Fall in love 前編

ストームボーダーの自室マイルームで、なまえの意識が浮上する。身体につきまとう気だるさに、ぼうっと天井を眺めるなまえを微睡みから覚醒させたのは、よく聞き慣れた、穏やかな心地よい声だった。

「おはよう、マイロード。いい朝だね」
「――っ!う、っ」
「おっと」

一気に目が覚めて、勢いよく起きあがると、くらりと目がくらむ。そんななまえの身体を支えると、「こら」と窘めるように柔らかな声をかけて、マーリンはそっとなまえの頭を撫でた。

「まだ本調子では無いのだから、無理に身体を動かさないように。……死闘の後だ、ゆっくりしたまえ」
「……マーリン」

ナウイ・ミクトランで文字通りの死闘を乗り越え、ようやく通常営業に戻ったストームボーダーで、いつものようにマーリンは微笑んだ。ぱちぱちとなまえが瞬きをする。

マーリンの言うように、まだなまえの身体は本調子にはほど遠い。とんでもない敵と、長時間にわたって神経をすり減らしながら戦い、命からがら勝利をもぎ取った。何とか生還出来たとはいえ、精神的にも肉体的にも、蓄積したダメージを回復するにはまだまだ時間が足りない。

しかしなまえは、ふうと息を吐くと、ぱちん、ぱちんと自分の頬を軽く二度叩き、最後にもう一度、強く自分の頬を両手で打った。ばちん!と大きな音が鳴り、マーリンは思わず目をみはった。

「こらこら、無理をするなと言ったそばから何してるんだい」
「いや、夢じゃないよなって」
「また古典的なことを……それ、夢の中でやってもあんまり意味無いよ。思い込んじゃえば痛みも再現されるからね」
「じゃあこれは夢?」
「夢じゃないとも。夢魔の私が保証しよう」
「それも夢の中の私が言わせてない?大丈夫?」
「これが夢なら、キミが夢だと感じた時点で目は覚めてるよ。いつもそうだろう。それとも、もっと強い刺激がお望みかな?」

呆れてマーリンが言いながら、なまえの頬を指先で撫でる。咄嗟に「いい」と断ってから、なまえは目をこすって頭を振った。どうやらきちんと覚醒している。
ベッド脇に立ったままのマーリンが、隣に座ろうとするので、なまえは身体をベッド端に寄せた。

「何で夢だと思ったんだい?」

キミが夢を疑うのは珍しい、と尋ねるマーリンに、むぐ、と思わず口を噤む。特異点修復にしろ、異聞帯攻略にしろ、終わった後にひょっこりとマーリンが顔を出すのはいつものことだったから、大して不思議な光景でもない。マーリンが疑問に思うのは当然だった。

でも今回は、ほんとに死ぬかと思ったものだから。

だからなまえは思ったのだ。

生きて帰れたら、真っ先にマーリンに会って、伝えなければと。

「――会いたいと思ってたから、願望を夢に見てるだけかもと思って」
「それだっていつものことなのに?」
「いつも私がマーリンのこと考えてると思ってるの?」
「違うのかい?」

あんまり違わない。そう思いながらも、笑いながら宣うマーリンになまえは少し悔しくなった。それでも、そんな態度も今更だ。

そう、今更なのだ。なまえがマーリンを大好きで、マーリンがそんななまえに呆れながらも付き合ってくれるのは。
それでもなまえは、どうしても言わなきゃならないと思ってしまった。こうして生還し、実際に対峙した今となっては、別に言うまでもないと思わなくも無いのだが、それでも――。

「あのねマーリン」
「うん?」

くいと、なまえがマーリンのローブの裾を摘まんで引っ張る。マーリンはいつも通り優しく微笑みながら、小さく小首を傾げて言葉の続きを促した。

「私マーリンが好き。大好き」
「……どうしたんだい急に」
「えっと……どう伝えたらいいか分かんないんだけど。何ていうか、マーリンがどう思っても、これは言わなきゃなぁって」
「十分知ってるつもりなんだけどな」
「知ってほしいとか応えてほしいとかじゃなくて、私のモチベーションの問題というか。ついでに言うと、結婚してください」
「……本当に急にどうしたんだい」

なまえの突然の告白に、マーリンは困ったように眉を下げて尋ね直した。
改まって再告白してきたなまえに、答えは変わらないと断った記憶がまざまざと蘇る。苦い思い出として刻まれたその記憶を、まさかなまえはすっかり忘れてしまったのだろうか。

「ごめん、これはただの自己満足。もう、いつ終わるか分かんないから。……何度伝えてもやっぱり足りないけど、出来るだけ未練は残したくないなって……」

えへ、と申し訳なさそうに笑いながらなまえが言う。

「――……」

その言葉に、マーリンは喉を詰まらせた。

七つの異聞帯は解消され、残る謎の手がかりは南極に。この物語の行く末がどうなってしまうのか、なまえにはまったく読めなかったが、どの道ずっとこのままではいられないことは分かっていた。

なまえが死んでも、
世界が滅んでも、
事態が解決しても、
どうしようもなくても――

そこで、終わる。
「異聞帯を攻略する」という目的を達成し終えた今、もう、この状況を続けられる理由を見いだすことは、なまえには出来なかった。

それでなくとも。

二度と会えないかもしれないと――

ピンチになることは常だけれども、本当に今度こそ。

――私はここで死ぬのだ、と、絶望してしまった。
というか、実際に死んだ。

そうして――だからこそ。
生きて帰れたなら、絶対にマーリンに伝えようと決心した。
なまえにとっては、いつだってそれが一番の希望だったのだけど――

本当の本当に絶望したからこそ、なまえはひとつ、吹っ切れてしまったのだった。

「これからずっと、毎日、マーリンにいっぱい好きって言う。好きになってほしいって思う。それで、ギリギリ限界まで、一秒でも長く傍にいてって、最後までわがままを言うよ。……ううん、やっぱりずーっと、ほんとに最期まで。末長く一緒にいて。私と結婚して」

心なしか目を潤ませて、真面目になまえはそう言った。きらめく眼差しを見つめて、マーリンはどう返事したものかと、そう考えながら、言葉を発する前に、なまえを抱き寄せてしまっていた。

ああ、また。やってしまった。

そんな風に考えながら、マーリンは深くなまえを抱き締める。そんなマーリンに、なまえもまた、腕を回してぎゅうと抱きついた。返事の前に抱きしめられて、誤魔化されているのかな、と脳裏に浮かぶものの、別にこれでいいとも思う。そもそも自分のわがままであり、マーリンには迷惑でしかない宣言だった。

実際本当に、迷惑なのだ。マーリンは、なまえに幸せに生きてもらいたい。美しいモノは、正しい場所で、相応しい景色の中にあるのがいい。マーリンの傍に在るなまえは歪んでいる。くすんでいる。褪せてしまう。
マーリンにしたって、こうして人の中にいるのは、やはり居心地が悪いもので。ずっと居たたまれない。ここに居場所はない。どこにも自分のいる場所なんてない。

そんな事も知らないで、残酷になまえは言う。ずっと傍にいてほしい、なんて。

どこに、マーリンとなまえがずっと過ごせるような場所があるというのか。
マーリンはなまえを抱き締めながら、ほんの少し苛立った。
二人が幸せに、末長く暮らせる未来なんて、無い。無いからこの手は取ってはいけない。
――なまえを、手放すことでしか、僕は幸せになれない。

幸せに、なれない、のに。
――手を伸ばせば触れられる距離になまえはいて、そしてなまえからマーリンへと手を伸ばすのだ。捕まえてくれと。

だからこうして、うっかり手の中に入れてしまう。

抱き込んでしまえば、眩しさに目を細めることも無い。なまえの姿は視界から消えて、ただその感触と息づかいが感じられる。マーリンはなまえをずっと見つめていたい筈なのに、どうしてか、この瞬間には安心があった。

離したくない。――手に入れたい。
たとえもう二度と、何も見ることがかなわなくても、なまえが手の内にあるのならば、自分はきっと満たされる――

そこまで考えて、次には脳裏に考えたくもない像が過る。
なまえが、喪われてしまったら。

いやだ、とマーリンは心中で呟き、更に強くなまえを抱き締める。何も言わないマーリンに、なまえも流石に少し動揺した。

「……マーリン」
「……」
「えっと……困らせて、ごめん……でも、全然、良いからね。その、好きって言うために、これからも頑張ろうって、そういう話だから」
「……それはつまり、キミの帰る場所になれって言ってる?」
「――ああ、そう、そうだね。うん、そう。結婚してほしいって、多分そういうことなんだな」

独り言のように呟くと、なまえは目を伏せ笑みを浮かべた。なるほどそう言われると、それでしかない。
どんなに厳しい状況でも、またマーリンに会う為なら、いくらだって頑張れる。いつもそうして、今回もそうで、再会したなら、やりたいことをやろうと思った。

世界を救うため、とか。そんな動機では、ここまできっと来れなかった。
また明日、好きな人に会いたい。

「会いに来てくれてありがとう、マーリン」

マーリンがどういうつもりでなまえに会いに来てくれるのか、なまえには分からない。会いたくてどうしようもないのは自分だけ。もしかしたら、そんな自分の浅ましい動機などマーリンにはとっくにお見通しで、世界のためにそうしているのか。

それでも、こうして会話して、触れて、抱き締めて。
そういうことが許されるのが、なまえには幸せでたまらないのだった。

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