わすれなぐさ
マーリンと私は恋人同士だ。
出会ってそろそろ一年ほど経つだろうか、最初は胡散臭い人だなと思ったのを覚えている。いや、今でも胡散臭いとは思っているのだけど。
だってそうだろう、本人は魔術師を名乗っているのだ。
それも、王城に仕える宮廷魔術師、名高き予言者マーリン様その人であると言う。
そんなバカなと思ったけれど、彼は私の目の前で魔術を使ってみせた。そして「キミにも少しなら扱えるかも」などと言ったのだ。騙されているのではという疑念を払拭しきれなかった私だけど、ものは試しと教えられたごくごく初歩の魔術を行使してみたら、出来てしまったから驚いた。
ほらね、と穏やかに笑う彼に、驚きと感心と安堵の混じったため息を返すしか出来なかった。
そうしてマーリンに魔術の手ほどきを受けているうちに、いつの間にやら私とマーリンはそういう関係になっていて、ふらりと街に訪れては、何日かを私の家で共に過ごし、宿題を残して彼は去っていく。
次に会うまでに、なんて曖昧な期限を設定されるのはとても遺憾だったので、私ははっきりとした期限をいつも問い返していた。
次に会う約束のために、私は魔術の勉強に精を出した。
「ねぇ、なまえ」
「なあに、マーリン」
「キミは何でそんなに魔術を熱心に学ぶんだい?確かにキミには魔術を使える最低限の機能が備わっているけど、魔術師には向いていないよ」
「んー?……うん……だって、私には他に才能と言えるものは無いし……、する事も無いから」
魔術なんてもの、使える者はこの街に他にいない。
勿論、だからこそそれを表沙汰にも出来ないから、確かに無意味と言えば無意味かもしれないけど。
…………でも、……もっとすごい魔術が使えるようになれば……、もしかしたら、マーリンが私を連れて行ってくれるのではないかなんて、…………そんな下心があることは、口に出せなかった。
私はいつもこの家で、マーリンの訪れを待つだけの女。
この街と王都は遠く(だからこそマーリンが宮廷魔術師なんてこと易々と信じられなかったのだ)城下の様子は旅の詩人が語る歌の中でしか聞いたことがない。
ましてや城や騎士や王についてなど、もはやおとぎ話のように遠い存在だ。
いくつかの歌を知るのみで、実在の人物であるという実感は薄かった。
その歌の中には、マーリンの歌もある。
数々の女を虜にしては袖にしているとは、さて、本当だろうか。
このままここで彼の訪れを待つだけの女でいれば、真実を知って傷つくような事も無いのだろうに、……もうすっかり、私はマーリンの虜になってしまっている。
ああ、私も詩に歌われる女の一人になってしまうのかな。
いや、こんな下町の娘の事など、詩人が知る由もない。
きっと私は何の記録にも残らないまま、緩やかにすべてから忘れ去られ消えていくのだ。
そんな暗い感情を振り払うように私はにこりと微笑むと、マーリンを見上げて首を傾げながら言ってみせた。
「それにほら、マーリンとお揃いって感じがして、なんだか嬉しくなるの」
「なるほど?可愛いことを言うね、なまえ。それはお誘いと取っていいのかな」
「すぐそういう方向に持っていくんだから」
もう、と口で言いながらもくすくすと笑って、近づいてくるマーリンの顔に背伸びして応える。
優しく落とされた口づけに、ほうと胸が暖まる心地がした。
彼のいない日々は寂しくて、でも、彼といられる時間は、間違いなく幸せに満ちていた。
――そんな、かつての事を思い出している。
逃げ場所なんて無い。
もうこの街に安全なところなど残っていない。
この街を出られたとしても――マーリンとはもう、二度と会えない気がした。
王都は遠い。
私はただの町娘で、彼は王宮に仕える魔術師で。
ほんとは、ずっと、分かっていた。
彼は私のことなんて好いてない。
どれだけ甘く響いた愛の言葉にも、真実などひとかけらも存在してはいなかった。
彼が訪れるまでの期間はだんだんと伸びて、
魔術に没頭する時間がその分増えた。
それでも私の使える術なぞたかが知れていて、死ぬまでの時間を人より少しだけ稼げたことと、苦痛を多少和らげる程度にしか、役に立てられなかった。
ああ、きっとマーリンは、私を探してはくれない。
賑やかしかった街は灰になり、マーリンと睦み合った家も、もう無い。
私とマーリンを繋いでいたものは、すべて跡形もなく消え去ってしまった。
「――――」
まーりん、と口に出そうとして、結局それは叶わなかった。
一度も言えなかったけど、私、あなたを愛していました。
あなたはたくさんの愛の言葉をくれたのに、真実だから、言えませんでした。
ずっとずっとあなたのことばかり考えていました。
忘れたことなんて、きっとありませんでした。
でも、あなたは忘れてしまうのでしょうね。
もっともっと、魔術の勉強をしていればよかった。
あなたが憎らしいです。
きっと私のこころなど知らずに生きていく、あなたが憎いです。
愛してると言ったくせに。
きっと忘れてしまうのが、とてもとても、悔しいです。
誰も愛さないで、いてください。
最期に願うのがあなたの幸せでなくてごめんなさい。
でも私、とても良い恋人だったと思うから、一つの我が儘くらい、許されてもいいはず、です。
愛さないでください。
愛さないでください。
お願いです。
誰かを愛さないあなたのままで、いてください。
きっと私は地獄に落ちます。
誰も愛さないあなたも、いつか地獄に落ちることを望みます。
恨んでいます。
憎んでいます。
愛しています。
でも、
ああ、
でも、
やっぱり、幸せになっ