蝶よ花よ
「マーリンていまいちどこにいるか分からないけど、温室にはわりといるよね」
隣を歩くマーリンにふとそう言ってみると、きょとんとした顔をして「そうかな」と答えられる。
私が温室で彼を見つけることが多いというだけで、実はそうでもないのだろうか。
「好んでいるというほどではないけど、気が向いたら行く場所ではあるかな。ほら自然と触れ合う私って絵になるし、女の子がよくいるし」
「ナンパ目的なのかよ」
軽薄な台詞にじとりと睨みつけるも、マーリンには柳に風だ。今更のことなので私ももう大して突っ込むつもりはない。
「あはは、妬かない妬かない。キミとデートというのも吝かでは無いよ。今から行く?」
「もののついでのように……妬くって何かな?何で私がマーリンに妬くのかな?分からないな?」
「またまたぁ。キミと私の仲だろう?」
照れ屋なんだから、などと宣うマーリンを適当にあしらいつつ、温室デートの様を思い描く。
……確かにマーリンは絵になるが、でも、あそこって結構たくさん人がいるんだよなぁ。
「デートは悪くないんだけど」
「ほう」
「人がたくさんいるところはイヤ」
「やっぱり照れ屋じゃないか」
「照れるとか照れないとかじゃなくて!落ち着けないでしょ」
……いや、マーリンと二人でデートしてるところを見られるのは恥ずかしい、というのも確かにあるけど。今現在二人でカルデアを闊歩しているので今更といえば今更だ。
いやいや、今こうして二人で歩いているのは、マーリンが私に声をかけてきたからであって……誰に言い訳をしているんだ私は。
「人がいてはダメというのなら、いない時間帯に行こうか、マイロード」
ひょいと私の顔を覗き込んでマーリンが言う。
人がいない時間帯って、あそこ結構人気だから、いつも誰かしらいる印象なんだけど。
「それって早朝とか……?私朝早いのはちょっと」
「そこはそれ、私がモーニングキッスをしてあげようと言いたいところだが」
「いやモーニングコールじゃなくて!?」
聞き慣れない単語に思わず突っ込んでしまった私をスルーして、「絶対に誰もいない時間帯があるよ」とマーリンは言った。
……絶対?
「二十時閉館だからね、あそこは。諸々の管理を終えるのに二時間として、二十二時。それ以降なら誰もいないよ」
「いやいや、閉館後に入るのはダメでしょ」
「構わないさ」
事も無げにそう言って、マーリンがにこりと微笑む。何を根拠に構わないとか言ってるんだ。
「キミが折角乗り気なんだ、この機会を逃す私ではないよ」
「……そんなに私とデートしたい?」
「したいとも。キミはしたくない?」
「……まー、しても、いい」
「うん。ならしよう」
ふわりと微笑まれて、思わず頬に熱が集う。
くそ。悔しい。
やっぱり絶対、私の気持ちなんてモロバレなんだろうな。
私は、マーリンが好きだ。
そう自覚してからまだそんなに経っていないけど、実際には自覚するだいぶ前から、もう好きになっていたと思う。
マーリンに恋をしても不毛なだけ。マーリンが私に恋をすることは決して無いのだと、ちゃんと分かっている。
だからずっと気づかないふりをしてきたけど、一度気づいてしまってからは、何をしていても見ていても、マーリンのことが頭から離れない。
たとえ両想いにはなれなくても、マーリンは私にキスしてくるし、今のようにデートしようとか、言ってくれるから。だから私は現状に甘んじて、仕方なくマーリンに付き合ってあげているようなポーズを取り続けている。
……本当は、マーリンが私に付き合ってくれているというのが、多分正しい。
それを最初に知らされたときは、現実感が無くて意外と冷静に聞いていられた。
けれどそのあと、管制室を出てみんなの顔を見ていたら、急に血の気が引いて、眩暈がして。
どうしたらいい、と縋る私に、マーリンは困った顔をして、一つの方法を提案してくれた。
……明日から、それが行われる予定になっている。
意識してしまうと、それだけで震えてしまう。でもやらなければ仕方がない。だけど。
嫌な訳では、決して無い。寧ろ……。
「では、今日の二十二時に、温室の前でキミを待っているよ」
「え、ぁ、うん」
またねと言いながら手を振って、マーリンは廊下の先をさっさと歩いて行ってしまう。
私も手を振り返すと、マーリンとは反対方向に曲がって、レクリエーションルームへと向かった。
マーリンは気まぐれなやつなのだ。だからこうして一方的に言うだけ言って去っていくなんてことも、いつものことだった。
……本当のことを言うと、いつもはちょっと寂しいなと思ったりもするんだけど、今日は夜に約束がある。
マーリンとデートなんて、いつ以来だろうか。
もしかしてもしかしなくても、ウルクでたまたま仕事が無かったときに誘われて以来、つまり私のサーヴァントになってからは初めてのことで。
何せパーティには殆ど毎回編成していたし、カルデア内でも姿を見つければ何かと話しかけていたので、逆に「一緒にどこかに出かける」とかそういうことはしてこなかった。
そもそも環境的に「遠方に遊びに出かける」というのは不可能だし、今となってはカルデアは家のようなものだから、余計にデートという感覚は抜け落ちていたように思う。
あぁ、どうしよう。とても楽しみになってきた。
別に私とマーリンは恋人でも何でもないのだが、折角デートだというのなら、ちょっとはおしゃれとか、してみた方が良いだろうか。
いやいや、たかがデートのお誘いで浮かれすぎとか思われてしまうかもしれない。うん、やめよう。
これはちょっとしたピクニックで、マーリンの「デート」という文言に深い意味は無いに違いない。きっとどの女の子にも言ってるんだろうし。
……何で私は自分の考えに自分でムカついているんだ。あぁ、本当に浮かれてしまっている。冷静になろう。このままでは浮かれて余計なことを言ってしまいかねない。
落ち着く為にその場で深呼吸をする。
気を取り直してレクリエーションルームに向かったら、その場にいたサーヴァントに顔が赤いと指摘され、慌てて何でもないと誤魔化したのだった。
◆
「こんばんは、マイロード。時間ぴったりだね」
「こ、こんばんは……」
二十二時。
温室の前でマーリンが私を出迎えた。
誰かに見つからないように、と慎重に行動していたら、思ったより遅くなってしまった。結果的には時間ぴったりだったから良かったのだけど。
カルデアの消灯は二十三時だ。
なので二十二時に出歩いていても別に咎められたりはしないのだが、閉館後の温室に忍び込むとあっては、流石に誰かに見られては困る。というか、舞い上がりすぎていて棚に上げていたのだが、本当に入って平気なのだろうか?
「さ、おいで、マイロード」
「う、うん……。ねぇ、本当に入ってもいいの?」
「マスター権限というやつさ」
「適当言ってない?」
大丈夫大丈夫、とやはり根拠不明のままそう言って、マーリンは温室の扉を開いた。
一応鍵がかかっている筈なのだが、それをマーリンに問うのはナンセンスだろう。
「……わぁ」
「ふふ、夜もまた趣が違っていいものだろう?」
「……うん、まぁ…………」
招き入れられて、中に足を踏み入れる。当然ながら灯りの消されたそこは真っ暗で、正直どこに何があるやらよく分からない。
「おっと、すまない。これが無ければキミには何も見えないね」
言って、マーリンが胸の前に手をかざす。
掌の上にぽうと明かりが灯されて、それがふわりと宙を舞い、私とマーリンの中間で漂い始めた。
「わー……映画みたい」
「何だいその感想?キミの人生の方がよっぽど映画みたいだと思うのに」
「それもそうだ」
他人事のようにそう言って頷く。何だか未だに、魔術だの聖杯だのが遠く感じることがあると言ったら、マーリンは呆れるだろうか。
「こっちだよ」
「う、うん……」
マーリンが歩き出す。灯りが私たちを先導して、道を照らしてくれている。しかし、やはり真っ暗な中で、整備されているとはいえ森のような道を進むのは、ちょっと怖い。
足早にマーリンを追いかけて、その背中に張り付くように歩く私に気づいたのか、ちらりとこちらを振り向いたマーリンが、私に手を差し出した。
「ほら」
「!……うん。……ありがと」
「どういたしまして。怖がりのなまえ」
「一言多い」
むっと唇をとがらせて言う。それにくすりと笑いかけると、マーリンは手を握ったまま再び前を向いて歩き出した。ぎゅ、とその手を握る力を強めてみる。
マーリンの手は指が長くて細くて、羨ましくなるくらい綺麗なんだけど、こうして触れてみると意外とごつごつしていて硬い。
私が握り返したのに気づいたのか、マーリンが指先で私の手の甲を撫でた。……手つきがいやらしい。
導かれるままに道を進む。
ふわふわと揺れる灯りが時折植えられた花々の傍に留まり、夜の帳に隠された姿を垣間見せてくれた。
「キミの好きな花はどれかな」
「んー。……どれだと思う?」
「え、そうくるのかい?うーん。好きな花は流石に分からないけど、……そうだなぁ」
ふわりと灯りがマーリンの手の中へ戻る。光の中から花が咲き、マーリンがそれを手に取った。
「これかな」
「……?すずらん……に、似てるけど……」
「形は似ているけど、これは別の花。どうぞ」
手渡され、受け取ってみる。細長い茎の先に、三枚の花弁が鐘のように垂れ下がった、小さな花だ。
「なんて花?」
「スノードロップ」
「聞いたことある。……うん?あんまりいい話じゃなかった気がするなぁ」
「あぁ。その花を贈るのは、相手の死を望んでいるから――という話もあるから、それかな」
「えっ……」
「はは、そんなわけないだろう。キミに似合うと思っただけさ」
「似合う……かな?花言葉が私っぽいとか?」
くるくると指先で茎を回転させながら、いつの間にか再び漂い始めた灯りにかざしてみる。
花自体は花弁が三枚しか無いからとてもシンプルだけど、形は少し変わっていて、可愛らしい。
「花言葉、そうだね。その花の花言葉は希望だよ。それから、春を待つ花、なんて呼ばれていたりもするね」
「……私褒められてる?」
「褒めているとも。キミに相応しい花だってね。実はここにも咲いているんだけど、もっと奥の区画なんだ。それに夜間は花を閉じてしまうんだよ」
「そうなんだ。……じゃあまた今度、昼に咲いているところを見にこようよ」
「おや?昼のデートは嫌なんじゃなかった?」
「嫌ってわけじゃないけど、またマーリンと一緒にいるとか言われそうで」
「なら私以外と来ればいい」
「デート中にそういうこと言っちゃう?」
「それもそうだね。では、また一緒に来よう」
そう言って、マーリンが再び私の手を取った。
デリカシーに欠けるくせに、こういう仕草は自然にやってくるんだから腹が立つ。
というか多分、デリカシーに欠けるのも私限定で、他の……ナンパ相手とかにはもっと気を使っているんだろうなと思うと、特別扱いされていると喜ぶべきなのか、女扱いされていないと落ち込むべきなのか、複雑なところだ。
少し開けた場所に出る。
暗くて何の樹だかよく分からないけれど(そもそも明るくても分からないだろうけど)、結構な大きさの樹の下まで来ると、マーリンは歩みを止めた。
「ここらで少し休もうか」
どこからともなく敷物を取り出すと、マーリンが根元に敷いた。
どうぞと促されて座った私の肩に、これまたどこから取り出したのか分からないブランケットをかける。
「用意が良いね」
隣に座ったマーリンにそう言って、ブランケットをマーリンの肩にもかけた。
スノードロップを敷物の上に置くと、肩からかけていた鞄をおろす。
その中から水筒を取り出して、それも敷物の上に置いた。
「用意が良いね」
マーリンも私と同じことを言って、おかしくなって二人で笑った。
水筒を開けて、鞄の中から二人分のマグカップを取り出す。水筒の中の紅茶を入れると、片方をマーリンに差し出した。
「ありがとう」
「どういたしまして。紅茶で良かった?」
「うん。その鞄、この為に持ってきていたのかい?」
「うん。夜中だからどうかと思ったけど、どうせならピクニックしようと思って。でも昼間と違って結構寒いんだね。水筒の中身、あったかいのにしといてよかったよ」
「ここは夜間少し温度を下げているからね。名の通りの温室もあるんだけど、そっちはこうして休めるようなスペースは無いんだよ。キミが風邪をひいてはいけないと思って、ブランケットを持ってきておいてよかった。ついでに、敷物もね」
そう言ってマーリンが私に身を寄せる。
私もマーリンにぴたりとくっついて、ブランケットを身体に巻きこむように羽織り直した。
「あっちにベンチもあるのに、わざわざ敷物まで用意してくれたんだ」
「だってここから見る景色の方が美しいから。ほら、見てごらん」
マーリンがそう言うと、目の前を漂っていた光が強く瞬く。
開けた視界の先に、闇を避けて、色とりどりの花々が現れる。
「わ、……きれい」
「だろう?キミの言う通り、昼間はここでゆっくり花を眺めながら語らうなんてことも難しいからね。夜に来て良かったろう?」
ふわりとマーリンが微笑んで言う。
自分用の紅茶を啜りながら、こくりと小さく頷いた。
正直に言ってしまうと、花の美しさより、こうしてマーリンとゆっくり出来ることの方が嬉しい、なんて言ったら、マーリンは呆れてしまうだろうか。
「……あれっ、つぼみがある」
「あぁ、あれは朝顔だよ。今は夜だから」
「あぁ……本当だ。懐かしい、昔育てたよ」
小学生の頃育てさせられたから、朝顔は流石に分かる。
「キミに花を育てた経験があったとは」
「いや……日本人なら誰でもある程度はやってるっていうか……」
悪かったな、花を育てたことが無さそうな女で。
そう言ったわけじゃないけど、考えてることが分かったのか、マーリンがくすくす笑いながら私を小突いてくる。
「何も言ってないよ私は」
「うるさい。顔が言ってた」
「おっと、それは失礼」
マーリンが笑って言う。否定しろよこの野郎。
「ねぇ、朝顔って何時くらいに咲くの?光に反応したら咲くのかな」
ふと、何となく疑問に思ったことを口にしてみる。
「いや、朝顔は暗くなってからおよそ十時間後に咲くんだよ。朝方に咲くのはそのせいだ。だから暗くする時間が早ければもっと早くに咲くし、遅ければ日が昇ってから咲いたりもする」
「へぇ……」
当然のように答えられて、やっぱり知ってるのかと感心する。花が好きというだけはある。
「じゃあ……ここの朝顔が咲くのは、えっと」
「六時くらいかな」
六時かぁ。結構長いなぁ。
「見たいのかい?」
「……見たい」
問われて、こくりと頷く。……本当は朝までこうしていたいなって、そう思っただけだけど。
「そう。じゃあ、朝まで待ってみようか」
「……良いの?」
穏やかに微笑んでマーリンが言う。
承諾してくれるとは思わなくて、驚いて問い返した。流石に朝までなんて、窘められちゃうかなと思ったのに。
「今日は特別。良い思い出になるだろう?」
「……、…………そうだね」
――思い出、か。
浮かれ切っていた脳が冷えていく。
そういえば、私がカルデアでこうしていられるのも、長くて年内までなんだ。
マーリンとこうしていられるのも、それまでなわけで。
「……あのさ」
「うん」
「マーリンは……アヴァロンに帰るの?」
今まで、はっきりとは聞かなかったことをこの際聞いてみる。
マーリンは正式な英霊とは違うから、座に還ることは無い。というか、別にいようと思えばいつまでだって留まることが出来る筈なのだ。
けれどそれを指摘して「帰らないで」というのは、流石に気が引けた。
「うん。帰るよ」
あっさりとマーリンはそう言った。「そうなんだ」と平気を装って返事する。
「アヴァロンって遠い?」
「遠いよ。物理的な距離とはまた違うけれども、聖杯の力を使っても本来なら行き来するのは難しいんだ」
「え、……マーリンでも?」
「私は聖杯ほど万能ではないよ」
マーリンが苦笑を落とす。そんなことは分かっているけど、でもだって、今こうしてここにいるじゃない。
「今は人理崩壊の名残でどうにかなっているけどね」
……指摘する前に言われてしまった。そういえばそんなことを以前にも言っていたような。
「じゃあ……もう、簡単には会えないんだね」
「うん」
沈んだ声で問うた言葉に、やはりマーリンはあっさりと答える。
もうちょっと名残惜しそうにするとか、そういうサービスは無いのだろうか。まったくもってデリカシーが無い。
「一人でいて、つまんなくないの?」
塔の中、一人花畑を眺めて過ごす日々を考えてみる。当然、耐えられるわけもない。
マーリンと一緒なら平気かなぁと少し思ったりもしたけど、やっぱり難しいだろう。
会いたい人も、やりたいことも、私にはたくさんある。
「世界を眺める楽しみがあるから平気さ」
笑ってマーリンはそう言った。
見ているだけで、どうして平気でいられるのだろうか。
直接どうにかしたくてわざわざ塔から出てきたくせにあっさりと戻って行ける、その感覚は、私にはどうしたって分からない。
「それ、そんなに楽しいの?」
「楽しいとも。それに一人じゃないさ、妖精たちもいるしね。帰ったらキミの話を妖精たちに聞かせるとしよう」
「えっ。な、何を?何て話すの?」
「それは勿論、平凡で取るに足りない女の子が如何にして世界を救ったか、ってね」
「前半はいらないでしょ!?」
「一番大事な部分だよ」
……まぁ、確かに。私のような何の取り得も無い女が、如何にして世界を救ったか、という物語自体は、きっとそれなりに面白い。
けれども実際のところ、ずっとずっと最後まで、私は周りに助けられていただけで。
今振り返ってみても、五体満足で大団円を迎えたことは、まさに奇跡としか思えない。完全無欠のハッピーエンドとは……ちょっと、言えないけど。
それでも、曲がりなりにも世界を救ったことについては、自分で自分を誇らしく思う。
けれどやっぱり、私は平凡で取るに足りない女のまま、何一つ変わっていないとも思うのだ。
マーリンが好いているのは私個人ではなく、私がもたらすもの、それ自体なんだろう。
だけどそれは、私自身の力によるものなどでは決してない。
この「物語」に私など要らなかったと言うつもりは毛頭ないが、マーリンが好ましく思っている「私」という存在は、私の周りにくっついているもので、私自身などではない。
なら、平和になった世界で、マーリンが私の傍にいる意味なんか無いに決まっている。
マーリンにとって私とこうしている時間は、別段特別なものではないのだ。
マーリンは、私に恋をしていない。
「…………」
「なまえ。……私はね、キミのこの先に期待しているんだよ」
「え?」
落ち込んでしまったのがバレたのか、マーリンは慰めるようなことを言ってきた。
顔を覗き込まれて、いたたまれず少し顔を俯ける。カップの中の紅茶を急いで啜った。
「この先、って?」
「キミの未来に、さ。世界がどうなったとしても、きっとキミはキミらしく、人の生を歩んでいくのだろうね」
「……、そんなに面白いことにはならないと思うよ」
「そんなこと――あぁ、いや。面白いと言うのも何だね。でも、うん。見応えはきっとある。それがどんなに平凡でも、キミが幸せに生きる姿は、きっととても美しいよ」
「……癒されるとか、そういう?」
「うーん?癒される……の、かな?」
「違うの?」
「さて……そこは分からないけど、キミをずっと見ていたい。そう思っているよ」
「…………」
凡人が普通に生きている姿を見ても、面白いことなんてきっと無いと思うのに、マーリンはそう言った。やっぱり慰めてくれているのだろうか。
「あのさ……」
「うん」
ずっと見ていたいというのなら、傍にいてほしい。
そう言おうとして、やっぱり言えなかった。
私がマーリンを好きだと認めるようなものだし、そうなればマーリンは、私を振らなければならなくなる。
もしかしたら私を、今だけでも恋人にしてくれるかもとちょっとだけ期待が胸をよぎったけど、そんなあさましい欲を見透かされるのも怖くって、結局何も言えなくなった。
「何でもない……」
「……そう」
気まずい沈黙が続く。さっきまであんなに楽しい気分だったのに、話題を間違えてしまった。
「寂しいのかい、なまえ」
ぽつりとマーリンが呟いて、私の肩に腕を回して抱き寄せる。
マグカップを敷物の上に置いてから、マーリンの顔を見上げて小さく頷いた。
「もう……会えない、んだよね」
「……さて、どうだろう。私は未来視は持っていないから」
「そういう言い方されると、もう一回くらいは会えるのかなって思っちゃうよ」
期待して良いのかな。もしかしていつかはと、そう思っていても良いのだろうか。
そう問うと、マーリンは少しだけ困った顔をして「そんなに寂しがられるとは、男冥利に尽きるね」と言った。
しまった、これじゃ結局縋ってしまったも同じじゃないか。
慌てて顔を背けると、「ずっと一緒にいたから」と無理矢理に誤魔化した。……ちゃんと誤魔化せたかは疑問が残るが。
「ねぇ」
「ん、!」
「……ふふ。私も、キミに口付けられなくなると思うと名残惜しいよ」
唇に唇で触れられて、驚いて仰け反った私の肩をしっかりと抱き留めながら、マーリンはいやに色の篭もった目で私を見つめて言った。
その顔に、一気に熱が頬に集う。
「……っ、もう!何するのいきなり」
「何ってキスだよ。キミが寂しそうにするから」
「そーやっていっつも女の子を誑かしてたんだな、悪いやつ」
「誑かされてくれるのかい?」
「た、誑かされてたまるか!」
……もう誑かされてるよこのバカ。もしかしてマーリンって私の気持ち本気で気づいてないの?
「ふふ、そのまま頑張って耐えておくれ。これからもーっと凄いキスしなきゃいけないのに、この程度で靡かれては技のふるい甲斐が無い」
「……随分自信がおありなようで」
くそ、キス一つで無理矢理気持ちを浮上させにくるとか卑怯だ。
寂しい気持ちは消えないけど、キスされて嬉しい気持ちの方が今は勝ってしまっている。
誤魔化すように憎まれ口を叩く私に、マーリンがにやりと笑みを深めた。何だその性格の悪い笑みは。
「そりゃああるとも、磨きに磨いた技をついにキミにも披露できるのかと思うと、いやぁ待ち遠しい。やるからにはキミを心地よくさせてあげたいからね、持てる力の限りを尽くしてキミに極上の快感を贈るよ」
「何の話をしてんの!?」
「魔力供給の話だろう?」
「何かいかがわしかったんだけど!?」
「え!?なまえってば一体何を想像したんだい。私は純粋にキミに苦痛を与えないよう気を配るよと言っただけなのに」
「嘘吐くなッ!!」
しらばっくれるマーリンにカッとなった私を見て、マーリンが喉奥で笑う。何がおかしい。
そう。私はマーリンと、明日から魔力供給を行うことになっている。
今の今まで炉心から与えられていた魔力を、急に一人で補わなければならなくなった私は、順次サーヴァントを座に還すよう通達された。
だけどそんなのは嫌だから、マーリンにお願いして魔力を補給してもらうことにしたのだ。
血を飲むとか、他にも方法を提案されはしたのだけど、私の為に毎回傷を作るのも憚られ、選んだ方法がそれだった。
即ち、体液交換による魔力供給。
体液交換とは、端的に言えばキス(深い方)である。
「すぐそうやって私をからかおうとして。キスした程度で骨抜きになるとか、本当にあるわけ?」
「さーて、それは人によるだろうけど。キミは下手そうだし弱そうだね」
「やってもないのに失礼すぎない!?」
「だってなまえってば触るとすぐ反応するから」
「ひゃ!?」
「ほらね」
言いながら肩に回された手が腰へと滑らされ、掌が脇腹をくすぐった。
飛び上がる私にマーリンがにやにやとした笑みを寄越す。
「ずーっと、キミにキスしたらどうなっちゃうんだろって、思ってはいたんだ」
「き、キスならずっと前からしてるくせに!」
「本物のキスって意味さ」
本物って何だよ!人の唇を前菜みたいに言いやがって。
「舌入れられたくらいで、そんな……変わんないでしょ。……ないよね?」
「……気になる?」
スゥとマーリンが目を細める。ほんの数センチの距離まで顔を寄せられ、目を逸らす。
「なまえ」
「……っ」
「どうせなら、今、しちゃおうか」
「っ、ぇ」
「魔力供給」
「……で、も」
躊躇う私の耳元で、マーリンが誘うように囁く。
「明日でも今でも、変わらないよ」
どきりと胸が高鳴って、無意味に目線をあちこちにやる。
するのは魔力供給であって、別段怪しい意味なんて無い筈なのに、マーリンの言い方はまるで欲を煽っているようだった。
「ま、魔力供給って……ホントに、キスするだけ、なの?」
「ん?それ以上もしちゃっていいのかい?」
「ば、ばか!そうじゃなくて、事前に呪文とか、何かそういうのは要らないのかなって……」
言い募る私に、マーリンが「ああ」と涼しい顔で呟いた。普段通りの穏やかな顔で、軽やかに話し出す。
「要らないよ、キミと私はもう既にパスが繋がっているからね。サーヴァントのふりをしているとは言っても、そこは抜かりないさ」
「へ、へぇ……?」
私に寄越すほど魔力を持っているくせに、何でわざわざパス繋いだんだろう……?サーヴァントとマスターがそういうものだから……?
疑問に首を傾げる私に、マーリンが更に顔を寄せる。
それこそキスしそうなほど近くまで寄せられた顔にいたたまれず身を引こうとして、案の定しっかりと肩を掴まれそれは妨げられてしまった。
「だから、ほら。いつでもどこでもキミにしてあげられるんだよ。今ここでも、ね」
「っ、ぅ」
マーリンの吐息が顔にかかる。甘くとろけるような声で囁かれ、鼓動が高鳴ってしまう。
震えそうな声を必死で押しとどめながら、躊躇いを乗せて口を開いた。
「ここで、って」
「シチュエーションとしては申し分ないと思うんだけど」
「ま、魔力供給はデート中にするものじゃないでしょ!」
「なら、今からするのはただのキスってことにしようか。……本物の、ね」
「い、いや待って、魔力供給でい、」
「じゃあ、それで」
魔力供給で良いから、それは後にしておこう。
そう言おうとしたのに、言い切る前に唇を塞がれてしまった。
驚いて咄嗟に目を瞑る。舌で唇をこじ開けられ、そのまま口内を蹂躙される。
「……!!ふ……ッ!」
絡められた舌のぬるりとした感触に驚いて、私は声を漏らしてしまう。
マーリンが舌先で、私の舌をすりすりと撫でた。思わず肩が震える。
「っぁ、は……!……んん……!」
あっという間に翻弄されて、びくびくとマーリンの舌が蠢くままに反応してしまう。
舌で舌を舐めているだけなのに、どうしてこんなに、き、きもちいい、のだろうか。
息も絶え絶えな私と違って、マーリンにはどこも乱れた様子が無い。
思わずそっと目を開くと、マーリンも薄く目を開けて私の顔を見ていた。
「…………ッ!!」
必死な顔を見られた。
そう思ったら物凄く恥ずかしくなって、もう一度強く目を閉じた。
マーリンの舌はいっそう激しく私の口内をかき回していく。
舌だけでなく、歯の裏や口蓋までなぞられて、身体中にぶわぶわと熱が迸っていく。
「…………、ふ……っ」
ようやく唇を離された頃には、私は肩で息をするほどだったのに、マーリンは変わらず平気そうな顔をして、私の顔を見つめていた。
ぐっと唇をかみしめて、ぎんとマーリンを睨みつける。
「……っ、なに、するの!」
「魔力供給、だろう?」
唇を弓形に逸らしながら、マーリンが意地悪く言う。
予想通りの返答に、ぎりぎりと更に唇を噛んだ。
だけど今の今までその唇にマーリンが触れていたのだと思ったら急に恥ずかしくなって、慌てて噛むのをやめ唇を引き結ぶ。
「ほんと、……信じらんない、勝手に……」
「心外だなぁ、魔力供給で良いとキミが言ったんじゃないか」
「誘導尋問みたいなもんでしょアレ!どっちに転んでも絶対するやつじゃん!!」
「いけなかった……?」
「そんな顔に今更騙されないからね!?」
叱られた子犬のようにしょんぼりとした顔をするマーリンにきっぱりと言い放つ。
……とはいえ、反省してないことは分かりきっていても、その顔自体は可愛いなと思ってしまうのが悔しい。
「そんなこと言って、随分と気持ちよさそうだったじゃないか。思っていた以上と言わざるを得ないな、あっぱれだよなまえ」
私の言葉にあっさりとしょんぼり顔をやめたマーリンが、からからと笑って言った。
「な、なに、何が!?」
「いや、キミの反応がね」
「息が出来なくて苦しかっただけ!」
「うん、その顔が可愛かったなぁって」
「…………!」
マーリンに怒ってやろうとするものの、言葉が出てこず口を開けたり閉めたりを繰り返す。
そもそも何で顔見るの!?いや、私も途中で目開けちゃったけども、マーリンは最初から見ていたに違いない。そんな気がする。普通はキスするときって目を瞑るものでしょまったく、……え、違うの?
「……っ、目、開けるなっ、バカ!」
「えぇ?キミだって開けてたじゃないか」
まごつきながらも言った言葉に、マーリンが素っ頓狂な声を上げて返す。指摘されると余計に恥ずかしくなって、私は咄嗟に叫んだ。
「私は良いの!」
「……くっ」
ぷんすか怒って滅茶苦茶なことを言う私に、マーリンが笑いをこらえるように肩を震わせる。
こ、この、こいつ、人をおちょくりやがって!
「笑うなっ!」
「っく、ごめんごめん、ふふふっ、良いよ、キミがそう言うなら目を閉じていてあげる。どっちでも私には同じだからね」
「は!?……あっ」
「あっはははは!」
ついに我慢出来ないとばかりにマーリンが声を上げて笑った。私は恥ずかしさのあまり顔を覆う。
……マーリンには、千里眼があるのだった。
「…………もう、好きにしたらいい……」
「ふふふ、お言葉に甘えるとしよう」
がくりと項垂れて敷物の上に突っ伏す私にブランケットをかけ直しながら、楽しそうにマーリンは言った。
……久方ぶりに思いっきり笑ったところを見られたので良かったと思うことにする。
こんな場面でそんなに容赦なく感情を消費することもないと思うんだけどね!
もっとこう、私がかっこよくキメてる場面とかで使ってほしい。
「まだまだ色々と楽しめそうだね、マイロード」
「……悪い男みたいな言い方だなぁ」
「本当に悪い男はもっといい男のふりをしているものだよ。私が誠実な男で良かったね、マイロード」
「え……?ちょっと待って幻聴が聞こえた」
「私が誠実な男で良かったね、マイロード」
「に、二度も言いやがった……!」
よくもまぁそんな戯言を二度も口に出来たな。
ジト目で睨む私など何処吹く風とばかりにマーリンは微笑んでいる。
こういう穏やかで優しそうな眼差しに黙くらかされた女の子が、たくさん泣かされてきたのだと思うと同情する。
……でもよく考えたら、最初からコイツが女好きの人でなしだと知っていて好きになった私の方が、遥かに可哀想な気がしてきた。
そう考えると、確かに最初から「自分はクズで人でなしだ」と私に開示したマーリンは、ある意味誠実と言えるのかもしれない。
そのうえで近づいて、唇を奪われてなお傍に置き続け、必要なことだからとディープキスまで許してしまった私は、底抜けのバカだ。
「……なんか、私がバカみたい」
「今更だなぁ、私はそんなことちっとも気にしてないから元気を出しておくれ」
「フォローになってない」
肘でマーリンを小突くと、いて、とマーリンが声を上げる。
はぁ、もう、完全にマーリンのペースだ。
さっきまであんなに泣きたくなるような気分だったのに、今ではもうすっかりと軽くなっていて。
にこにこと笑うマーリンの顔を見て、楽しいと思っているのは私だけじゃないって、そう思えた。
――その気持ちをマーリンが失っても、そう感じたことは忘れないでいてくれると、信じてもいいだろうか。
だって、忘れがたいって、そう言ってくれたもの。
「ねぇ、マーリン」
「何だい、なまえ」
優しい、穏やかな眼差しが私へと向けられる。
やっぱり私は人のことは言えない。その眼がどんな欺瞞に満ちていても、私はこの眼がとても好きだった。
……ううん。どんなマーリンだって、大好きなんだって、そう思う。たとえそれが、何一つ本物でないとしても。
「私といるの、楽しい?」
「楽しいとも」
平静を装いながら微笑んで尋ねた言葉に、マーリンが即座に返事を返す。
嘘か本当か分からないけど、良かったと、そう思う。
「私も楽しい。だから、もうちょっとだけ一緒にいたかったな」
「……素直だね、珍しく」
「普段素直じゃないのはマーリンのせいだよ」
「ごめん。キミをからかうの面白くて」
「うん、素直すぎるのもどうかと思うな私」
「ごめんったら、だって可愛くて」
「はいはい」
困ったように言いつつ顔は笑ったままで、マーリンは私に身を寄せるとぎゅうと抱き締めた。
つれない態度を取りながらもやっぱり私の心は舞い上がってしまって、己の単純さを恨む。これじゃあ面白がられるのも無理はない。
「まだ日はあるよ」
「うん……」
「今日のことも、きっと良い思い出になる」
「……うん」
優しく、マーリンが私の頭を撫でて言う。
マーリンにとっても、そうだと良いんだけど。
「たくさん思い出作りたい」
「あぁ。まだ間に合うさ」
「……アヴァロンにも行ってみたいな。マーリンの宝具でしか知らないけど、凄く綺麗だし」
言い訳をくっつけて、ドサクサ紛れにそう言ってみる。
意外にもマーリンは行ってみたいという言葉を咎めることなく、「そうだね」と頷いた。
「美しい場所だということは保証しよう。だけど住むには適さないよ」
「住人のマーリンが言うんだ」
「だって何も無いからね。何も無いということに、人間は耐えられないだろう」
それはきっと、そうだろう。さっき自分で結論付けたことだ。言われるまでもない。
でもじゃあ、人間じゃなかったら?
「……死んで幽霊になってから、とか」
「ダメだよ」
ぴしゃりとマーリンが言う。私は俯く。
「アヴァロンにキミの居場所は無い。人の世に私の居場所が無いようにね」
……そんなにも、マーリンにこの世は生きづらいのだろうか。
上手くやっているように見えても、どうしようもない断絶を内に抱えているというのだろうか。
誰も自分を理解しない世界とは一体どんなものなのか、想像さえ出来ない私では、ただ寄り添い共に在ることすら、難しい。
私がマーリンとしたいことは、些細でありきたりなことばかりだ。
こうやってデートするのもその一つで、もっと言えば、浴衣を着て夏祭りに行ったり、水着で泳ぎに行ったり、人でごった返す中で花見に興じたり、精一杯おしゃれをして、二人きりで出かけたりしたい。そういう他愛ないものばかり。
でもこの気持ちを、きっとマーリンは理解出来ない。私が一人きりで平気なマーリンを理解出来ないように。
スノードロップの花を身を乗り出して手に取ると、マーリンはそっと私の髪にその花を差した。
「色持つ花よ。その色を、きっと大事にしておくれ。キミは人の世界にいるべきだ」
まなじりがそっと細められ、マーリンが私を見つめる瞳に光が反射して瞬く。
まるで愛しい恋人に愛を告げるかのように、甘く美しい声でマーリンは私に囁いた。
「人の世界で生きるキミは、何よりも美しい。マイロード。私に色をくれて、ありがとう」
――唇が触れる。
まるで愛されているみたいだと思ったら自然と笑みが浮かんで、それなのに目じりから涙が一つ、零れ落ちた。