泡沫の恋夢
「おはよう。マイロード」
「…………はぇ?」
ふと気がつくと、私は宿直室のような場所で寝ていた。
……。
宿直室?
あ、思い出した。
疲れを癒すためリラクゼーション施設を利用するサーヴァントたちであるが、しかし彼らは睡眠を必要としない。けれども、マスターの私には必要である。
それで急遽この部屋を用意してもらったのだ。狭い室内に簡易的な台所と、畳に敷かれた布団。洗面所と、端の方に寄せられた小さなテレビと背の低いテーブル。因みにテレビに何がうつるのかは知らない。
まさに宿直室と言うのがしっくり来すぎる内装の部屋で、私は目を覚ました、ようだった。
「……?」
あれ、おかしいな。さっきまで私は、あちこちマーリン……宇宙オニイサンと星から星をうろついていたはず。……なのだが、どうにもデートの部分の記憶が曖昧すぎる。
夢みたいだ、と思ったところまでは、鮮明に思い返せるのに――
「…………ゆめ?」
「まだ寝ぼけてるのかい?」
声のする方へ顔を向けると、いつも通りのマーリンが私を見下ろしていた。部屋着でもデート着でも無く、ローブを着ている。
「……えっと、私どうしてここに?」
「どうしてって、キミには睡眠が必要だからね。でもキミ、目覚ましをつけてなかったろう?それでわざわざモーニングコールに訪れたというわけさ。起こす前に起きたけどね」
「えっ、今何時?」
「五時四十五分。まだ寝てていいよ」
「……うーん」
「おや、珍しい。起きるのかい?」
「だって、マーリンいるし……」
起き上がってそういうと、マーリンはにんまりと目を細め笑った。気恥ずかしくて顔を逸らす。
「本当、キミは私が大好きだね」
「まだやるの?それ」
「言ってくれないのかい?」
「……ま、マーリンも私のこと好きなくせに」
「うん」
私の返事に、にこにこして満足そうにマーリンが頷く。そのうんはどういううんなんだ、と口にしようか迷っていたら、にじり寄られて背後から抱き締められた。
「なに?」
「いいや。今聞くと感慨深いと思って」
「何それ、感慨って概念ちゃんと分かってんの?」
「キミは分かるのかい?」
「……何かこう、あぁ~っ、なるほどね~みたいな……感じ?」
「あはは、まあ合ってる。そんな感じ」
「……えっ。何どういうこと?」
「そういうことだよ」
「えぇ?…………」
宇宙オニイサンに告白された後に、そういう意味深な発言はやめてほしい。期待に胸がドキドキ高鳴って、ダメダメと心の中で必死に唱える。マーリンは私を好きになんてならない。宇宙オニイサンのあれは夢だった。そう、夢だったんだ。だって私は寝間着を着ているし、部屋を見渡してももらった服やアクセサリーは見当たらない。
それを認識した途端、きゅうと胸が軋んで唇を噛んだ。
随分と都合のいい夢を見たものだ。珍しくはっきり覚えていられたのは、良かったのか、悪かったのか。
「なまえ?」
「……んー?」
「どうしたんだい」
「んーん」
マーリンが私の頬に手を伸ばし、指先でさすった。私の顔を覗き込もうとするマーリンから顔を逸らすと、「別にー」と軽く返す。「まだ眠いから」
くすぐるように頬をさすっていた指先が離れ、ゆるりと頭を撫でられる。優しく髪を梳かすようなその手つきに、少しだけ気持ちが落ち着いて、そっと目を閉じて身を委ねた。
途端、
「――いっ、た!?ちょっ!?」
「…………」
突然うなじに激痛が走って、私は甲高い声を上げた。反射的に離れようとした身体をマーリンの腕が捕まえる。
――こいつ、噛みつきやがった!
寝起きのわりによく響いた声に動じることなく、マーリンは私の身体を押さえつけると、もう一度がぶりと私のうなじに噛みついてみせた。
「いっ!た、痛いッ!!ちょっ、と、やめっ、やめて!!」
「……ん。ごめん」
「ひゃっ、ちょ……っ、んッ、んん……」
割と遠慮なく噛み付かれて、半泣きになりながら抵抗したら、結構あっさり離してくれたけど、今度はうなじにちゅうちゅうと吸い付かれる。くすぐったいし、……痛みの名残の後から、じわりと熱を吸い出されるみたいな感覚に、思わず身体が震えた。
「ぁ……ッ、まー、りん…………」
「
「っ、え……?」
「ん、」
「あっ……!」
振り向いてさらけ出された肩口に、更にマーリンが吸い付く。
「っう、ふ、ぁ……」
ぴくぴくと震える私の身体をぎゅうと抱き締めて、なおもマーリンは私の肩やうなじに吸い付き続ける。たまにがりっと歯を立てられて、やっぱり少し痛かったけれど、マーリンが好きなように私をいじるのは全然嫌いじゃなかったから、大人しく息を吐いて刺激を堪えた。
「ぅあっ!」
ぺろ、と最後にマーリンがうなじを舐めて、ようやく顔を離す。振り返ってじとりと睨みつける私を、涼しい顔でマーリンが見つめ返した。
「……急に何するの、てか痕付けたでしょ……」
「付ける為にしたことだからね」
「何で急に……見つかったらどうすんのもう」
「見つかったなら言えばいい。
「…………?」
噛みつかれた箇所をさすりながら首を傾げる。私にやられたと言えばいい、というのはマーリンがよく言う台詞の一つだったが、何だかちょっといつもとはニュアンスが違って聞こえた。
「ね――、っ!」
ねぇ、と話しかけようとした私をマーリンが押し倒す。宇宙オニイサンにも押し倒されたことを思い出し、またか!と一瞬思うも、あれは夢だったのだから私の願望が出ただけか、と思い直す。
「なまえ」
マーリンが名を呼んで、頬に手が添えられる。ゆっくりと降ってきた顔にそっと目を閉じ、その唇を受け入れた。
マーリン、私の、マーリン。
私の好きなマーリン。
唇を割って入ってくる舌に翻弄されながら、先ほど見た夢を思い出す。
このマーリンが私を想ってくれないなら、別のマーリンに想ってもらおうとか、本当に私はどうしようもない。最近のマーリンはやけに優しくて、期待させるようなことも言うから、欲しい気持ちを抑えるのが難しくなってきた。……前から抑えられてない気もするけど。
諦めの悪い私の心が見せた、蠱惑的な夢。
「マーリン」が私を欲しがる夢。
もしかしてマーリン、見ちゃったのかな、私が見た夢を。
「なまえ」
「っふぁ」
唇が放され、鼻先でマーリンが私を呼ぶ。
お互いの息遣いが密やかに響いて、くっと一瞬息を飲んだ。
「……イヤ?」
「……な、んで?」
「辛そう」
「…………マーリンにキスされて、辛いわけないよ」
かすれた声でそう言った私に、マーリンが目を細める。
「そうやって“私”を誘うんだから、悪い子だね」
「自分で押し倒しといて……」
「それだけの魅力がキミにはあるってコトさ。でもここまでにしておこうか」
「ぁ……」
マーリンが起き上がるのをぼうっと見届ける。押し倒された状態のまま見上げる私に、「まだ寝る?」とマーリンが尋ねた。
「マーリンがいるなら起きる」
「いなくなろうか?」
「やだ」
「ふふ、仰せのままに。マイロード」
悪戯っぽい笑みを浮かべてマーリンが言う。
意地悪な言葉に膨れていたら、頬をつままれてぷしゅと空気が口から漏れた。
「じゃあ。やっぱり続き、する?」
頬をつまんでいた手でそのまま頭や顎を擦りながら、再びマーリンが私に覆い被さり尋ねる。
問われた言葉はとても魅力的だったけれど、流石に寝起き朝一で出勤前となると、お誘いに乗るのは憚られた。
「んんっ、い、今からするのは、ちょっと……」
「そうだね、仕事に集中出来なくても困るし」
朝からいろいろ乱されっぱなしなので今更な気もするけどね!
変な夢を見たこともあって、頭がマーリンでいっぱいだ。これ以上何かあったら、確かに仕事に支障を来すかもしれない。一応、この事件の真相探りとかもあるのだし。
私が断ると、マーリンはわしゃわしゃと私の頭やら頬やらを、今度は大ざっぱに撫で始めた。犬か何かか私は。
「ちょっ、と、なに!?もー!」
「ふふふ」
「んっ、んー」
ちゅ、ちゅ、とマーリンが何度も口づけてくる。「続き」はしないけど、じゃれあいならオーケーみたいなあれだろうか。いや、良いんだけど。あちこち撫でられたりさすられたりする感触のくすぐったさが、胸の奥からわき上がる幸福感と結びついて、勝手に口から笑い声が漏れていく。
「ふふふっ、もう、やぁ」
「はぁ、まったく、そんなあどけない顔して」
「へぁ?」
「ちゃんとよそ見も寄り道もしないで帰ってくるんだよ」
「幼児扱いするなっ!」
「まだまだ子供だなぁと思って、つい」
「マーリンが年寄りなだけでしょ」
「失敬な!私はまだ若いよ」
……たまにナチュラルに自分を若人扱いするけど、夢魔界の寿命とか年齢ってどうなってんだろう。アヴァロンには時間の概念が無いというから1500年一切成長してないとしても、ブリテン時代ですでにじいさんだったって聞いたんだけどな……。
「私はキミが心配なんだよ。すぐ絆されて流されるし」
「そ、そんなのマーリンだけだよ」
「…………。……そうだね、私だけにしてほしいものだ」
溜め息を吐きながらそう言うと、マーリンが私の背中に手を回し抱き起こす。髪に手を入れ優しく撫でながら、そっと顔を近づけると私を見つめながら彼は言った。
「“僕”だけって、約束出来るかい?」
「えっ……」
向かい合って抱き締められながら言われた言葉は、まるで恋人に言い聞かせるみたいな甘い約束で、心臓がぐつぐつ煮えたぎるように動機が速まる。どういう理由でそんな問いをするのかはよく分からないけど、こくこくと頷きながらもつれそうになる舌を何とか動かして言った。
「でっ、できる……」
「どうしてどもるんだい」
「近いからだよ!」
ずいずい顔面を近づけてくるマーリンに気圧されて、余計にしどろもどろになってしまう。
マーリンは目を細めると、目と鼻の先で止まったまま私を見つめる。
「約束だよ」
「う、ぅん」
「なら、約束のしるしにキスして」
「ふぇえっ!?」
至近距離から顔を覗き込まれ、いたたまれなくなりながらもそっと頷くと、突然マーリンは妙なことを言った。いや、さっきからずっとおかしいけども。
「ほら」
「ぅっ、えっ」
更にマーリンの顔が、それこそ唇が触れそうなほど近寄ってきて、反射的に身体を逸らす。けれど案の定マーリンの腕に逃がさないとばかりにせき止められる。
別に、私からキスをするのは初めてでもないし、してと言われることも、無くはない……んだけど。
本当に何なの、分からない。
「なまえ」
「ぅ……わ、わかっ、た」
こういう攻め方もあるんだな……などと脳裏で考えながら、おずおずとマーリンの唇に顔を寄せる。むに、と唇に唇を押し付け、ちゅ、と音をさせて吸い付いた。
「……マーリン」
「うん?」
唇を離し、マーリンに問う。
「…………見たの?」
「何を?」
「私の……夢」
「何か見たのかい?」
「……まぁ、……うん」
「どんな?」
私の質問には答えず、マーリンは柔らかな声で私に問い返した。見たのか見ていないのか、答えてくれないことを内心不満に思ったけれど、マーリンの態度に対する心当たりはそれしか無い。
「マーリンに……、…………あい、される、ゆめ」
聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声でたどたどしく呟いた言葉を、どうやらマーリンは正確に聞き取ったらしい。
俯いたままでマーリンの表情も何も確認することは出来なかったけれど、無言の間がそれを示していた。
「むしろ、今まで見たことが無かったのかい?」
暫くの沈黙の後、マーリンがおどけるようにしてそう言った。存外明るい声音に、俯けていた顔をおそるおそる上げる。
いつも通りの微笑を浮かべたマーリンが、少しだけ眉尻を下げて私を見下ろしていた。
「見たこと……分かんない、覚えてない、けど」
もしかしたら今までも何度となく見たのかもしれない。だけど私にその記憶は無かった。罪悪感から記憶を消しているのか、期待してはいけないと思うからそもそも見ていないのか、分からないけど、少なくとも自覚はない。
なのに今朝見た夢は鮮明で、そして妙にリアルだった。マーリンが私にあんな事を言う筈は無くて、だから夢みたい、と思ったんだ。夢みたいな現実だと、私は確かにそう考えていた。こんな現実が、あるんだと。
マーリンを宇宙オニイサンにすり替えたことで「別のマーリンにならその可能性がある」と、深層心理で期待していたのかもしれない。
「貴方とは別のマーリンに愛される夢だった」とまでは言えなくて、私は口ごもったまま再び俯いた。
「キミが私の愛を夢見るのは当然だろう」
軽い口調でマーリンがそう言って、私の頭をさらりと撫でる。
「恋い焦がれた相手に好かれたいなんて、普通の感情だよ。だからそんな夢に捕らわれる必要も無いさ」
「ふつう……うん……そうだね…………」
ふつう、普通。普通の感情。
ありふれた、マーリンには食べ慣れたろう感情。
そんなものしか私は持たない。
それでも、いつかこの熱が届いたらって、そんな夢を見てしまうのをやめられないでいる。
「私は人間らしい振る舞いを理解している」
マーリンがおもむろにそう言って、私の頭を引き寄せる。背中に腕を回され、そのままぽんぽんと優しく背を叩かれた。
「こうして優しく触れることで、キミの心が燃え上がることを理解している。私の振る舞いが、キミにとってどんな影響を及ぼすのか、知っていてこうしているんだ。だからキミが罪悪感を覚えることはない」
「……なにそれ、私がマーリンのこともっともっと好きになっちゃうの、分かっててやってるってこと?」
「うん。ごめんね。実はそうなんだ」
「……なん、で……そんな、それじゃあ、私……」
喉が震えて、息が詰まる。せり上がる感情を抑えきれず、私は抱き寄せられ預けられた胸板をぐいと引き離し、勢いよくマーリンを見上げると、泣きそうになりながら言った。
「私、マーリンのこと好きでいていいってこと?」
私の言葉に、マーリンは少しだけ目を見開いたように見えた。けれどすぐにその瞳は柔和な笑みを形作り、同じように弧を描いた唇がそっと開かれる。
「よそ見しないでと、さっきそう言わなかったかな?」
柔らかな声に弾んだ調子を乗せてマーリンが言った。
その言葉に、気恥ずかしくなり顔を伏せる。
火照った熱を押し付けるように胸板に額を埋め、「どうして」と問うと、ぎゅうと抱き締められる。意味深で訳の分からないことばかりされて、頭は混乱するしモヤモヤするけど、言われたこともされたことも嬉しいことばかりで、すべてを明らかにしてがっかりするよりは、都合のいい夢を見ておく方がいいかと思い、無言でされるがままになる。
私を受け入れる気持ちは、きっと今だって無いくせに。
最近のマーリンはとても思わせぶりで、困ってしまう。
妬いてくれたの?と、聞けない自分がもどかしかった。
それを否定されたら、期待したぶん余計に傷ついてしまうから。
だからこれでいいんだ。
マーリンは私に思わせぶりなことを言って。
私はいつかマーリンに気持ちが届くかもと期待して。
ずっと恋の夢を抱いたまま、どっちつかずでいればいい。
さっき見た夢のように、目が覚めて砕けるよりは。
ずぅっと夢を見続けていられるこの距離感が、きっと私にとって一番都合のいい関係なんだろう。
どうか、いつまでも目を覚ますことのないように。
そっと心の中で祈って、私はマーリンの腕の中で目を伏せた。