勿忘草
実はね、私は呪われているんだ。
いやいや、酔って戯言を口にしているわけではないよ。
塔に閉じ込められたのも呪いだけど、それとも違う。
そっちの呪いは、本当はどうにか出来たけどどうにもしなかっただけだし、閉じ込められた時点で完結した呪いだからね。
今出てきている件について言うのは野暮ってものだよ。だって世界はもう滅んじゃってるんだからさ。勿論、それを何とかするために今私はここにいるんだけど。
ん?ああ。呪いね。そう。呪われているんだよ。誰って、勿論女の子に。
男の呪いなんて是が非でも解くとも。女の子の呪いだから許容しているんだ。
いや、でもこの呪いは敢えて解いてないわけじゃないんだけどね。解けないんだよ。魔術の痕跡を感じないんだ。不思議だね。
この呪いをかけた子も、そんなに根に持つタイプでもなかったし、ましてそんな高度な呪いを教えた覚えもないんだけど……。え?ああ、そうだよ。ちょっとだけ魔術を教えてあげたりもした。でも彼女はただの町娘だったよ。
そう、あれはまだウーサーが生きていた時代だ。
宮廷魔術師の仕事をこなしながら、合間を見て私は女の子と遊んでいたんだけど。うるさいなぁ、良いじゃないかちゃんと仕事はしていたんだから。
身近な女の子を口説くのも楽しかったんだけど、ちょっと問題になっちゃって、それで暫くは少し離れた町まで足を延ばしていた時期があったんだけど、彼女と出会ったのはそのときのことだ。
彼女はその町一番の器量よしで、でも誰とも結婚しない変わった子だった。
身寄りがなかったので猶更男に頼って家庭に入った方がよかったろうに、そんな配下に下るような結婚は嫌だと言ってね。
私にとっては都合のいい女の子だったよ。それなりに可愛くて、相手がおらず、口を出す親も親戚もいないのだからね。
それで私は彼女を口説いた。名前?覚えているよ。なまえだ。彼女の名はなまえ。
そんなに驚くことかな?名前を覚えている子だってそりゃあいるよ。だってこの子は今でも私に呪いをかけたままなんだよ?
話を戻すよ。
彼女――なまえと私は暫くして恋仲になった。結構仲良くしていたよ。私の正体?ああ、私がマーリンだということは話していたから知っていたとも。魔術を教えたと言ったろう?彼女以外の町の人間には、ただの美青年に見えていたと思うけどね。
え、そりゃ美青年でいるよ。じゃないと女の子を口説きにくいだろう。町の女の子を口説いてるところを見られて修羅場になったこともあったなぁそういえば。なまえは結構やきもちやきで、それ以来私が女の子と話していると拗ねるようになってしまった。
ああ、勿論浮気は咎められたけど……でも別れるとは言わなかったよ。やっぱり独り身が寂しかったんだろうね。あまりそういう素振りは見せなかったけど、次の約束を必ず強請る子だったし。
約束を破って数日後に会いに行くと、泣きそうな顔で出迎えられて、一通り怒った後は、とても嬉しそうにしていた。あはは、愛らしいだろう?素直な良い子だったよ。本当は寂しがりだったんだろうけど、寂しいと口にされたことは無かったな。一人に慣れすぎていたのかもね。
そうだね、気に入っていたといえば、そうかもしれない。
特別抜きんでて秀でたところの無い子だったけど、笑った顔と、あんな時代でもいつでも明るかったところは好ましかった。明日の見えない日々、しかもあの当時は先王が没したばかりで、すぐにウーサーが即位したとは言え安定していたとはとても言い難い時勢だった。悪夢のおかげで私のエネルギーは肥えたけど、私が欲しいのはそんなものじゃなかったから、いつだって前向きな彼女は見ごたえがあったよ。
うん、そうだよね。呪いなんてかけるような子じゃない。私もそう思うんだけど、最期が最期だったから。
さっき言ったように、彼女は普通の人間だったけど魔術の素養が無いわけじゃなかったから、ちょっとだけ教えてあげたりもしていた。だからね、呪いというものをかけようと思えば、出来なくはなかったと思う。だけど私に影響を及ぼせるような大魔術なんて、そうそう行使出来る筈はない。
でも死ぬ間際に魂と引き換えてまでそれを望んだのなら、そういう事も有り得るのかなぁ。
彼女の最期を私は見ていない。多分あのとき死んだろうな、って予想があるだけだ。
ああ、うん。分かってたよ。安定していたとは言い難いって言ったろう?間もなくその町は戦火に巻かれて跡形もなく消えた。
男も子も容赦なく殺され、女は散々嬲られた後にやっぱり殺されたと聞く。
確認なんてしてないよ。楽しい光景ではないし、意味もない。調査は王の配下の騎士が行った。私がすることでは無かったから。
彼女だけ助けるなんて思いもしなかったなぁ。だって考えてもみたまえ。彼女は私がその町に赴いたときだけ逢瀬を交わす、いわば現地妻だったわけだよ。他の町や村にもそういう子はいたし、一人や二人いなくなっても変わらないもの。気に入っていたとは確かに言ったけど、何も気に入っていたのは彼女だけじゃない。戦火に人が巻き込まれるのは当時の摂理で、それがきっかけの戦に勝つことでウーサーは求心力を得た。必要な犠牲だったんだよ。
……うん、まぁ。今のキミなら怒るだろうね。でも分かるだろう?私はそういうものなんだ。
だけどね、それからだ。私は彼女に呪われてしまった。
私は町が焼かれる数日前に、彼女に会っていた。彼女は相変わらず私に次はいつ会えるのかと聞いて、私は適当に10日後に、なんて言ったのだけど。その日を待たずに彼女が死ぬだろうことは察していたけど、彼女も私も、いつも通りに別れた。
そして10日後、私は彼女の声を聴いたんだ。
「マーリン」
それは確かになまえの声だった。だけど振り返っても誰もいない。気のせいかって、そのときはそう思ったんだけど。
「マーリン」
その声が時折、私の耳を撫でていくようになった。いつものように、何気なく私を呼ぶときの声色で。
最初はね、本当にただの気のせいだと思っていた。
だけどそのうち、幻覚を見るようになったんだ。
「マーリン」
そう呼ぶ声がまた聴こえて、私は反射的に顔を上げた。その視線の先にふとなまえの影が見えて、私は驚いたよ。
そうして日々を過ごす中で、なまえの影が事あるごとに私を苛むようになった。
特に規則性があるわけでもなく、本当にふとした拍子に、彼女の幻影を見るんだ。
でもそれだけなんだよね。最初は驚いたけど、慣れたら無視できるようになったし、そんなに困った問題でもなかった。
原因を特定出来ないのは不思議だし厄介だったけど……、ああそれに、彼女の影がちらつくせいで何度か女の子の名前を間違えて呼んでしまったりもしたっけな。あれは痛かった。いや物理的にね、殴られたものだから。それも次第に慣れて、彼女の影を完全に無いものとして扱えるようになっていった。
でも最後まで――彼女の呪いは解けないままだ。流石に1500年以上経っているわけで、そろそろ風化してきているけど。
アヴァロンでも彼女の幻影を見たときは、流石の私も少し笑ってしまったよ。
だから彼女に問うたんだ。
「キミはまだ私を諦めてはくれないのかい?」って。
でも、彼女は微笑んだまま、何も言わなかった。次第にその幻影は薄れ、消えていき――それでも、なまえは何度でも現れた。
とはいえ今はもう、その笑顔もだいぶ、ぼやけてきてしまったな。ふふ、随分と粘られた方だと思うけどね。
うん?そうだよ。彼女はいつも笑っている。
私が女の子と話したりしていると、ちょっと怒った顔をしたりもしていたけど。でも、基本的に幻影の彼女はいつも笑っていたよ。
そうだね、呪いというには随分と和やかかもしれない。でもこんなにしつこくつきまとうなんて、ちょっと普通ではないよね。
私はよっぽどなまえに愛されていたのかな。どう思う?ロマン君。
「それは、お前がその子を忘れられないだけじゃないのか?」
そう言うと、目の前のマーリンは口をぽかんと開けて数瞬固まった。
「――……私が?」
「お前、呪い呪いって言うけど、それは単に、お前がその子のことが好きで、何かある度に思い出してるだけじゃないのか」
「……ふむ。…………なるほど?」
手に持っていたワイングラスを口へと運びながら、マーリンは曖昧に頷いて言った。
どうでもいいけど何でこいつはボクの前で酒を飲んでるんだ。ボクは今数日ぶりの休憩時間中なんだが。お前と一緒だと折角の甘味が不味くなるだろう。変な話まで聞かせやがって。
頭の中でぶつくさと文句を言いつつ、そんなツッコミも面倒くさくてボクは目の前のショートケーキをひとかけら口へと運んだ。ああ、食べながらこいつのクズ話に付き合っていたらもう半分以上食べてしまっている。なんて勿体ない。
「じゃあなまえが私を愛していたのではなく、私がなまえを愛していたという事なのかい?」
「そんなことボクが知るわけないだろ……でも、話を聞いているとそうとしか思えなかったよ」
まぁ、夢魔のコイツにそんな感情本当にあり得るのかって言うと、かなり疑問だけど。
でもボクが人間になったのだって、ほんの少しの、小さな欲が一瞬過るような、そんな瞬間があったからで。
それは大多数の人間にとっては取るに足らないことでも、ボクらのような――以前のボクやマーリンのような者にとっては、大きすぎるほど大きな奇跡だ。
それでも奇跡は起きた。だからボクはここにいる。ケーキを美味しいと思うことが、明日のために何かをしなくてはと、そう思うことが出来ている。
大体、こいつがアヴァロンを出てきたことだって、ある意味奇跡みたいなものなのだし。
「ふうん……何だ、そうだったのか。なんてくだらない真相なんだ、ホント、バカバカしい」
暫くぼうっとして自身の持つワイングラスを見つめていたマーリンが、突然呟いたと思ったら、くつくつと笑い出した。
何だこの夢魔、酔ってるなやっぱり。
「バカはお前だろ、よくもまぁ1500年も気づかなかったな」
「いやはや、その通りだ。何で気づかなかったんだろう。……いやでも、恋愛というものはもっと劇的だと思っていたんだ。だって私は彼女が死んでもいいと本当に思っていたし、会いたくて仕様がないとかそんなことも無かったから。まさか1500年経っても忘れないほどに恋しく思ってるなんて、気づかなくても仕方ないだろう?」
「他人のコイバナに首を突っ込む前に、自分を省みろよな」
つっけんどんにそう言って、ボクはまたひとかけらケーキを口へと運んだ。うっ。もうあと一口ほどしか残っていない。
「これでも恋愛経験がないわけじゃないんだよ」
「だから、それに気づいてなかったんだろう?」
「それとは別さ。ずっとそれが初恋だと思っていた。聴くかい?」
「残念だけど、もう休憩時間は終わりだ」
最後に残った一口を放り込んで咀嚼する。ちぇ、とわざとらしく口で言ったマーリンが、グラスの中を一気にあおった。
「ここからがいいところだったのに」
「本当の初恋の話はもう良いのか?」
「キミに語ったことがすべてさ。敢えて聞かせるようなドラマなど無いとも。だけどここから先は大スペクタクルだ」
そう言ったマーリンは、ほんの少しだけ嬉しそうに見えた。確かに、恋と言うなら今の表情の方が、よっぽど恋を物語っているようには見受けられる。
ボクは、顔も知らないなまえという少女に思いをはせる。
それは呪いではないというのは、ボクの解釈だ。今はもうソロモンでないボクには、本当のところはどうだったのかなんて分からない。
もしかしたら本当に、死ぬ寸前に彼女はマーリンを呪ったのかもしれない。
一人散っていく自分が悲しくて、せめて好きな人に、自分を覚えていてほしいと。
その想いが呪いとなって、マーリンの記憶に焼き付いた、だけなのかもしれない。
「……多分、本当に大切なことっていうのは、とりとめもないやり取りのどこかに、隠れているのかもって思うよ」
「どこかで聞いたような台詞だね」
「お前は一言多いんだよ」
「キミだって私にはまったく気を使わないじゃないか」
グラスの中のワインを飲みほしたマーリンが立ち上がる。ボクも立ち上がると揃って休憩室を出た。
いや本当に何でボクはこいつと休憩時間を一緒させられたんだ。今の話がしたかっただけなのか?
だとしたら、たかが一回話した程度でもう良いなんて言うなよ。可哀想だろ、彼女が。
「ホントにお前が恋をしたのかどうか、順に思い出してみたら分かるんじゃないか?自覚した後だと見えてくるものも違うだろ」
「なるほど。確かに、人は一度好きだと自覚した後だと、もっとそれを好きになるものね。なら次も話を聞いてくれるということかな」
「お前の為じゃないけどな。このままじゃその、なまえさんが浮かばれないだろう」
「はは、お人よし」
からりと笑ってマーリンが言う。うるさい、でも仕方ないだろ。お前があまりにもクズだから不憫に思えて仕方ないんだよ。
今はもうだいぶぼやけているというのは、きっと忘れてしまったからだろう。
1500年も覚え続けていたのならもう充分だとも思うけど、でも、ボクが知ったのはついさっきだ。それも、こいつは自分の感情にまったく気づいていなかったんだから、本当に浮かばれない。
「もういない子のためにそんな風に言えるとは、キミは本当にロマニ・アーキマンになったんだな」
「……ボクはロマニ・アーキマンだよ」
そう。ボクはロマニ・アーキマンだ。顔も知らない、もうとっくの昔にいなくなった女の子の為に、次の休憩も犠牲にしようとしている、ただの人間。
……或いはこれは、ボクの罪悪感でもあるのかもしれない。自分が犠牲にしてきた、他の誰かへの。
管制室へ戻るボクに続いていたマーリンが、曲がり角で立ち止まる。
「ではまた、話せるようなことを思いだしたらキミに言うよ。本当に取り立てて話すようなことは無かったと思うんだけどね」
「それならそれで、お前に付き合わなくて済むから良いんだけどね」
「そう言わないでおくれよ。こんな話は今のところキミくらいにしか出来ないのだから」
「……ま、1500年も閉じこもってたんなら、誰かに話したいことくらいあるだろうから、少しくらいはかまわないけど」
「おや、キミが私に気を使うとは。そんなになまえに同情してしまったのかい?死してなお魅力が伝わるとは、私の話術のたまものだね」
「お前な……」
言い返そうとして、でも実際同情してしまっていたからボクは言いよどんだ。
何の意味も無いだろうけど、思い出話が少しでも手向けになればと、そう思ったんだから仕様がない。
マーリンはくすりと微笑むと、手を振って踵を返した。
「なら、次もなまえの話を用意しておくよ。王の話は別の機会にするとしよう」
……――。
去っていく背中をそのまま見つめて、完全にその姿が見えなくなった頃、ボクはゆっくりと口を開いて、呟いた。
「……あいつの恋の相手って、アーサー王だったのか…………」