が夜な夜な機織りする絵が表れる。
なまえはそう言うけど、きっと何も分かっていない。そもそも僕とキミでは感情回路の規格が違う。恋する男の姿を再生していても、その中身はまるで別物なのだから。
知られてはならないが、知られないのでは悲劇となる。私が魔術師であること、これを隠していたのは、一種のブラフだ。私の秘密が、そこにあるのだと思わせる為の。その先に、もっと致命的な真相があるのだと、知られてはならない。――今は。
なまえがまたページをめくる。機を織る鶴の姿を見てしまった若者に、鶴が別れを告げている。
「……そういえば、どうしてこういう話って、正体知られた時点でアウトなんだろ。もしかしたら二人で生きていけるかもしれないのに」
ふとなまえがそう呟く。何も知らない人間らしい無邪気な感想だ。
「だって、何も知らない状態で普通に暮らせてたんなら、黙ってれば同じでしょ。この鶴みたいに身を削られちゃたまんないけど、そんなことしなくたって好きあって夫婦になってるんなら去ること無いのに」
「――さて、私には彼らの気持ちなんて到底推し量ることは出来ないが」
なんて白々しく前置きして、絵本から顔を上げたなまえに笑いかけると、それらしい答えを披露してみせた。
「いくつか推論は立てられる。なし崩しに周囲にバレて、結局は迫害されてしまうから、というのが理屈としては無難かな。描かれていないが、今までにそういう経験があったのかもしれない。そうでなくても、嫌われてしまったと思ったとかね」
「んー…………なるほど」
なるほど、とは言ったものの、なまえは納得していないような顔だった。
これらの伝承が史実だとして、当然そこには描かれていない真実や事情が存在する。辻褄を合わせようと思えばいくらでも理由を論うことは出来るものの、なまえには響かなかったようだった。
「――……というのは、物語の整合性を取る為の理由付けであって、本当のところは事情が違う」
「えっ?」
ニッと口角を上げてそう付け足すと、なまえがきょとんとした顔をする。絵本のページをめくり、鶴が飛び去る最後のシーンを開きながら、言葉を続けた。
「こういうのは現世の常識外のルールだったりするんだよ。気持ちや理屈じゃなく、そうならざるをえない世界のシステムというやつだ」
「システム?」
「世界を安定して運営するために定められた機構だよ。正体がバレたら去らねばならない……というのは、世界によって定められたルールってコトさ」
異形がヒトの営みに参加することを成立させる為の不文律、それが「正体がバレてはならない」というルールなのだ。
突き詰めればもう少し複雑なルールが存在するわけだが、そこまで説明する意味は無いだろう。
兎にも角にも、人間たちが健やかに過ごす為に、世界にはそうした厄介なルールが敷かれているのである。
そういえば、となまえが合点が行ったように手を打った。「それもロマンが言ってたかも」と続けられ、ぴくりと眉が揺れる。
「正体がバレたら去らなきゃいけないから、異形は初め正体を隠すんだとか何とか、そういえば聞いたよ」
「……そうさ。もしも何の制約も無いのなら、最初から力尽くで奪ってしまえばいい話だもの」
「そこは心を通わせる努力をしてからでお願いしたいものだけど」
軽い調子でなまえが答える。
その言い方だとまるで、心が通えば奪ってもいいように聞こえてしまうよ。
「ねぇ、なまえ」
「うん?」
「もしも私が鶴だったら、キミはそれを受け入れてくれる?」
「うん」
あっさりと頷かれ、脱力する。苦笑して「即答だね」と答えると、なまえは「マーリン白いから、鶴って言われても納得できそう」と朗らかに笑った。
「そういうマーリンは私が鶴だったらどうする?」
「うーん。あんまりそういう想像って得意ではないんだけど、そうだなぁ。鶴について調べて一緒にいる努力をするよ」
「具体的だ」
「だって、鶴同士じゃないから去らなきゃならないんだから。鶴と鶴なら問題ないわけだろう?」
「えっ、一緒に鶴になるってこと?」
ぎょっとした顔でそう言ったなまえに、「じゃなきゃ一緒にいられないんだよ」と言うと、「人間やめて動物になるのはハードル高くない?」と返される。そうだね、ものすごく高いと思う。
「鶴の方は人間に化けられるんだから、やっぱり人間の姿で二人暮らしが一番いいと思うんだけどなぁ」
「じゃあやっぱり、鶴は鶴だと知られないようにしないとね」
「……どうにかして、鶴は鶴として人間と一緒にいる方法無いのかな。ペットですって言い張るとか?」
「ペット扱いはともかくとして、もしもシステムの目をすり抜けて共にいられる方法があるのなら、私はそれを追及するだろう。だから安心しておくれ」
肩を寄せ、そのこめかみに口付けて言うと、なまえの顔がまた少し赤くなる。だが先ほどのように照れ隠しの素振りは見せず、なまえもまたそっと私に肩を寄せたので、腕を回してその頭にすり寄った。
「マーリンは外から急に来た存在だもんね、そういえば」
「ふふ。実は過去に出会っていた、というのも符号するしね」
「私にとってはついこの間の出来事だけど」
「このままめでたしめでたし、で終わるよう尽力するよ」
私は諦めの良い鶴ではない。
きっとキミと添い遂げてみせよう。その為にずっとずっと準備をしてきた。
キミの心はもう私にある。だけどまだ、この世界の軛から逃れることは出来ない。
「愛し合う二人が離れ離れにならなきゃならないなんて、世界の方が間違っている。そう思わないかい?」
「やっぱり、マーリンてロマンチストだね」
おかしそうになまえが笑う。
「心配しなくても、きっと悲劇にはならないよ」
「どうして?」
「マーリンが私を好きって言う方が、よっぽど奇跡だと思うから」
だって、出会いも運命じみてる。
そう言ってなまえははにかんだ。
確かに、そうだ。奇跡はもう起きている。
「世界は私たちを祝福してるよ」
なんてね、とやっぱり照れ臭そうに付け足して、なまえは眩しく笑ってみせた。