幸いをキミに

バレンタインになまえから贈られるプレゼントを、私は結構毎年楽しみにしている。それがありきたりなチョコレートだとしても、なまえが私を想って用意したものなら、それ自体が私にとって極上の蜜となるのだから、モノ自体は無くたって構わないのだ。そもそも返そうにも返しきれないものを、なまえからはたくさん貰っている。

なまえに何を贈るのが最適か、そういうことを考えるのは得意だが、何を贈りたいかと考えると、これが結構難しい。なまえに何が欲しいか聞いてみても、マーリンが贈りたいと思うものを、と返されるので、自分で考える必要がある。

今年はどうするか、昨年はどうしたか、他の誰かはどうするのか。
考えていたら、あっという間に当日になっていた。

今年は貰ってから考えることにして、ありがたくバレンタインプレゼントを受け取ると、その旨をなまえに伝えた。

「お返しなんだが、貰ってから決めようと思ってね。ちょっと待っててくれるかい?」
「……っ!」
「うん?」

明らかに、なまえの様子がおかしい。
というか、渡す前からなまえは挙動不審だった。
なまえのことだから、私に渡すプレゼントが独り善がりじゃないかとか、てっきりそういうことで悩んでいるのかと思ったのだが、この反応は不可解だ。

「あ、あの……」
「うん」
「それなら、その、お願いがあって」
「お願い?」
「……お返し、私の希望を言っても良いかな」

なるほど、これが挙動不審の理由かと合点が行く。なまえは今まで、お返しに何かを要求したことは一度も無い。それが今年はリクエストとは、珍しいこともあるものだ。

気まずそうにおずおずと言われた言葉に、もちろんと快く返して先を促す。なまえは意を決したようにじっと私を見つめると、深呼吸するように大きく息を吸い、はっきりとその言葉を口にした。

「――私を、好きって言ってほしい」

……意外、というわけでも無かったのだが。
改めてそう言われると、ぎくり、と一瞬身体が硬直する。
即座に気を取り直し、「誰にでも言えるような言葉なのに、そんなもので良いのかい」と問うと、なまえは控えめに「……だって、私にだけは言ってくれないから」と答えた。

「それは――」

キミが好きだよ、と。言ったことが無いわけではない。
ただ、彼女は覚えていないのだ。

「……そんなに言ってほしかった?」

あのとき伝えた言葉が最初で最後だと、確かにそう思っていた。私はなまえを手に入れられない。
好きだと一度自覚したら、もう知らなかった頃には戻れなかった。私はキミに言ったんだ、キミが好きだよと。言ったんだよ。

何故かそう言ってしまいたくなって、私は一度言葉を切り、逆になまえに問うことで己の言葉を誤魔化した。なまえは気づいた風も無く、小さく頷いて「いつかうっかり言わないかなって、ずっと思ってた」と呟いた。

なまえの言葉に、胸が苦く染まる心地がする。
いつでも僕の心は、キミが好きだと叫んでいるのに。

口から飛び出てしまいそうな高鳴りを、必死に押さえつけているのだと、気づかれていないのには安心した。萌芽してしまった恋心をまったく飼い慣らせずにいる私に気づいたら、なまえはきっと、私との未来を期待するだろう。

「……だめ……………ですか」

小さくなってか細く問う姿に、本当にこの子はどうしてそんなに僕が好きなのかと内心呆れる。とは言っても、それは僕自身もそうだ。こんなにもキミに乱されてしまうのは、いったいどういうわけなんだか。

――私を好きって言ってほしい。

健気に乞う姿は、人目に可憐と呼べるのだろう。そうした姿を見せられたなら、他の男であれば喜んでキミに跪いたろうに。

キミが必死で手を伸ばしたなら、手に入らない心なんて、きっと無い。

「仕方ないね、キミって子は」

ため息を吐いて、そう答える。
ぱっと顔をあげたなまえが、希望に瞳を輝かせて私を見た。

「い、いいの!?」
「まあね。わきまえていればいい話だ」
「うん、ちゃんと分かってるっ、変な期待はしない!」

勢い込んでなまえが言う。私がキミを好きになるわけがないのだと、なまえはいつも自分に言い聞かせているのを私は知っている。
だけどね、違ったんだ。期待を抱いてはいけないのは僕の方で、キミの手は、僕の心に、もう届いている。

「うん。変な期待はしない」

自分に言い聞かせるようにそう言って、なまえを見つめ返す。何も知らないなまえは、その言葉に深く何度も頷いた。

――やっぱり、気づかないか。

「えっ」
「ん?」
「あ、え?」

驚いたように身を跳ねさせたなまえに、首を傾げる。
今――何か――胸を走るノイズに、一瞬苦痛が顔に現れてしまった。そのまま何事もなかったように、どうしたのかと目で問うと、なまえは「何でもない」と、釈然としない顔をしながらも答えた。

その様子に気づかないふりをしつつ、ではお返しを、と話を戻すと、なまえは慌てて準備を始めた。
録音するのだとタブレットを構える姿に、何もそこまでと呆れながらも、そういうところにくすぐったくなる。忘れずにいようとしてくれるのは、純粋に嬉しいと思えた。

では、と前置きし、なまえに向き直る。
ムードも何もあったものでは無かったが、期待に紅潮したその顔は、告白される寸前の少女そのものだった。

「なまえ。私は……――」

言おうとした瞬間、言葉がつかえる。「それ」を口にすることが、私には少し恐ろしく思えた。この言葉を口にしても、今、喪われるものなど無いというのに。

あのときの光景を脳裏から振り払う。
ここは夢では無い、現実だ。

伝えたい思いなど無い。伝わる必要はない。ただ、溢れる恋情はどうにも出来なくて。
吐き出すなら今だ、と。ただそう思って――僕はなまえの願いに託けて、自身の本音を、ついに口にした。

「僕は、キミが好きだよ」

そうして吐き出してみたら、もうダメだった。
潤んだ瞳に吸い込まれるようにして、薄く開いた唇に唇を重ねる。

驚いたなまえの肩が跳ねて、身体が震えているのが唇から伝わってくる。漏れた息が唇にかかって、ふ、と私も小さく息を吐いた。

ざわ、ざわ、と、胸が疼き、逸る。
唇を離すと、なまえはつかえながら礼を言い、慌てて早口でまくしたてながら、逃げるように顔を逸らした。

「なまえ」
「ひぁ、待っ」

静止を乞う声を無視して、なまえに覆い被さりベッドへと押し倒す。所在なく視線を彷徨わせるなまえを真っ直ぐに見下ろしながら、「なまえ」ともう一度名を呼んだ。

「好きだよ」

告げれば、なまえが苦しそうに呻いた。
構わずもう一度、そして更にもう一度。

繰り返し告げるごとに、なまえの目は潤み顔が真っ赤に染まっていく。胸から溢れ、口から零れた音がなまえの上に滴り落ちて、しみになって沈むのを眺めながら、譫言のようにぽたりぽたりと、その言葉を繰り返した。

「も、もういいっ、いいから!」

顔を紅潮させながら、固く目を瞑り身体を縮こまらせて、なまえが私を止める。止められたって、蓋を開けてしまった私の胸は、言葉にせずとも蜜が滴り落ちていく。

「ねぇ、キミも」
「っ!」
「言ってよ」
「へ?ぇ」
「僕のこと、好きって」
「え……ぇ!?」
「ほら」

溢れた蜜を塗りたくるように、なまえからの言葉を強請る。キミの私に対する好意について、理解していたつもりだったけど――ああキミも、いつもこんな風にして、自分の胸をどろどろに溶かしていたのだろうか。

「ぅ、すっ、す、すき……」

震える声で発せられた音は弱々しい。だが、なまえの心は声に反して熱く燃え滾り、溶けた胸を炙られるようだった。

「うん。僕も好きだよ」

考えるよりも早く言葉が滑り落ちて、自然と口先が弧を描く。

「っぁ、わっ、たし、も、すき」
「ん。好きだ」
「っう、ぁ、も、もう、ほんと、やめて……もう、もう、いいから、もう……」

殆ど泣いているような声でなまえが言う。
なまえが求めて始めた行為なのに、弱々しくも拒絶されてしまい、一度口を閉ざす。だけど胸からせり上がる衝動はおさまらなくて、声に出さずとも、全身からぼたぼたとなまえの上に降り注ぐのだった。

「……好きだよ」

顔を隠してしまったなまえの手を取り、その目を見つめながらもう一度告げる。

「……なんで、そんなに、やさしいの……?」

切なげに歪めた目の端から涙を零して、なまえが言う。

この行為は優しさからの施しなどでは無い、なまえの言葉を引き金にして、結果的にこうなっただけのことだ。

かつて、その言葉と引き替えに、手の中にあるキミを喪った。
僕にとっては、あんまり良い思い出の無い台詞を、あまりにも懸命に乞うものだから。

乞われて言うなら、何も喪わずに済むからと。
そんな打算の果てに口にした思いが、何故だかどうにも制御出来なくて。

「キミが好きだからさ」

何度も、何度でも、告げる。
嘘も欺瞞も無い本心を打ち明けても、この関係性に変化は無く。
言葉は、受け止められずに落ちていく。

「っ、もう、やめて、ったら」
「喜んでくれてるんだろう?」
「……し、んでも、いいとか、思っちゃうから」

そっと、涙の伝った痕を拭う。

「それは、困るな」

眦を伝う指の感触に、なまえがくすぐったそうに目を細める。

「いま、いきてていちばん、しあわせかも」
「大袈裟だなぁ」
「……だって……この先、こんなにいいこと、きっと無いよ……」

そうは言っても、キミ、泣いているじゃないか。

「本当にそう思う?」

くすりと口先で笑ってみせる。こくりと素直に頷いたのを見て、胸をくすぐられたような心地になった。指先を頬に滑らせて撫でると、なまえの目がふにゃりと緩んだ。

強情ななまえは、きっとこの先も私を好きでい続けようとするのだろう。
私を忘れない為に、他の誰かの好意を拒むこともあるかもしれない。

きっとその誰かは、キミの望むままに、キミに愛をくれるだろうに。

キミは、幸せになるべきだ。
そしてそれは、キミが乞わなくとも、手に入れられるものであるべきだ。

まして、キミの生は続くべきなのだ。
こんな事で失われるくらいなら、私はやはり、キミに本当のことを告げるべきでは無いのだろう。

「なら、試してみようじゃないか。キミの生の中で、今を超える幸福が、この先にあるかどうか」

私への好意を利用して、そんな事を言ってみる。
なまえが真に私への愛を貫くと言うのなら、それを証明してみせればいい。きっとそうはならないし、キミは輝かしい生の中で、この先も、更なる幸福を手に入れることになる。

ああ、何だ。
私がなまえに贈りたいものなんて、これしか無いじゃないか。

「……やっぱいじわるだ」

私の言葉の意味をきちんと理解したらしいなまえが、むくれた顔をして言った。

「キミが好きだからだよ」

キミが好きだから、生きていてほしい。
その為なら、私は何度だってキミを手放せるよ。

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