最愛の彼女

ベッドヘッドの充電器に繋がれたスマホが振動する音が室内に響く。隣に寝転んでいたマーリンが、起き上がって画面を確認すると、とても嬉しそうに口元をにんまりと引き上げた。

「その顔は、本命ちゃんでしょ」
「そうとも!よく分かったね」
「分かるわよ。アンタいつもそうじゃん」

呆れつつ自分も起き上がり部屋を出る準備をする。脱ぎ散らかされた衣服を拾い着始める。

「どーせ急いで帰るって言うんでしょ?」
「キミは本当に物分かりがいいね。なまえとは大違いだ」
「のろけんな」

スマホの画面を指でつつきながら言うマーリンに冷たく答える。憎まれ口のようなことを言いながら、その声は喜色にあふれていた。

暫くニヤニヤしながらスマホを操作していたマーリンが(おそらく返信していたのだろう)、ややあってスマホを置いた。手早く衣服をかき集めて着始める。
男の着替えなど女に比べれば一瞬だ。あっという間にマーリンは身なりを整えてしまった。

「本命ちゃんなんて?」
「今日暇だから遊ぼうってお誘い」
「へー?脈アリじゃん」
「そうなんだよ、最近ようやくなついてくれて」

のろけんなって言ったのにこいつ。

「あたしが言うのも何だけど、何でそんな好きなのに浮気してんの?」

いやまだ付き合ってないんだから、浮気と言うのも変なんだけど。

マーリンが関係を持つ女はあたしだけじゃない。
本命ちゃんが何をどこまで知っているのか、他のコたちは本命が他にいることを知っているのか分からないけど、あたしは最初から知っていて、それでもマーリンとこうしている。適度に開いた距離感の中で、めいっぱい気持ちよくしてくれるのが心地よくて、ちょっと特殊な友人としてこの位置におさまっている。

「キミだって、甘いもの食べるのやめるって言ってやめられてないだろ?」

あたしの質問に当然のようにマーリンが答える。
タイツを履き終わり立ち上がると、マーリンも待ってましたとばかりに立ち上がった。上着とバッグも手渡され、身に着けると部屋の外に出る。

「ホ~ント最低な男よね。本命ちゃんがアンタに落ちないことを祈っちゃうわ。いっそセフレになった方がいいって助言したいくらい」
「そんな、なまえにキミと同じ距離感で接されたら泣いてしまうよ」
「えっ、見たーい」
「ひどいなぁ」
「アンタがね」

いつの間にか会計を済ませていたらしく、フロントを素通りして外へ出る。
浮かれポンチなマーリンは早く駆けつけたくてそわそわしていたけど、あたしはそんなに性格の良い女じゃないからスルーした。

「本命ちゃんと付き合えたらさぁ。どうすんの?」
「キミとの関係?悪いけど切るよ」
「やっぱそっかぁ」
「ごめんね」

大して悪いと思ってないくせにマーリンはそう言って、あたしの頭をぽんと撫でた。
マーリンのこと恋愛対象には絶対見れないけど、それでもそういう何気ない仕草が狡い男だと思う。
きっと浮気相手の何人かは、本気になっちゃったコだっているだろう。でもきっとそういうコたちを歯牙にもかけないんだろうから、コイツに惚れなくて良かったと心底ほっとした。

「なまえはきっと、自分一人を見てくれる男が好きなんだろうから」
「浮気性のくせに我慢出来るの?」
「彼女が私を好きになってくれるなら、他のコは必要無くなるよ」
「浮気性の男がもうやめるって言って浮気しなくなった事例を知らないんだけど」
「私は浮気性じゃなくて遊び人なんだよ。なまえと遊べるのなら他の子は要らない。キミも甘いものだけ食べていたいって言ったじゃないか?」

甘いものを浮気に例えたくせに、次は平然と本命に例えるところとか、本当に軽蔑する。そう言おうとして見上げたマーリンの顔が慈愛に満ちていて、ぞっとした。

いつも飄々としてつかみ所が無くて、本音を言っていると感じることの無いマーリンが、唯一本当に嬉しそうな顔をするのが、本命ちゃん――なまえという名の子の話をするときで。
あたしは彼女の事を、名前とマーリンを胡散臭がっている事しか知らない。顔もフルネームも、年齢も何も。ただマーリンから本命に警戒されていて困るという泣き言を聞かされていただけだ。知らない子だ。知らない子で良かった。

さっき「コイツに惚れなくて良かった」と思ったけど、撤回だ。
コイツに惚れられなくて良かった。

不毛な恋に身を焼くよりも、ヤバい男に付きまとわれる方が怖い。
この男の、なまえとかいう子への執着は、多分常軌を逸している。
浮気男でも遊び人でも良いけど、たくさんの女の子を食いつぶして悪びれない男というのは、さして珍しくはない。
でもコイツのそれは、そんな男たちとも違う異質さがあった。何というか、超絶上から目線。支配欲とかそういう事でも無く、人間が動物の微笑ましい姿を見守るような、そんな隔たりがあった。

「ヤバ。ヒく」
「キミは本当に物わかりがいいよね」

ふ、と穏やかな笑みを浮かべてマーリンが言う。おかしな返答だったけど、その意味を悟ってあたしは眉を顰めた。
きっとあたしの考えは当たっていて、マーリンはそれすらも分かっているんだ。ああ、こわいこわい。

あたしのことを一切意識しないこと、多少ムカつく気持ちはあるけど。
こんなイカれた男に好かれてしまった子の方が、よっぽど可哀想に思えた。

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