チョコレートコスモス
バレンタインも近いある日の終業後。いつも通りにマイルームに舞い戻った筈の私は、目の前に広がる光景にピシリと固まった。
「……えっ、キッチン?」
そうキッチン。というか、キッチンスタジオ?
およそ一般人の家には置けないであろう、まな板がいくつも置けそうなカウンターを備えた豪華なキッチン……が、何故か眼前に飛び込んできた。
いや、ここは一般人の家ではなく、金持ちの家でもなく、ストームボーダーにおける私の部屋、の筈なのだが。よく見なくても違う。キッチンがマイルームに出現したわけではなく、ここはどこかのダイニングルームのようだ。どこかってどこなのだろう。カルデアのキッチンはこのような見た目はしていない。
一応、部屋を間違えた可能性を考えて、背後を確認してみる。何もない。扉もない。はいはいそのパターン。
溜息を吐きながら再びキッチンを向くと、先ほどまでいなかった男が笑顔で立っていて、本気で驚いてのけぞった。
「うわッ!!……びっくりしたぁ」
「私も驚いたよ。キミの驚きぶりに」
「無言で出てくるからだよ!」
言うまでもない気もする、おなじみの花の魔術師がそこにはいた。だが服装はいつもと違う。
髪を高い位置で結い、簡素な服の上から花柄のエプロンをつけている。髪の長さはいつもより短め。霊衣バージョンの更に亜種、といったいでたちだ。
「ということはマーリンの仕業か……」
「ということはとは?」
いやそんな準備万端な格好で現れといて、自分は関係ありませんとか無理があるでしょ。
指摘するとマーリンは何が嬉しいのかニマニマと口元を緩めながら、ごもっともと弾んだ声で返した。
「それで……これはどういう趣向?」
「うん、もうすぐバレンタインだろう?だったら答えは一つじゃないか」
「チョコ作ろうみたいな?」
「大正解♡まぁ、チョコじゃなくてもいいんだけど」
キミの得意なお菓子なら何でも、と楽しそうに言いながら、マーリンがキッチンへと入っていく。その後ろに続いてキッチンに入ると、はい、とマーリンにエプロンと三角巾を手渡された。しっかりマーリンとお揃いの、ゆめかわお花柄である。
呆れた目を向けつつ素直に受け取ると、渡されたものを装着する。どうせこれが終わるまで解放しないつもりだろう。
「素直で可愛いなぁキミは」
「私はいっつも素直でしょーが」
「うん♡いつも可愛い♡」
「……はいはい」
最近はもうずっとこんな感じでデレッデレのマーリンなので、全部付き合ってたら捌ききれない。ので多少のデレは切り捨てつつ、ご丁寧にカウンターに置かれていた製菓のレシピ本をぱらぱらとめくった。
マーリンは「キミの得意なお菓子なら」などと言うが、そもそも簡単なものしか作れない。得意とか言われても困る。それに、バレンタインの贈り物として手作り菓子が欲しい、ということなら、最低限チョコを使うものがいいだろう。まぁ、どんなものを作ったとて、マーリンに味は分からないのだが。
「それにしても急に何?お菓子が欲しいならリクエストしてくれればよかったのに」
チョコを使ったレシピを探しながら、マーリンに問う。隣からレシピ本を上機嫌そうに覗き、マーリンは答えた。
「お菓子が欲しいというか、キミとの思い出が欲しかったのさ。勿論、キミの手作り菓子もとっても楽しみだけど」
「味わかんないくせに」
「わかんなくても、キミがくれるものは何でも嬉しいとも」
「確かに、何贈っても受け取ってくれるけど……それはそれで毎年困ってるんだからね」
唇を尖らせてそう文句を言うと、マーリンは不自然に口をつぐんだ。レシピ本に向けていた顔を上げると、真顔で見つめるマーリンと目が合う。
「な、なに?」
「いや?何も?」
「何もなくないでしょ、その反応は……」
「なーんにも」
再び楽しそうに笑って、マーリンは歌うようにそう言った。
出たよ。意味深な反応をしておきながら結局黙ってるいつものやつ。
たまにマーリンは、こんな風に意図の分からない反応をする。しかし、その真意を尋ねてもまともに返ってきたことは無いので、釈然としないもののそれ以上何も聞かず、再びレシピ本に視線を戻した。
マカロン、トリュフ、生チョコ、クッキー、パウンドケーキにガトーショコラ。チョコを使ったお菓子と言っても種類はたくさんある。
本来であれば、相手の好みと自分の力量を図らねばならないところ、マーリンに食べ物の好みを聞くのはあまり意味がない。強いて言えば舌触りとか気にした方がいいくらいだろうか。
とはいえ生チョコは以前に作って渡したことがあるし。あとチョコを湯煎にかけて溶かすのが苦手なので、そういう行程がないもの……。
「チョコチップクッキーにしよう」
「これだね。じゃあ材料は……」
相談も無く勝手にそう言った私を気にすることなく、すんなり受け入れるとマーリンはてきぱきと行動し始めた。
キッチンの隣に置かれていた巨大な冷蔵庫を開けて、次々と材料を取り出していく。普通冷蔵庫に入れないものまでそこから取り出していたので、あの冷蔵庫は冷蔵庫の形をした四次元ポケットなのかもしれない。
マーリンが手渡してくる材料を並べ終えると、収納から必要な道具を取り出した。
「バター常温に戻すのどうしよ。マーリン自力でこねる?」
「常温、なるほど。常温にな~れ☆」
「それで何とかなるんだ……」
などとふざけているようで有能なマーリン魔術が飛び出したりしつつ。
二人でレシピをにらめっこしながら、クッキーづくりを協力して進めていった。
◆
シンクで洗い物を洗うマーリンという激レア映像を眺めながら、洗いあがった食器を拭いていく。ふと、そういえばスルーしていたことを思い出して、マーリンに尋ねてみた。
「ところで、なんで急に思い出が欲しいなんて言い出したの?ていうか、こんなサプライズみたいなことしなくても、事前に言ってくれれば準備したのに」
「そうできれば良かったんだけどねぇ」
何故か苦笑いでそう答えるマーリンに首をかしげる。それができない理由なんてあるだろうか、と考えて、ああ、と合点がいった。
「そっか、バレンタイン前で今キッチン大混雑だもんね。予約取るのも大変だし、そもそも大人数で作ることになっちゃう」
「そうだね。二人きりじゃなきゃ困るから」
「困るって何?」
ハハ、と誤魔化すように笑うマーリンに、もう、と相槌を打つ。
すべてを洗い終えたマーリンがタオルで手を拭くのを確認して、私も最後のボウルの水気を拭き取ると、食器用のラックにそっと置いた。
「クッキーは……いい感じだね。もう焼き終わるよ」
「そう。焼けたら一緒に食べようか」
「バレンタインに贈らなくていいの?」
「バレンタインの贈り物であれば、いつ貰ったってかまわないよ。当日は忙しいだろうしね」
「まぁ、それはそうだね。でも冷ましてからの方がいいよ」
「そこは私がえいっとしよう」
「便利だなぁ」
マーリンは実際すごい魔術師だ。それは本当に疑いようが無いのだが、こうして細々とした事象に対して連発されると、逆に凄さが分からなくなる。
それだって、私が楽をしようとするときは、出し渋ったりするくせに。
「せっかくだからお茶も淹れようか」
そう言ってマーリンがエプロンを脱ぐとキッチンを出る。後に続くと、入ったときには無かった丸テーブルと二脚のしゃれた椅子がいつの間にか鎮座していた。テーブルの上には二人分のティーカップとソーサーが載っていて、真ん中にティーポットと、その脇にシュガーポットまで置かれている。
テーブルに近づくマーリンの手からはいつの間にかエプロンが消えていて、はっとして自らを確認すると、私がつけていた三角巾とエプロンも、いつの間にか消えていた。
「紅茶の好みはあるかな?」
ティーポットを掲げながらマーリンが問う。
「マーリンのオススメがいいな」
「そうだねぇ、絆がみるみる高まるお茶とかどうだい?」
「いいね。私とマーリンの絆はカンストしてるけど」
マーリンの軽口に応えたところで、オーブンがクッキーが焼きあがったのを告げる。小走りでキッチンに戻ると、ミトンをつけてそっとクッキーを取り出した。
後から悠々と入ってきたマーリンが、またもやいつの間にか、どこから取り出したのか分からないお皿を差し出したので、そこにクッキーを移してテーブルに戻る。先ほどまでなかった花瓶がテーブルの上に置かれているのに気づき、皿を置きながらマーリンに尋ねた。
「このお花は?」
「チョコレートコスモスだよ。チョコの香りがする花なんだ」
「色が似てるからじゃないんだ」
興味本位で花に顔を近づき匂いを確かめると、かすかにそんな香りがする……気がする。そうしているうちに、マーリンが二人分のカップに紅茶を注いでくれた。礼を言うと、お互いに着席する。
いただきます、と手を合わせる私に倣い、マーリンもまた愉快そうに手を合わせ、いただきますと呟いた。二人きりのお茶会の始まりだ。
出来たてだが、アツアツではないクッキーを一枚取り、さくりと頬張る。うん、美味しい。
「どう?」
「ん。美味しい」
「ふふ、私も美味しい」
「まだ食べてないじゃん」
そう言うと、マーリンは微笑みながらクッキーを一枚頬張った。そして目じりを下げて嬉しそうに、「こっちはやっぱり分からないや」などと宣う。
ちぐはぐなその反応に目を瞬く。そんな私の目を見つめ返すと、やはりマーリンは嬉しそうに微笑み返した。
何となく照れ臭くなり、目の前のティーカップを持ち上げると、誤魔化すように紅茶を口に含んだ。これも美味しい。
クッキーに手を伸ばしながらも、にこにこと嬉しそうに私を見つめるマーリン。
私が何か食べているのをマーリンが見つめるのは儘あることだが、自分も食べているのに私を見つめているのは、なんだかとても落ち着かない。
「見ながら食べないでよ」
言いながらクッキーに手を伸ばし、一枚かじる。
「幸せな時間を焼き付けてるんだ。今くらい許しておくれ?」
「またそんなこと言って、本当に口が減らないんだから。嬉しいけど、ホント今までの苦労は何だったの」
ぷりぷりと怒ったふりをしつつ紅茶を一口。
しかしまたしても不自然な沈黙があり、ティーカップを置いてマーリンを見れば、微笑を消して私から視線をそらしていた。
「……そんなに、言ってるのかな」
「えっ!?自覚無いの?」
「いや。ふうん。まぁそうだろうね。僕が言っているのだから」
「へ?」
訝る私に応えず、マーリンは視線を下げて紅茶を手に取り、口に含んだ。いつも通りの、優雅でどこか品のある仕草。それを無言でやられると、なんだかいたたまれなくなってしまう。
ふぅ、と息を吐いたマーリンが、いつも通りの笑みを浮かべて私を見つめる。その親しみある表情に、ほっとして肩の力を抜いた。
最近は、分かりやすく恋情をぶつけてくるマーリンだけど、こうしてよくわからない反応をするのも、いつものこと。
さっきのとおり、たいていは何も答えないし、数瞬でいつも通りに戻るので、気にしても仕方ない。
気になるけど、きっと私にはわからない、心の……心の?……何かの機微があるのだろう。寂しいけど、仕方ない。
そのあとはいつも通り、楽しいおしゃべりに興じていたら、あっという間にクッキーは無くなって、紅茶はすっかり冷めてしまっていた。
◆
「ごちそうさまでした」
再び手を合わせてそう言うと、お皿を片付けようと立ち上がる。するとそんな私を制して、マーリンがテーブルを撫でるように腕を掲げた。するりとテーブルクロスを引くようにテーブルが消え、椅子も同時に消したようで、背後に目をやると無くなっていた。
「今日は本当に素敵な贈り物をありがとう、なまえ」
「どういたしまして」
遮るものがなくなったマーリンに近寄ると、ぎゅうと抱き締められる。マーリンの胸板にほおずりすると、背中に回した手を片方頭に置いて、優しく髪を撫でてくれた。
「一応言っとくけど、これとは別にちゃんと贈り物もするけどね?」
食べ物をマーリンにあげてもあんまり意味は無いし、毎年ちゃんと残るものを渡している。何を贈るか考えるのが本当にいつも大変なのだが、それでも、マーリンの記憶に一つでも深く残るよう、そうしていた。
「――いや。それは、僕のものじゃないよ」
「え?」
背中に回された腕がにわかに強まり、引き寄せられる。
高く結われた髪がぱさりと肩から落ちて、私の背中に回った。マーリンが私の頬に頬を寄せる。
「ごめんね。きっと素直に言っても、キミは同じようにしてくれたんだろうけど。恋が欲しくて、隠してしまった。キミの恋は本当に素晴らしい」
「マーリン?」
何を言ってるのか分からない。先ほどまでのそれと違って、なんだか内容が不穏だ。少し不安になり、身を離そうとすると、きゅっと腕の力が強まる。
「本当に、素晴らしくて……どうして僕はキミを、無理やり攫わなかったのだろう。帰さなければよかった」
「……? 何の話……?」
攫う、って、どこに?私はカルデアにいて、マーリンもカルデアにいるというのに。帰すってどこにだろう。分からない。
困惑する私の頬に、マーリンが数度口づける。啄むように口端に触れたと思ったら、頭を撫でていた手を頬に添え、深い口づけを贈られた。
ゆっくりと優しく這う舌に、そっと私からも舌を絡める。何だか心細そうなマーリンに、大丈夫だよと伝えるように、マーリンの気の済むまで、口づけを交わした。
「ふふ」
唐突にマーリンが笑う。唇を離し、顔を窺おうとしたが、マーリンにぐいと頭を押さえられて、その胸板に額をうずめた。
「良かったね、なまえ。両思いになって」
「え……?いや、うん……。それマーリンが言うの……?」
「嫌味だよ。僕にとっては悲しむべきことだ」
「……急に、何?どうかした?」
「まだ分からないのかい?なんて薄情なんだろう」
わざとらしくそう言って、マーリンは大きなため息を吐いた。本当に分からない。私は何かしてしまっただろうか。
「キミを好きだって言ったのは、僕の方が先なのに。ねぇ、マイハニー」
「へ?……へっ!?」
ぎょっとして顔を上げると、突然目の前に花吹雪が舞う。口の中に飛び込んできた花びらに驚いて手を離すと、マーリンの温もりがさらりと消え、そのまま部屋ごと花吹雪に包まれ、何も見えなくなる。
「ちょっと……!」
「限界だ。でも、僕は諦めないよ。絶対に」
「……!」
消えた温もりとは裏腹に、その言葉は耳のすぐ近くで響いて、思わず手を伸ばすものの、目を開けていられない。吹きすさぶ風と、舞う花びらの感触以外何も感じられず、口も満足に開けない。
言ってくれればよかったのに。黙ってマーリンのふりをするなんて卑怯じゃないか。いや、相手もマーリンなのだけど。勘違いした私が悪いのかもしれないけど。
恋が欲しかった、って。それはマーリンのモノなのに。あなたにじゃないのに。なのに、あんなに嬉しそうに。
その為だけに、サーヴァントユニバースから会いに来てくれたの?
風が徐々に弱まっていく。そっと閉じた目を開けば、目の前にはいつも通りのマイルーム。キッチンはおろか、花びら一枚残ってはいなかった。