鳥の囀り、手折れぬ翼
鼻歌を歌いながら花畑を機嫌良く歩くなまえの肩をぐいと引く。
「……、マーリン?なに?」
「何じゃないよ……まったく」
背後から抱き寄せ腕の中に閉じ込める。
ぱちぱちと目を瞬かせ大人しく従う姿に小さくため息が漏れた。
「塔から出てきて良かったの?」
「良くないね。ボクは一応あそこから出られないことになっている。なのにキミが出て行くものだから、慌てて降りてきたんだよ」
「ちょっと散歩してただけなのに」
言いながら腕の中から逃れようとするなまえを、再び強く抱き締め逃がさないと意思表示する。
伝わったようで、なまえはもぞもぞと動くのをやめて、ボクの身体にその身をゆっくりと預けるように弛緩した。
「今更逃げるなんて許さない」
「逃げてないったら。散歩してただけ」
「黙っていなくなるのが、散歩?」
「そんなに私がいなくなるのが怖いの?」
「怖い」
首筋に顔を埋め、ぽそりと呟く。
なまえを失うことほど怖ろしいものなど無い。
ボクの手の中に飛び込んで来たのはキミの方じゃないか。やっと手に入れたんだ。もうキミがどんなに嫌がったって泣いたって、此処から出て行くことだけは許せない。
「マーリン。ちょっと離して」
「嫌だ」
「そっち向きたいだけ」
「……」
「うん、ありがとう」
恐る恐る手の力を抜くと、なまえが優しく礼を言ってくるりとこちらに向き直る。
「うわ。ひどい顔」
「……どんな?」
「捨てられた子犬みたいな?」
「捨てないで」
「捨ててないってば。もう。あんなに私のこと振り回したくせに、どうしてそんなに弱気なの?」
そっと頬に添えられた手を、自らの手で包み込む。
小さな手。小さな身体。
こうして捕まえることは容易な筈なのに、するりとすり抜けて去ってしまわないか不安でたまらなくなる。
この楽園に、なまえの自由は存在しない。
私以外に心を預けられる者も、慰める者も無い。
無い、から。なまえにとって、きっとこの場所は楽園などでは無いのだろう。
「今更ここ以外に私の居場所なんて無いよ」
苦笑してなまえが言った。……そうだろうか。
ボクは、そう思わない。
この場所になまえを縫い付けているのは、ボクへの恋情だ。それが無ければ、キミをどんなに欲しても、ボクが得ることはきっと叶わなかった。
「ちゃんと分かってる?」
「何を?」
「ここ、って言うのは、マーリンの傍って意味だよ」
頬に添えられた手が首の後ろに回されて、ぐっと身体を引き寄せられる。
されるがままに抱き締められて、ボクもまたその身体を強く強く抱き締めた。
「じゃあどうして、黙っていなくなったりしたんだい」
「そしたら、追いかけてきてくれるかなと思って」
「……」
力が抜け、がくりとボクはなまえに身体を預けた。
「性悪……」
「マーリンに言われたくない、って、重、重い!」
抗議の声を無視して、そのまま全体重をかけてなまえを押し倒す。花びらを巻き上げて倒れたなまえにそのまま覆い被さって、なおも強く抱き締める。
「ちょ、ほんとに、重い……」
「このまま潰れてしまえばいいよ」
「潰れたら困るの、マーリンのくせ、にっ」
「分かっててわざと意地の悪いことをするんだから本当に性悪だ」
「だって、これは仕返しだもん」
「……」
仕返しと言われると、文句を言いづらい。
だって知らなかったんだから仕方ないだろう。これでもキミが泣かないで済むように、優しくしていたつもりだった。
だけどこうなってみればなまえの言うとおり、痛くて苦しくてたまらない。
どんなに優しく愛されたって、共にいられないことの恐怖はどうしようもなかった。
今になってこうして、どんなにキミを傷つけていたかを実感する羽目になるなんて。
無言で身体を起こすと、なまえも共に起き上がる。
座り込んだままの状態で向かい合うと、なまえがくいくいとローブの袖を引っ張った。
「ねぇ、マーリンも一緒に行こうよ」
「どこに?キミを失う可能性のあるところには絶対行かないよ」
「もう、本当に心配性。散歩につきあってくれればそれでいいよ」
言いながら立ち上がるなまえに腕を引かれ、ボクもまた立ち上がる。そのまま手を繋ぎ、今度は並んで歩き出す。
キミは今幸せだろうか。そう問うのも怖ろしい。
ボクは今、幸せなんだろうか。幸せだと、そう思っていたのだけど。
なまえを手に入れて、ボクは孤独を知ってしまった。
ここでは何も失う筈が無いのに、なまえを手に入れた代償に、失う恐怖を植え付けられてしまった。
それでも――こうして彼女に触れることが出来るのは、泣きたくなるほど嬉しくて。縋るようにそっと手を握り締めたら、ふふ、と小さく笑われてしまった。
なまえを手放せない理由が増えていく。いいや、手放せない理由ばかりを数えてしまう。
手放しても良い理由ばかり探していたあの頃のようには、もう戻れそうになかった。