Blue Happiness
「…………ぷは」
呆然と立ち尽くし、ふと思い出して息を吐く。
口の中や手先に、まだ花の感触が残っているような気がして、そっと唇を舐める。
――宇宙オニイサンめ。
思い返せばヒントはいろいろあったように思う。
なのにすっかり騙され、割と濃厚なキスまでしてしまったことに、頬が熱くなる。
いやいや、とは言っても。あれで最初から宇宙オニイサンだと気づけたら、私凄すぎるでしょ。分かんなくても仕方ない。
はぁ、とため息を吐いて、消えてしまった幻影を追いかけるように視線を部屋に巡らせる。と、ベッドの上に、ローブ姿のマーリンがいた。
「!!」
「…………」
いろんな意味でものすごく驚き、見るからに肩を跳ねさせた私を、マーリンは無言で見つめる。
うん、彼はカルデアのマーリンだ。それはいい。
いいのだが――なんだかものすごく、気まずい。
何となく後ろめたくて、一瞬目をそらした私に、マーリンがおもむろに目を細める。緩慢に首を傾げたマーリンが、無表情で呟いた。
「おかえり、なまえ」
「た、ただいま……」
いつもより低く響いた言葉に、こわごわと返事を返す。
ベッドに腰掛け微動だにしないマーリンは、じっとこちらを見つめたまま、何も言わない。
ひーん!怖いよぅ!!
いつまでも立ち尽くしているわけにはいかず、おずおずとマーリンににじり寄る。
触れるより前に立ち止まると、マーリンが両腕を開き、また小さく首を傾げた。促されるまま、そっとマーリンに抱きつく。
「無事で良かった」
「……あの、……別に、怖いことは無かったよ」
「うん」
背中に腕を回してマーリンが言う。引き寄せられるまま、マーリンの膝の上に座り大人しく抱き締められる。静かなマーリンの声音や、優しい手つきからは感情を読みとることは難しかったが、心配してくれていた、のだろうか。安心させようとむぎゅむぎゅと強く抱きしめると、マーリンが私の首筋に頬を寄せた。
「なまえの浮気者」
「……わ、わざとじゃなくて……その、騙されて……」
「ふーん。恋人の見分けもつかないんだね」
「だ、だって!私には難しいっていうか、むしろどこが違うのか教えてほしいんだけど!?」
「さて、私は会ったことも無いから、知らないな」
色を感じなかったマーリンの言葉に、拗ねた響きが混じる。
「……じゃあ、何なら知ってるの?」
「何も。“彼”については、何も知らないよ。キミとどう過ごしたのかもね」
「そうなの……? 何でもお見通しだと思ってた」
「流石の私も、何でもというわけにはいかないさ。だからこうして……」
淀みなく紡がれていた言葉が途切れ、私を抱き締めるマーリンの腕が強まる。続きを待ってみたものの、その先は聞けないまま、マーリンがため息を吐いた。
「あの……ごめんね」
「いや」
いたたまれず呟いた謝罪に、間髪入れずマーリンが否定を返す。背中を優しく撫でると、もう一度ため息を吐いて、マーリンは話し出した。
「気をつけろ、なんて言ったところで、意味はないからね。私でない私を警戒しろとか、無理なことは言えない。それを徹底させたら、私に近づくなという話になってしまうから」
「それは確かに無理だね……」
「僕も無理だ。耐えられない」
言われてどきりと胸が高鳴る。マーリンのことだから、どうせ私と離れていたって平気なのだと思っていたのに、どうやらそんなことは無いらしいと、最近じわじわ実感してきた。
「本当、どうしたらいいんだろうね。どうしてキミは、僕をそんなに惹きつけるんだろう」
言って、またマーリンが特大のため息を吐く。
どうしてと言われても、そんなの私が聞きたい。理由が分かれば、もう少しうまく立ち回れるかもしれないのに。
何にも分からないから、いつも振り回されている。
「それで。……どこまでしたんだい?」
「エッ」
おもむろに身体を離し、私の両肩に手を添えて、マーリンが真顔で尋ねる。不意をつかれてぎくりと肩が飛び跳ねた。
「その反応だと最後まではしてなさそうだね」
「してない!こう、ちょっとしたじゃれあいくらいで!」
「じゃれあいなら、キスはしたろう。キミはキスを欲しがるし」
「う!…………」
「やっぱりね」
マーリンが目を細める。いつもたいてい朗らかな笑みを浮かべているマーリンの、こういう顔は割と珍しい。などと見とれている場合ではない。
「わ、私が欲しがったわけじゃなく……て」
と、言い訳しようとしたが、相手をマーリンと思い込んでいたのだから、あまり罪状は変わらない気がする。
言いよどんで、そうっとマーリンの顔を窺う。
「怒ってないよ」
焦る私を安心させる為か、マーリンは苦笑してそう言った。しかしすぐに不満げな顔になる。
「怒ってないけど、イヤだった?」
「……そうだね。どうも僕は、僕という存在が苦手だ」
「それは、まあ、これ以上無い最大のライバルだもんね……?」
「まあね。それは向こうにとってもそうだろうけど」
憂いを帯びた目を伏せて、マーリンは今日何度目かのため息を吐いた。マーリンがためを吐くのもかなり珍しい気がする。
相手が違うと気づかずキスしてしまったことは本当に申し訳ないと思っている。しかし、彼が関わるとマーリンが珍しい顔を見せてくれるので、それはちょっと、……いや、かなり嬉しかったりして。
「人の気も知らないで、嬉しそうだね」
顔には出していないつもりだったが、私の感情の色だか味だかを読みとったのか、恨めしげ……というより、呆れたような目でマーリンが言う。ごめんなさいと素直に謝ると、肩に添えられていた両手が、頬へと滑る。何も考えず目をつむると、マーリンが優しいキスをくれた。
「……キミはそのままでいいよ」
「そのまま?」
「僕を好きなキミのままで。僕がキミを奪わせないから」
真剣な顔で、そんな殺し文句を口にするマーリンは、やっぱり相当珍しい。
最近のマーリンは、私を喜ばせるようなことばかり言うけれど、それだって、こんな風には言われない。
「……誰から?」
だからちょっと、自分の失敗を差し置いて、もうひと声をねだってしまった。
私の意図を察したのか、マーリンは一瞬口をつぐむ。
「…………、誰からも」
そして、苦笑と共に、願い通りの言葉をくれた。
――なんてことだ。
マーリンは、こんなにまいっているというのに。
私はもっと、反省しなくちゃいけないのに。
なのに、こんなにも。
きっと、絶対、間違いなく、
世界一、幸せを感じてしまっている。
私たちの恋は、私がマーリンに恋をしているのが前提だ。
私がマーリンを欲して、マーリンは恋を私に返す。あるいは、私に恋をぶつける。
それだって幸せで、それ以上を望んだつもりなんて無かったのだけど。
今の言葉で、望んだ以上の幸せがあることを、私は知ってしまったのだった。