Hope of Avalon
一目見て、彼女はもうボロボロだと気づいた。
肉体的にも勿論、精神的にも、暗い澱のようなものが精神の奥底を漂って、ああ、おしまいは近いな、と、初対面にして私は悟ってしまった。
それなのに。
「……マーリン……?」
それなのに、彼女は。
私を見た瞬間に、澱んだすべてが消し飛ぶような衝撃をもって、そうぽつりと呟いた。
「LAって呼び方は、流石にどうかと思うんだよ」
さて、そんな思い出も今は昔。
晴れてカルデアに召喚された私ことレディ・アヴァロンは、現在マスターであるなまえと顔をつきあわせて、彼女の部屋でお茶をしながら談笑の真っ最中だった。
味わかるか知らないけど、と言って差し出されたお茶をありがたくいただきながら、言われた台詞に首を傾げてみせる。レディ・アヴァロンと名乗って以降、彼女は致し方なし、とでも言いたげに私のことをLAやレディと呼んでいたが、ついぞ我慢出来なくなったらしい。
「では、アヴァロンとでも呼んでみるかい?それとも、お姉さんと呼んでくれても私は構わないよ」
「私の妹なんじゃなかった?」
「兄のことを兄くんと呼ぶ妹だっているのだし、妹をお姉さんと呼ぶ姉がいても不思議は無いだろう」
「いやいや全然違うし。兄くんと呼ぶ妹とか、何の知識をどこから仕入れてるんだ」
律儀に突っ込みつつ、マスターは「じゃなくて名前で呼ばせてほしいって話だよ」と目尻をつり上げながら言う。
「レディ・アヴァロンが本名だ、と言ったと思うのだけど?」
「アーサーの前で同じことが言えたら信じてあげる」
「うっ、なんて的確な攻撃方法なんだ。マイロードってば私のことをしっかり理解してくれているね」
困ったように眉を下げてそう言うと、マスターは呆れたように息を吐いた。
私の本名が何であるのか――そんなこと、とっくに分かっているだろうに、彼女は正体について執拗に触れるような真似はしてこなかった。実際このカルデアには、同一存在の別側面やら本来あり得ない霊基やら、ごろごろといて、それぞれにそれぞれの事情があるのだからと、彼女は納得しているようだった。
だから、LAと呼ぶのも仕方ない。マーリンの妹として接するのもそれはそれ。……と、納得しているものと思っていたので、今更そこに言及されるのは、少し意外だった。
まぁ、彼女……なまえにとって、「マーリン」は特別な存在なようだから、どうしても納得出来なかったのかもしれない。
「別にね、本名を暴こうってんじゃないんだよ。というか、本名は分かってるから。もうそれはいい。なんていうか、私が分かってればいいかなって、そこは飲み込んだ」
と言うと、マスターは実際に目の前のお茶を飲み干してみせた。そうして一息つくと、目線を私に戻して、ふっと小さく息を吐く。
「LA、エルエー……アルファベットの略称は流石に、なんというか、距離を感じてつまらないでしょ。だから……エル、……とかはどうかなって」
「ははぁ、なるほど?別に私は構わないが、大して変わらないじゃないか?愛称がより縮まって、まぁ名前っぽくはなるけども」
「……私の気持ちの問題っていうか……」
やけに歯切れ悪そうに、目をそらしながらもごもごとマスターが口ごもる。
ん?と小首を傾げてみせると、ぱちぱちと瞬きを繰り返して私を見つめ、少し顔を赤く染めながら、なまえが意を決したように、口を開いた。
「えれ、エレイン」
「え?」
「エレインて、どう?」
「……どう、とは?」
「だから、名前。……わ、私がつけた、LAの、ここでの名前」
何が恥ずかしいのか、なまえはますます顔を赤くしながら、言いにくそうにそう言った。
名前。
私の、ここ、……カルデアでの。
「レディもアヴァロンも、名前じゃないでしょ。仮名って言うにはあまりにも、ちょっと淡白すぎる、だからどう呼ぶのがいいかなって、ずっと思ってて……」
言い訳でもするように、なまえが慌ててそう言った。ずっと、ここに召喚されてから、……いや、なまえのことだから、本当は会ったときから考えていたのだろうか。
「どうして、エレイン?」
「……LAのエルにかけられるし、意味的にも……あってるかなって。アーサー王伝説にもゆかりがある名前だし」
「名前の意味まで調べてくれたのかい?」
「い、いや、たまたま知ってたというか……」
と、言いながらなまえがちらりと目をそらす。
きっと、というか絶対に「マーリン」関連で何かを調べていたついでに行き着いたのだろう。
しかし、はて。
確かにアーサー王伝説にゆかりのある名前ではある。
けれど「マーリン」にゆかりのある名前とはあまり言えない。
「そう呼ばれるのは吝かではないけど……意外だな」
「意外?」
「他にもっと候補はあったんじゃないかって。例えばガニエダ、ミルディン、エムリス、アンブロシア……」
「それ自分で言っちゃう?殆ど本名暴露じゃない?」
「あくまで仮名の話だよ、仮名の」
笑って流すと、いつも通りなまえは不服そうにしながらも飲み込んでみせた。やはり私の本名について、あからさまに突っ込むつもりは無いらしい。
「まぁ、勿論そういう候補もあったけど、響きがマーリ……いや濁点多いなって思って。エレインって可愛いじゃん。意味も似合うし」
「"美しい乙女"って?ふふ、ありがとう」
「ここで傾国しないでね」
「私は別に、そんなことしてないけどなぁ?」
「ほんとにぃ?正直こんな美少女がぽんと男所帯の中にいたら、争乱の一つ二つ起きそうなんだけど……」
「そこはそれ、手練手管の見せ所ってね」
ばちんとウインクしてみせると、そういうとこだよ~と眩しそうに目をつむりながらなまえが悶える。
ふふ、まったく可愛いマスターだ。
「うん。せっかくの命名だ。喜んで拝領しよう」
「い、いいの?」
「いいとも。むしろ、ありがたいくらいさ。いいのかい、こんな贈り物を貰ってしまって?」
「いいに決まってる。私が勝手にそう呼びたいだけだから」
「ふふ。何だかなまえだけの特別な呼び名のようでくすぐったいね?」
「べ、別に私以外もそう呼んでいいけど……まぁ、それはそれで……」
アリだな……と呟くと、なまえはにやにやと口元を緩めた。うん、本当に可愛いなぁ。
なまえが男の子じゃないのが残念なくらいだ。……男の子のなまえか……。
「男にしちゃうのもアリか」
「なに何の話?やばい企みしてない?」
「してない、してない」
ちょっとした悪戯を思いついただけだよ、とは言わずにおいて、にっこりと微笑み返す。
疑わしげに見つめてくる瞳は意に介さず、ティーカップを手に取りお茶を啜った。
温い液体を嚥下しながら、しかしなぁ、と脳裏で独り言ちる。
隙が、無いんだよね。
ティーカップをソーサーに戻し、じっとなまえを見つめる。
私に続いてこくんとお茶を飲み込んだなまえが、視線に気づいてきょとんと瞬いた。
「なに?やっぱり企んでる?」
「ん~、企みたいのは山々なんだけどねぇ、悪戯大好きお姉さんとしては。姉妹仲も深めたいところだし」
「普通に仲良くしなさいよ。あと妹か姉か混乱するからほんとどっちかにしてよ」
「ごめんごめん、なまえお姉ちゃん。私はキミの可愛い妹だよ♡」
「んん~、許す、妹よ。して何を企んでいるのかな?」
「いやいや、だからね、企む以前の問題なんだって」
諸々、面白そうなことは思いついてるんだけども。
キミには自覚がまったく無いのかな。
私はびっくりしたものだけどね。
そんなにもあからさまに、「お手つき」のしるしをむき出しにするなんて、それこそ「マーリン」にあらざる所行だよ。
最初はね。ただ、弱いマスターだから、過保護なくらいがちょうどいいのかとも思ったんだよ?
貞操の紋から見てもキミは処女。だけど魔力の匂いは夢魔のそれ。耳のピアスは触媒か。
キミを「守る」為のものだと思った。
処女である方が魔術師として適正の低いものには身を守る為の都合が良いし、回路の細い彼女の体に魔力を貯める行為は、効率という面で理に適う。
カルデア式召喚が使えない場面でも、ピアスがあれば、単独顕現による緊急召喚も可能だ。
……そう、上辺はいくらでも取り繕える。
現に私は最初そう読んだ。
だけど、ねぇ、そんな私でも。
ああ、これはなんてことだ、と。
初めて。
そう、初めての経験だった。
当たり前といえば当たり前なんだけど。
「マーリン」の、感情を浴びたのは。
「まったくキミは愛されてる。何かしたくても目が厳しくてね」
「あぁ、まぁ、そうだねぇ。みんな私を慕ってくれてるみたいで……、嬉しいけど、へへ。マスターブーストってあるのかな?」
困ったように、それでも嬉しげに笑ってなまえが言う。
「だから変なコトすると結局泣くのはエルだよ」と、早速愛称で呼ばれる。悪い気はしない。むしろ少しむず痒い。
僕も感化されたかな。何せ、知らない感情を知ってしまったんだから。
「僕は、キミが笑えるように動くつもりだとも。大事な姉の幸せを、誰より願ってるつもりだよ?」
目を細めて笑ってみせると、なまえは何故か顔を赤くした。
「兄妹揃って似たようなこと言って。……それで私を、置いてくくせに。ずるい妹」
顔を赤くしたまま、ぶすくれたようにそう言って、なまえは行儀悪く頬杖をついた。
「いやだなぁ、僕はお兄ちゃんとは違うよ。ねぇ、なまえ。このときが永遠に続けばと、思ったことはある?」
「…………――」
私の質問に、なまえは頬から手を離して私の顔を凝視する。
少し気まずそうに目をそらしたなまえが、苦笑して両手を膝の上に置いた。
「「マーリン」との時間は、どれだけあっても足りないとは、思うかな?」
にこっ、と、直前の苦笑を感じさせないような、綺麗な笑みを浮かべてなまえが言う。
なるほど、なかなかうまい返しをするじゃないか。
「殺し文句の上手いお姉ちゃんだなぁ。妹として、心配になっちゃうよ」
「本命に効かないんじゃ意味無いんだけどね」
言って、なまえがポットから自分のカップにお茶を注いだ。
「エルが本当にマーリンの妹なら、教えてくれる?」
「何を?」
「夢魔の落とし方」
私のカップにもお茶を注ぎながらなまえが尋ねる。
「そんなの簡単さ」
ありがとう、と謝辞を述べてカップを手に取りながら、微笑んで答えてみせる。
「こう言えばいい。「私の気持ちに応えてくれないなら、おまえの妹に好き勝手させちゃうぞぅ!」ってね」
「……。いやそれは、エルが好き勝手したいだけだよね」
呆れたようにそう言って、なまえはすとんと腰を落とした。
さては全然まったく響いてないな、やれやれ。
むぅ、とすねたように唇を尖らせて見せながら、淹れてくれた茶を手に取って飲み下し、溜息の如く息を吐く。
まったく遺憾だ。
揚げ足取りや誤魔化しの話しかしない私にしては、わりと本質をついた話をしたつもりだったのに。