キミはここにいる

「恋人同士が家ですることなんて一つじゃないか?」
「ゲームとか昼寝とかね」
「昼寝がいい。昼寝しよう」
「おやすみ~」
「つれないなぁ!」
「何考えてるのか手に取るように分かるけど、オーケー?私とマーリンは二人暮らしではないのよ」
「ちぇっ」

食べ終わった食器を下げようとするのを見て、なまえにまとわりつくのをやめてすごすごと引き下がる。同じように自分も食器を片付け始めると、なまえは「ありがと」と言って私の分まで集めてキッチンまで持って行ってしまった。そのまま皿洗いを始めるのを頬杖ついて見つめる。せっかく久々に二人きりなんだから、そんなの後回しにしちゃえばいいのに。

世間に倣って、この家の面々も外出自粛を行っている。夢魔である私には無意味であれど、そもそも外出出来ないからと言ってまいるような精神も無いし、むしろなまえが家に縛られるというならここから出て行く理由も無い。いっそありがたいくらいだ。そして家の中で出来る娯楽なんて限られているし、愛し合う二人が一つ屋根の下ですることといえば……と、二人暮らしならそういう方向に持っていくのも容易だったのだけど。

「ロマン遅いね。すぐ戻るって言ってたのに」
「このまま帰ってこないと良いんだけどね」
「まーたそういうこと言う!」

そう。この家にはもう一人、お邪魔虫が存在する。このご時世に哀れにも外出を余儀なくされて、今は幸いこの家にいないのだけど。

「彼がいるとキミと思う存分いちゃつけないんだもの」

皿洗いを終えて戻ってきたなまえに向かって手を広げると、呆れ顔をしながらも素直に腕の中に潜り込んでくる。ごそごそと座りやすいよう身じろぐなまえに合わせて膝を開けると、その隙間にすっぽり埋まるように座り込まれる。腕をおなかにまわしてぎゅうと抱きしめると、その華奢な肩に顎を置いて頬にすり寄った。

「マーリンは甘えん坊だね」
「だってロマン君がいると、触れるだけでも嫌がるじゃないかキミ」
「か、家族の前で彼氏といちゃつくのめちゃめちゃ恥ずかしいんだから仕方ないじゃん!」
「公認なんだから良いじゃないか」
「公にはなってるけど認めてはないよね」
「認めざるを得ないほどくっつこうとか思わないのかい!?」
「んぐぐ!苦しい苦しい!」

むぎゅむぎゅと回した腕を締め付けながら額を肩口にぐりぐりと押しつける。じたばたしながら振り向いたなまえが私の腰周りに腕をやったと思うと、こしょこしょと脇をくすぐってきた。

「あっこら!お返しだぞぅ!」
「ひゃははっ!やだーっなにすんのっ」
「隙あり」
「むぐっ」

くすぐり返す私の腕を離そうと暴れるなまえに体重をかけると押し倒し、そのまま唇を奪う。いったん口を離して顔を見てみると、「もう」と咎めるように言いながらも、まんざらでもなさそうな顔のなまえがそこにいた。
うんうん。キミって本当私にメロメロだよね。

「髪じゃま」
「切った方がいいかい?」
「絶対ダメ」
「じゃあこれからも邪魔するよ」
「うん、いいよ」

押し倒した衝撃で顔周りに落ちた髪を拾いながら軽口を叩くなまえに私も軽口で返す。外出時は流石に結ってることが多いのだけど、家に縛られている今はいいかと、最近はそのままにしている。そうすると私の髪が気になるのか、なまえはよく私の髪に触れてきた。今もそう、拾った髪を手放したかと思うと、今度はこめかみのあたりに手を差し入れ、ゆっくりと髪を梳かし出す。心地の良い感触に目を伏せる。

「まーりん」

何かを乞うように名を呼ばれる。これを私は知っている。口付けを乞うとき、なまえはこんな風に舌足らずに私を呼ぶのだ。
私の名を呼ぶ甘ったるい声が、耳を伝って胸まで犯していく。身体中を蜜が這うみたいに、なまえの声は甘く蕩けて聞こえるのだから、不思議で仕方がない。

この声に、乞う仕草に、求める心に。
捕まったまま、1500年。

どうかいつまでも僕を求めていてほしい。
求められる僕でいるから。

「なまえ……」

名を呼びながら乞われるまま唇を落とし、開いた口から舌を出せば、なまえも応えるように舌を絡めてくる。

「んっ」

唇を離すと首筋に口付け、するすると手を内股に這わせる。

「こ……らっ、もう」
「何だい?」
「しないからね?」
「何を?」
「ばかっ!」

そんな甘ったるい声で罵られても、胸を蜜が滴るばかりで何の抑止にもなりはしない。いつだって私はキミという存在に煽られているんだから、止めるならもっと本気抗ってもらわないとね。
止める気を感じられない抵抗に、さっきくすぐられたよりよっぽどくすぐったいような気分になって、くすくす笑いながら指先を服の下に潜める。目元や耳、首筋に唇を落とすと、なまえもまた私の頬や肩に口づける。

「まーりん……すき」
「うん、僕もなまえが好き」

こちらから言うまでも無く、好きだと告げてくれる。
普段恥じらってなかなか触れさせてくれないなまえも、二人でいるときはとびきり素直で。
我慢しているからか、零れ落ちた感情の質量も一入だ。

せっかく溢れるほどため込んだその情動を心行くまま感じたかったのだけれど、――そろそろ時間切れだ。

かぷりと唇にかぶりつくと、限られた時間で堪能すべく、その口内へと舌を差し込み絡め合う。たどたどしくも応えるなまえの舌の奥をなぞるように舐ると、ぴくりと肩が揺れたのが分かった。舌ごと飲み込んでしまいたいくらい可愛い。
歯列の裏、歯茎と歯の隙間をなぞるように舌先を這わせる。ちょろりと口蓋をつついてみせると、ふるふると小刻みだった震えがひくつくように大きくなっていった。
ああ本当、このまま全部飲み込んでしまいたい、のに。

がちゃり。

玄関から扉の開く音がする。
ぴちゃぴちゃと水音と吐息の音だけが木霊するリビングにも、その音は大きく響いて、ぴたりとなまえの震えが止まる。

慌てて引き剥がそうとする手に、内心物凄く不服に思うものの、抵抗せず大人しく引き下がる。ドタドタと響く足音に呼応するように慌てて距離を取り、なまえは立ち上がって玄関へと続く扉を見つめた。

「ただいま!!なまえちゃん無事!?」
「おおおかえりロマン、無事って何が?」
「帰宅早々なまえに近づかないでくれるかい?まずは手荒いうがい殺菌消毒だ」

背後からなまえの肩を掴むとぐいと引っ張り背後に隠す。
目の前のお邪魔虫がきんと目をつり上げた。

「一番危険な毒虫がこの家に住み着いてるから気が気じゃなかったもんでね!」
「毒虫?そんなものいるわけないじゃないか。花に虫などたからせては花の魔術師の名折れだもの。この家には美しい花と、その花を外的から守る私と、オマケのキミしかいやしない」
「だ~れがオマケだっ!!」
「……ロマン、お風呂入らない?」
「入る!……あっ、ただいま、なまえちゃん」
「ふふ、おかえり」

ひょこっと私の背中から顔を出したなまえがロマン君と穏やかに言葉を交わす。
喧嘩の仲裁も慣れたもので、そのままロマン君を浴室へと誘導していく。

「すぐ上がるからな!マーリン!なまえちゃんに手出すなよ!」
「知ってるよ、それ日本ではやれって意味なんだろう?」
「そんなわけあるか!!」
「こらマーリン!煽らない!!ロマンもバカ言わないで早く入っちゃって!」
「君も隙を見せないようにね!」
「見せない見せない、ほらちゃんとお湯張っといたから」

ホントにすぐ上がるからね!流されちゃダメだからね!と駄目押しするロマン君をハイハイ頷きながら浴室に押し込むと、なまえがやっと戻ってくる。

「何すねてんの?」
「別に?」

別に本当に拗ねてない。そういうふりをしているだけだ。
頬を膨らませてソファの上で脚を抱える私の隣に座り込むと、なまえがじっと私を見つめてきた。

「……なんだい?」
「手出さないんだ?と思って」
「えっ」
「はい時間切れ」
「あああ~っ待っておくれ!」

ぱっと立ち上がり去ろうとするなまえの手を捕まえて引き寄せようとしたら、存外易々と引き寄せられ、というより、なまえが自分から近づいてきて。

「ん」
「ぇ、」
「オマケね」

頬をかすめた唇の感触に驚く間もなく、するりと腕を抜けなまえが今度こそ身体を離す。

「夜にあそぼ」

それだけ言うと、なまえはリビングを出て行ってしまった。自室に戻ったらしい。

「…………」

……いつの間にそんな技を覚えたんだ。

本当に拗ねていたわけではないはずなのだけど、胸の内をふわりと浮遊するような感覚があった。果たして機嫌をなおしたのか、機嫌をよくしたのか、或いはその両方か。
どちらでも無いのかもしれないけれど、彼女のお誘いにときめいたには違いない。

「あんな稚拙なお誘いに、ねぇ……」

なまえが聞いたら真っ赤になって怒りそうなことを、口先に笑みを乗せて呟く。
本当、どうしてなまえにだけ、こんな気持ちを抱くんだか。

三人で家にいるとなかなか隙を見せてくれないなまえが、自分から誘ってくれた。この機会を逃す私ではない。
たっぷりなまえを堪能しつつ、秘密の逢瀬も乙なものだと思わせなくてはならないな。

どうしてなまえにばかり、こんな思いを抱くのか。そんなものは分からないし、分からないことに不満も無い。ただ私は、この思いを抱えることを、今は楽しいと思っている。

過去、あんなにも苦しんだのに――苦しんだ故、か。

どこにもいないキミに焦がれた日々を思えば、同じ世界に存在するだけでも御の字だ。

家の中でも外でも変わらない。
なまえがこの世界にいて、触れることが出来る。その事実だけが何よりも素晴らしい。

もし、それよりも大事なことがあるとすれば、それは。
なまえが、僕を想っているという事実。

それを無くしてはならない。それが無くてはもう、僕は立ちゆかない。
それほどまでに、彼女の恋心に溺れている。

でも――どうかな。
もしそれを失っても。なまえさえいればいい、というような、そんな気もして――やっぱり少し、くすぐったいような気持ちになった。

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