絶対信じません

学校にいくつかある教科準備室のうち、今私のいる部屋だけは使用されておらず、鍵もかかっていない。
偶然そのことを知った私は、毎日のようにこっそりと、昼休みに一人時間を楽しむ専用部屋として使っていた。
お弁当を食べ終わり、いつものように家からこっそり持ってきた漫画を開いて、つかの間の一人時間を満喫していたそのとき、急にがらりと開いた扉の音に私は飛び上がった。

「おや。先客かな」

慌てて目をやった先にいた人物を見てぎょっとする。

学校でも一、二を争うほどの有名人が、悠然と微笑んで私を見ていた。



――という思い出を振り返りながら、私が来るよりも前に来て、ソファに寝転ぶ先輩を見つめる。
マーリン、先輩。
現実離れした麗しい面相と、優秀な成績――そして数ある浮き名が、彼を有名人たらしめていた。
私も彼のことはもちろん知っていて、実はこっそり、憧れていた面もあったのだけど……まさか、こんな関係になるとはね。

「マーリン先輩、起きてください」
「ふぁ……あれ、もうお昼?」
「いつからサボってたんです?」
「今日は朝から」
「ずっと寝てたんですか!?それで何で成績優秀でいられるんですか……」

本当に漫画みたいな人だな。呆れつつそう思いながら、身体を起こしたマーリン先輩の隣に座ると、ごく当然というように肩に寄りかかられて息が止まる。

「あ、あの……」
「うん?何だいなまえ」
「わ、私は今からご飯を、食べるので……」
「えー。甘えたい気分だったのに」
「あ」

後にしてください、と言おうとして、いや後で甘えられても困ると思い口をつぐむ。

あの日以来、マーリン先輩はよくこの部屋に来た。
せっかくの一人時間は台無しになってしまったけれど、流石にモテるだけあって、マーリン先輩とお話するのは楽しかった。
それでも困ったことが一つだけあって、それは彼のスキンシップが激しすぎるということだ。
人のパーソナルスペースに入り込むのが上手すぎる。

嫌なわけではないのだが、慣れなくていつも固まってしまう。
そんな私を見て、マーリン先輩はくすくすと笑うのだった。

「ふふ、ホントなまえはすぐ照れるから可愛いね。あまりキミのようなタイプとは接してこなかったから、何だか新鮮だよ」
「……マーリン先輩の周り、華やかな子ばっかりですもんね」
「華やかなのは嬉しいんだけどね。時々怒らせてしまうんだ」

言いながらやっとマーリン先輩は私の肩に寄りかかるのをやめた。
固まっていた身体をほっと弛緩させ、お弁当を取り出して食べ始める。

あのとき、この部屋にマーリン先輩が来たのも、どうやら女の子から逃げてきた結果だったらしい。
話を聞くにどう考えても悪いのはマーリン先輩だし、匿う義理も無いのだが、この場所を他の誰かにバラされても困る。
そうして仕方なく受け入れているうちに、何だかそれが当然のようになって、今に至る。

そんなことを考えながら、お弁当を黙々と食べる。
無言で食べることに罪悪感を覚えたのは最初だけで、今となっては特に気まずさも感じない。
ただ、食べる姿をマーリン先輩に眺められるのは、やっぱりちょっと気恥ずかしいけれど。

「美味しそうだね」
「そうですか?普通のお弁当ですけど。マーリン先輩はご飯食べないんですか」

昼休みなのだから、普通ご飯を食べる時間なのだが、私はマーリン先輩がここで食事している姿を見たことが無い。
マーリン先輩がお弁当を食べている姿も想像しづらいが、だからって食べずにいるわけではないだろう。一体いつどこで食べているんだろうか。

「お腹空いてないからね」
「食べ盛りの男子高校生なのに」
「キミを見ているだけでお腹いっぱいだよ」
「小食なんですね」
「……胸がいっぱいって言った方が分かりやすかったかな?」
「巨乳なんですね」

私のすっとぼけた返答に即座に「触ってみる?」と返してきた先輩に「触りません」と返しながら、卵焼きをつまむ。すると先輩が身を乗り出して、あ、と口を開けた。

「……え、何ですか」
「美味しそうだし、キミが私が食べないのを心配しているようだから、一ついただこうかなって」
「……」

はぐ、とそのまま卵焼きを口に含むと、マーリン先輩が「ああ!」と声を上げた。
卵焼きを飲み込むと、お弁当に残されたプチトマトを箸で指す。

「仕方ないですね、これならあげてもいいですよ」
「キミが食べたくないだけじゃないか」
「別にそんなことないですよ、お腹を空かせた先輩が可哀想だなぁって思っただけです」
「あーんしてくれるなら食べてあげるよ」
「……わがままですね」

キミがね、と軽口を返す先輩に、むぅと唇を尖らせる。
冗談めかして言ってしまったけど、あーんするってことは間接キスするってことだ。
距離感バリ近男の先輩にとっては何の躊躇いも無いだろうが、普通の乙女である私にはちょっとハードルが高い。

……とは言え、ここで躊躇したら、絶対にからかわれるという確信があった。

「はい」
「あーんって言っておくれ」
「……あ、あーん」
「あーん」

ぱくり。マーリン先輩がプチトマトを口に含む。
そのまま私も何食わぬ顔でお弁当を食べ進める。

どうだ。間接キスなんかで動揺してやらないからな。と心の中で言いながら、ばくばくとお弁当を食べる。
ぶっちゃけちょっと役得だとも思った。バレたらマーリン先輩のファンに殺されそうなので誰にも自慢できないのがもどかしいけど。

ありがとう、おいしいよとマーリン先輩も何食わぬ顔で告げてくる。
あまりにも普段通りの態度に、「どういたしまして」と返しながら、何だか少しがっかりしてしまった。

……もうちょっと可愛げのある行動を取った方がよかったのかな。

特にリアクションを期待していたわけではないし、間接キスだねとか言われても困るけど、何も無いとそれはそれで寂しい。

なるほど、確かに私はわがままだ。

自分から素っ気なくしておいて、構ってもらえないと落ち込んで。
結局、振り回されてしまっている。

何だか一人で空回ってるのが虚しくなって、こっそりとため息を吐いた。

「ごちそうさまでした」

食べ終わってお弁当を片づけると、待ってましたとばかりにマーリン先輩が再び身体を寄せてくる。肩に腕を回され、顔が近づく。
こんな距離感で接されるのを許したつもりは無かったのに、気がついたら当然のようにゼロ距離で過ごすようになっている。

「……何でそんなにくっつきたがるんですか?」
「可愛い女の子にくっつきたくなるのは当然だろう?」
「ほんとに誰にでも言うんですね……」
「人を節操なしみたいに言わないでおくれよ」

本当に節操なしかどうかはともかく、私はマーリン先輩の周囲にいる華やかな子たちとは対局にいる人間だ。可愛いなんて男の人に言われたのは幼少期以来のことで、到底その言葉をバカ正直に受け取る気にはなれなかった。

さっきの間接キスにしろスキンシップにしろ、可愛いという台詞にしろ、私がすぐ恥ずかしがるのが面白くてやってるのは明白だ。
もし、私がこの距離に慣れてしまったら、そのときマーリン先輩は、まだ私のことを可愛いと面白がってくれるのか、その自信が私には無かった。
それどころか、私が慣れるより先に飽きられるのでは無いかって、そんな風に思ってしまっている。

「ねぇ、このまま一緒に午後サボっちゃおうよ」

マーリン先輩が私の耳に唇を寄せて、そう囁く。
ぴくりと肩を揺らした私に、ふふ、と笑みを漏らしたのが分かった。

「っ、わ、私はマーリン先輩と違って、授業受けないとついてけないので……!」
「なら勉強教えてあげるから。下手な教師より教えるの上手いと思うよ?勉強以外のコトもね」

勉強以外のコトって何だ!!
そうやって意味深なこと言って私を狼狽えさせるのが好きなんだ、この人は。分かってて転がされる私も私だけども。

「いや、戻らないと友達に心配されちゃうし」
「キミ友達いたんだ」

し、失礼な!いや休み時間にこんなトコ一人でいたらそう思われても無理無いけど!

「やっぱ教室戻ります」
「ごめんごめん。冗談だよ」

むすっとして言うと、マーリン先輩はへらりと笑って私の頭をなでた。こういうこと素でするところが凄いし、全然嫌な気持ちにならないところがまたずるい。
本当、いつの間にこんなに入り込まれてしまったのだろう。

「ていうか先輩、今日一日サボるつもりなんですか?何しに学校来たんですか」

諸々むかついてそう憎まれ口を叩くと、マーリン先輩が私の頭に頭を寄せた。ふわふわした髪が頬に触れて、くすぐったさに目を瞬かせると、次に目を開けた瞬間、柔らかく微笑んだマーリン先輩が私の顔を覗き込んでいて驚いた。

「なまえに会いに来たに決まってるだろう」
「…………」

そんなの、信じられるわけないじゃないですか。
そう思ったのは本当で、たとえ本音だったとしても、きっと「そういう」意味ではない。マーリン先輩は私をからかうのが好きなだけだから。

それでも顔が赤くなるのはどうしようもなくて、慌てて顔を伏せながら苦し紛れに「うそつき」と呟く。心外だな、と呟いたマーリン先輩が、私の身体を引き寄せると、抱き締めて言った。

「僕って案外一途なんだなぁって、僕自身も驚いてるんだよ」

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