六月の夢 B
私は焦っていた。
早く会場に向かわなければいけなくて、急いでドレスの裾をつまみながら、長い廊下を進む。もう時間はすぐそこまで迫っているのに、私としたことが、支度に時間をかけすぎてしまった。ベールで目の前がよく見えず、この道であっているのか不安になる。えぇと、会場はこの先で間違いなかったろうか?
突き当たりを左に曲がったところで、ドレスからぼろりと花の装飾が取れた。
「ああ!」
慌てて装飾を拾い上げ、何とかくっつかないかと取れた部分にあてがうも、当然それでくっついたりはしない。縫い糸を引っ張り出して結びつけられないか試行錯誤していたら、今度は裾をふんずけて破いてしまった。
「あっ……」
ぴたりと動きを止め、破れた裾を見下ろすと、今度は背中のボタンが外れた。反射的に腕を背中に回したモノの、一人ではどうしようもない。
いつの間にか、ドレスはボロボロになっていて、私は途方に暮れた。
こんなんじゃ、とても式なんて挙げられない。どうしよう。あの人が、待っているのに――。
じわりと目に涙が浮かんだその瞬間、急にふわりと身体が浮かんだ。
「――っ!?」
「花嫁さん。ご機嫌いかが?」
「え、あ」
慌てて見下ろすと、何やら白い影が見えて、どうやら私は誰かに抱き上げられているらしかった。目が合うと柔和に微笑まれて、焦燥していた心がほっと落ち着く。その場に優しく降ろされ、再び足を地に着けると、不思議なことにドレスが直っていることに気づいた。
「あ、あれ?壊れてたのに……」
「幸せな花嫁が、あんな姿でいるのはよろしくないだろう?」
「直してくれたの?ありがとう」
どういたしまして、と白いひとが微笑む。「では」と去ろうとする姿を見て、はっと我に返ると「待って!」と私は彼を呼び止めた。
「会場の場所、分かんなくて……私、どこから来たのか……どこに行けばいいのか、知りませんか?」
「……案内しよう」
白いひとはそう言うと、すっと前に出て歩き出した。ドレスの裾を持ち上げると、慌てて彼の後をついて行く。もうドレスがぼろぼろと壊れるようなことは無く、迷い無く歩くひとの後ろをひたすらついて歩いていると、ある一つの扉の前で、彼は立ち止まった。
「――さぁ。ここが式場だ。みんなキミを待っているよ。キミの、結婚相手もね」
「ここが……式場」
扉の前に立ち尽くし、じっと見つめる。今から私はここで式を挙げるんだ。
「ステンドグラスがとても綺麗で、ここに決めたんだっけ」
「そうかい。キミの式を祝福するに相応しい会場だ」
「ふふふ、そうでしょ?だって私とマーリンの結婚式だから」
「――え?」
扉に手をかけると、ゆっくりと開く。扉が開いたのに気づいた列席者が振り返り、私を見た。ああ、みんないる。友人も、サーヴァントたちも、家族も――。
列席者から目を離し、前を見据える。美しいステンドグラスが目に入り、その下には私を待つマーリンがいた。こつり、一歩足をバージンロードに踏み入れた瞬間、
「っ、わ!?」
びゅう、と大きく風が吹いて、花びらが勢いよく舞い上がる。思わず目をつむり、再び開くと、そこは一面花畑へと姿を変えていた。目の前には、ローブ姿のマーリンがいる。
「あれ?チャペルは……みんなは?」
「……キミと僕の婚姻を、祝福する者なんていないよ」
誰もいなくなった、花しかない空間で、マーリンが静かに告げる。私はウェディングドレスを着ているのに、マーリンは普段の姿のままなのが少し寂しい気がしたけれど、それでも花嫁衣装でマーリンに寄り添えるのなら、それでいいとも思えた。
「そっか。なら仕様がないね。いいよ、ドレス着れただけでも嬉しい」
「……せっかく綺麗なのに。僕だけが見るなんてもったいないな」
「ほんとだよ、この幸せ者め」
裾を振りながらその場でくるりと回転してみせると、マーリンは目を見開いて固まっていた。ときによく分からない反応を見せるのはいつものことだが、見とれているのとは違うように見えて、ちょっと居心地が悪くなる。
「な、なに?」
「……いや。本当に、僕は幸せ者だ。花嫁を差し置いて」
「えぇ?私も幸せだよ。……欲を言えば、マーリンにも相応しい装いをしてほしいとこだけど」
「……そうだな。こんな感じ?」
「えっ」
ふわりとマーリンのローブが風に舞うかのように膨れ上がると、裾からたくさんの花びらが弾けて、真っ白で荘厳なローブへと姿を変えた。タキシードではないけれど、いつもとは違う初めて見るローブ姿に、頬に熱が集う。
「か、かっ、かっこいい……」
「はは、普段とそう変わらないだろう?」
「そんなことないよ!……いつもかっこいいけど」
「ふふっ」
シルエットはいつもに近いけれど、もっと神秘的にうつる。よく見ると髪も整えられていて、霊衣のときのように耳が見えていた。
なんだか花婿というよりは、だいぶファンタジー寄りの神父のようにも見えるけど、私にはじゅうぶんすぎるほど嬉しい衣装替えだった。
「……えへへ、嬉しいなぁ。マーリンと結婚出来るんだ」
「……キミが、僕を思い出したから」
「ん?」
「いいや。キミにとって、結婚相手は本当に僕しか考えられないんだね」
「そうだよって言ったじゃん。今日……、あれ?……今日って、いつだっけ……」
マーリンに結婚を断られて――でも、私は今こうして、マーリンと結婚することになって。……あれ、どうしてそうなったんだっけ。
いまいちよく思い出せずに眉を寄せた私に、マーリンが近づく。そっとベールを持ち上げられて、布越しでないマーリンと目があった。
「この誓いは二度目になるが」
「へ?」
「良きときも、悪しきときも。
病めるときも、健やかなるときも」
「……!」
結婚式で、本来なら牧師に問われる、誓いの言葉。
ここには他に誰もいないから、マーリンは自らその言葉を口にした。
結婚式なのだから当たり前の筈のその口上に、それでもぎゅうと心臓が捕まれたようにドキドキして、ぼっと顔が燃え上がる。
静かに微笑みながら誓いを口にするマーリンを、私はぎゅっと己の手を握りながら見つめた。
「富めるときも、貧しきときも。
キミを守り、敬い、慈しみ、――……」
淀みなく誓いの言葉を口にしていたマーリンが、なぜか最後で言葉を止める。
「……?」
無表情のまま、続きを言わないマーリンに、何だか不安になって声をかけようか迷う。逡巡していると、マーリンがふ、と笑みを浮かべ、再び口を開いた。
「キミを幸せにすると――誓うよ」
「…………!!」
そっとマーリンの手が私の頬に触れ、そのまま抱き寄せられる。身体に回された腕の感触が心地よくて、マーリンの胸元で目を瞑ると、溢れた涙が厳かなローブを濡らした。
「世界一幸せな花嫁に、なるんだよ。なまえ」
「もう、なってるよ……」
「……夢みたいだって、思うだろう?」
「……うん」
僕もそう思うよ――とマーリンが囁くと、瞼の裏が急に白み始める。眩しさに目を強く瞑ると、抱きしめていた筈の感触が遠ざかり――