花が散らない世界
一面花に覆いつくされたその空間を男は歩く。
足元の花を特に気にする風でもなく、寧ろ男が花を踏み荒らした先から、また新たな花が芽生え咲き誇る。
悠々と歩いて暫く、男はある場所でぴたりと立ち止まった。
「──キミの幸せな
男──マーリンはその場にしゃがむと、そっと語り掛けるように口を開いた。
「それだというのにキミはまったく、波乱万丈な人生を送ってくれちゃって。ハラハラしてしまったよ」
眉を吊り上げて怒った風な顔を装いながらも、その声はひどく優しい。
マーリンはそっと手を伸ばすと、傍らの少女を腕の中へと閉じ込めた。
「ようこそ、アヴァロンへ。キミをもう、二度と手放したりはしないよ」
優しく、しかし熱のこもった声でマーリンは囁く。
そのままそっと少女を抱きかかえると、空中に佇む幽閉塔へ向かって歩き出した。
「──ずっとキミを見ていたけれど、キミは本当に私以外を愛さなかったね」
さくさくと、マーリンは花畑を進む。
「絶対に私のことなど忘れて、違う誰かを愛するようになるだろうと思っていたのに」
ひどく冷血な言葉を吐きながら、マーリンの表情は嬉しそうに緩む。
「それでも良かったんだよ。ずっとボクを愛していると、そう言ってくれただけでボクは本当に満たされていたんだ」
情感のこもった声音でマーリンが言う。
「怒らないでおくれ。だって人間はそういうものだから、ボクはそれを責めるつもりはなかったし、そもそも悲しむような心も持ってはいない。キミと過ごした日々の記憶だけで、あとはキミが幸せに生きてくれさえすれば、それで──よかったんだよ……」
腕の中の少女を抱く手に力がこもる。
ふわりと、少女の髪から甘い香りが立ち上り、マーリンはひどく懐かしい気持ちになった。
「けれど──こうしてキミに再び触れてしまうと、ダメだね。実はそうではなかったのだと、今ひどく実感している。ボクは、キミの傍にいたかった」
今の今まで決して言わなかった本音を、ごく自然とマーリンは口にした。
「ボクとキミが共にいることは、キミを不幸にするとばかり思っていたのだけど──」
少女の髪に、マーリンが頬を摺り寄せる。
「結局──
さくり、マーリンが歩みを止める。
幽閉塔は目前にある。
「ああ、着いたよ。ここがボクらを永遠にする、物見の塔だ。尤も、キミはここにいたら何も見えないけれど──」
ちらりと少女を見やると、マーリンは自嘲するように笑み、
「……まぁ、見えないのはどこにいても同じか」
そう零して、塔へと足を踏み入れた。
──塔の中、一面に花を敷き詰めたその場所へ、マーリンは少女をそっと横たえる。
「キミに似合うと思った花を用意したよ。どれもこれもキミの美しさには適わないけれど」
ありがちな口説き文句のような台詞を吐きながら、マーリンは笑う。
適当に花を摘むと少女の髪にそっと挿し込んだ。
「うん、キミは相変わらず美しい。──なまえ」
そっと名を呼ぶと、頭を撫でる。
「ふふ、懐かしいなぁ。キミはボクに撫でられると忽ち大人しくなるんだから、本当に可愛らしいったらなかったよ」
つんつんと頬をつつき、
「柔らかいね。何もかも変わっていない。ああ、そうだ、この感触だ……」
マーリンは少女の頬に手を這わせる。
「……なまえ……」
目を細めると、マーリンは少女に口づけた。
「……何も、出来なくてごめん。キミを、幸せにしてあげられなくて、ごめん……」
少女の耳元でマーリンが囁く。
しかし少女は何も応えない。動かない。
「せめて、その骸まで辱められることの無いように。キミをここに連れてきたんだ」
少女を慈しむようにマーリンはその髪を梳く。
指先を流れる髪の感触は何も変わっていない。
ただ──もう二度と彼女が動くことは無く。その甘い声で、聴き飽きるほど告げられた言葉を聞く事も二度とない。
マーリンの一挙一動に赤くなっていた頬にも、指の先にも、どこにも、もう熱が宿ることもない──。
……違うのは、それだけだ。
「キミを不幸にしか出来なかったボクだけど」
花に埋もれた少女を抱き起して強く抱きしめる。
花びらがはらはらとその骸から滑り落ちていく。
「せめてキミの骸と永遠を共にするくらいは、ボクにだって許されてもいいだろう?」
なまえの魂は既に無く。
そのからだは、ただのいれものに過ぎず。
最早、マーリンの愛したなまえなどどこにもいない。
焦がれた笑顔も、苦手だった泣き顔でさえも、もう二度とマーリンが見ることは無い。
魂のいれものたる骸など、手元に置いたところでどうしようもないというのに。
それでも、それだけでも、自分のモノにしたかった。
「キミが守った世界は、まだ続いている。ずっとここで、ボクと共に見届けよう」
返事はない。当たり前だ。これはただの骸であって、なまえではない。
それでもマーリンは、少女の骸へと語り掛ける。
「ボクの、最後のわがままだ。ここでボクと共に過ごそう。この星の終わりまで」
なまえの魂を、アヴァロンへと招く事も考えたのだけど。
結局マーリンはそれをしなかった。
やっぱりどうしても、なまえをこの地へと縛り付けることが出来なかったのだ。
ひとの世で、自由に生きるキミが好きだった──。
……でも、それでも。
「死んだあとくらい、ボクだけのモノにしてもいいよね」
なまえが死んでから、やっと素直に話したところで、もう本人には届かない。
聞いていたらきっと、今更遅すぎると怒った後で、きっと本当に幸せそうな顔をして、……やっぱり泣いてしまったのだろうな。
安らかに眠るなまえの瞼に口づける。
この場所には時間の概念が存在しない。
だからこの骸も永遠に朽ちることは無い。
魂の存在しない肉体は、それ以上変容することもなく。
ただボクに、己の罪と懐かしい日々を刻み付ける。
もう二度と笑わないのに、歌わないのに、泣かないのに、
魂はもう存在しないのに、
どうしてまだ、キミを美しいと感じるのだろうか。
問うても、答えるものも其処には無く。
ただ散ることを知らない花々が、一面無邪気に咲き誇るばかりだった。