ウィステリア
「そろそろ恋の相手は見つかったかな?」
突如としてマーリンが宣う。
私はぽかんとしながらマーリンを見やり、続いて呆れた顔を作って溜息を吐きながら答えた。
「ねぇそれは、背後から抱きつきながら言うことなの?」
マーリンがおやと目を丸くする。
何故きょとんとしているんだお前は。うら若い乙女に無遠慮に抱きつきながら、恋の相手は見つかったか、などと、セクハラで訴えられても仕方がない行為だぞ。
「だってマスター君抱き心地いいんだもの。柔らかいし、甘い匂いがするし」
言いながらマーリンがうなじに鼻を埋めてくんくんと匂いを嗅いでくる。
「ぎゃーやめて!!嗅がないで!!」
「やだよ~ほんといい香り」
「いやー!!セクハラ!!くすぐった、やだ、ちょっと……!」
ちゅっと音がしたかと思うとマーリンがようやく顔を離した。しかし腕はがっしりと身体に回ったまま。
これでは動きづらい、というか、今何したこいつ?
「どさくさに紛れて何してんの!?」
「匂い嗅いだらむらっとして……」
「淫魔はこれだからッ!!」
このところマーリンからのセクハラがひどいと感じる。
こうして抱きつかれるのはしょっちゅうだし、やたらとひっついてきたりすり寄ってきたり時には今のようにそこかしこにキスされたりと、随分スキンシップが増えてしまった。
……私があまりに照れるから面白がっていたのだと思うが、最近では流石に慣れてしまい多少の事では動じない。
まぁ、キスとかされると流石に動揺してしまうけれど。このままでは近いうちに唇を奪われてしまいかねない。気をしっかり持たねば。
とは言え、マーリンと引っ付いてるのは全然嫌な気はしない。まぁ曲がりなりにもイケメンだし、我がカルデアの主戦力なわけで、共にいる時間も自然長くなってしまったから、あまりこの距離感に違和感を覚えなくなってきている。
「それで、好きな男は出来たのかい?」
再びマーリンが問いかけてくる。またそれか。
だからそれは、こうしてベタベタ引っ付きながら聞いてくる事なのだろうか。
「あのね、私の一番近くにいる男、マーリンなんだよ」
「え?私に惚れちゃった?」
「誰がだバカ!お前なんかに絶対惚れてやるもんか!!」
ちょっと嬉しそうにニヤけながら問われてイラッとする。
この男にだけは堕ちてはならない、私だってそのくらいは分かる。
「自分を好きになる可能性がゼロの男に恋なんかすると思う?」
ジト目でマーリンを睨みながら言うと、マーリンは未だニヤニヤしながら「恋って理屈じゃないんだよ、なまえ君」などとわざとらしく窘めるように言うので更にイラッとした。何なんだお前は、何目線だ。
「マーリンに恋の機微が分かるの?」
「私を舐めないでほしいな。私自身に理解出来ずとも、蓄積した経験から統計的な判断は下せる。寧ろただの人間よりも人間の心理に詳しいと思うよ?」
「えっ何それ怖……」
「そこで引いてしまうのかいマイロード!?」
がびんと音が付きそうな声音でマーリンが喚く。ほんと、人間のふりが上手くて嫌になる。
マーリンとのこういうやりとりが、何だか私にはとてもしっくり来るのだ。それもマーリンが学んできた心理分析の賜物なのだろうか。
本当に随分と、人の心に入り込むのが上手いんだ、この男は。
「やっぱマーリンに惚れるのは無いな~。千里眼持ってるし、心の中まで見透かされるなんて絶対ヤダ」
「とか言って私のこと気に入ってるからこうしていても許してくれているんだろう?」
「……それはまぁ、確かに。気に入ってはいる」
マーリンが顎を私の頭の上に乗せる。ちょっと刺さって痛いんだが。
人の頭の上で寛ぎながら、「お気に入り同士、お揃いだね」とマーリンが嬉しそうに言った。全く感情表現の豊かな非人間がいたものである。
「キミの恋路を見守りたいなって、そう思ってたんだけど……」
「引っ掻き回されそうでヤダ」
「ヤダヤダって我が儘だなキミは」
「マーリン限定でね~」
「なるほどボクは特別かぁ」
「言ってねーよ!」
これまた嬉しそうに宣うマーリンにすかさず突っ込む。
すりすりと頬を頭にすり寄せているのを感じる。私はぬいぐるみかよ。
「うん。キミと恋をしてみるのは悪くないかも」
突然そう言ったかと思うと、マーリンがくるりと私の身体を反転させる。
マーリンと向かい合う形になって、柔らかな目をしたマーリンと目があった。
「そうやって人の恋路を面白がって。泣かされるのが分かり切ってるのにマーリンと恋なんてしたくない」
ぷいと目を逸らしながらつっけんどんに言い返すと、マーリンは可愛くないな~と呟いてぐいと私の顔を持ち上げる。
「ちょ、何すんの!」
「女の子はもう少し素直な方が可愛いよ、なまえ君。ほら」
言いながらぐいとマーリンが鼻先に顔を近づける。
唇が触れてしまいそうなほどの距離に、一気に顔が熱くなるのが分かった。
「っ、ば、バカ!!」
慌てて一歩後ずさる。
マーリンが一歩足を踏み出す。
「な、何で近づいてくるの?」
「ん~。逃げるから?」
言いながら一歩一歩後ずさっていく。
マーリンがそのたびに一歩踏み出す。
しかし残念なことにここは廊下。すぐに背後の壁に阻まれてしまう。
しまった、逃げる方向を誤った。
すかさずマーリンが腕を付いて私を閉じ込める。
こ、これは世に言う、壁ドン……!
(まさか本当にされる日が来るとは!そして眉一つ動かさずにいるマーリンの精神は確かに非人間)
内心でド失礼な事を考えながら、至近距離で逃げ場の無い状況に慌てる。
そんな私をマーリンはじーっと見つめていた。何だよ、見ないでくれ。
「顔真っ赤だよ」
「近いからだよ!!」
「ほんとに?それだけ?私のこと大好きすぎてときめいてたりしない?」
「どんだけ自信満々なんだ」
顔を赤くしながらも呆れてしまう。
「マーリンの事はそれなりに好きですけど!」
「それなり?ふーん」
顔を逸らしながら自棄になって叫べば、マーリンが不服そうに呟く。
好きって言ってやったんだから喜べよ!
「寧ろマーリンが私を好きなんじゃないの?こんな壁ドンなんて真似までしてさぁ…」
照れ隠しにそんな事を宣ってみる。勿論、本心なんかではない。
マーリンが面白がって私をからかってるだけなのはわかっているし、コイツは「誰か」が好きなのではなく「女の子をいじるのが」好きなのだ。全く罪な男だ。
マーリンはうーんと考えるそぶりを見せると、「そうなのかな?」と疑問形で尋ねてきた。
聞かれても。
「私ってキミのことが好きなのかな」
「知らないよそんなの……夢魔の神経なんてわかんねーよ……」
「まぁ、そうだよね」
マーリンがふと眉を下げて笑う。
最近、少しだけマーリンの表情に色がついたような気がするのは、気のせいだろうか。
(何でちょっと、寂しそうなんだよ)
「ねぇ、じゃあさ」
マーリンがころりと表情を明るくさせる。
一瞬で元に戻ってしまうから、やっぱり見間違いかなんて思ってしまう。けど、それにしては見間違いが多すぎる気がした。
「とりあえずお互い、恋してみるっていうのはどうかな?」
にこりと笑ってマーリンは言う。
私は開いた口が塞がらない。とりあえず恋してみるってなんだ、どういうことだ。
「キミも好きな人はいない、私も好きな子はいない。でもお互いがお互いを気に入ってるんだから、そういう役から入るのはどうかな、って」
にこやかに笑うマーリンの顔はとても美しい。悔しいぐらいに整っている。しかしその口から紡がれるのはデリカシーの欠片もない言葉だ。
「それは恋してみるって言わないよ!ていうか、別にそこまでして恋人欲しくないから」
「え~。楽しいのになぁ、恋人ごっこ」
「ほんっと最低だなお前は」
お前の楽しみの為に自分を安売りしてたまるか!
そりゃ私だってマーリンの事は気に入ってるし、確かにその、かっこいいと思うことがないわけではないけれど、やっぱりマーリンとの恋は私に損が多すぎる。
……恋人ごっこのつもりが、マーリンに入れ込んでしまって泣く羽目になる未来が見える気がした。
なんて事を言ったら調子に乗らせてしまいそうだから、私は口を噤んでため息を吐く。
そんな私の様子を見て、マーリンは漸く壁から手を離した。
「まぁ、気が向いたらいつでも言っておくれ」
いつものトーンでマーリンが言う。「はいはい」と適当に返事しながら、また捕まる前に私は歩き出す。
そんな私の後をついて来ながら、マーリンは楽しそうに、歌うように、
「キミと恋がしてみたいんだ、なまえ君」
などと言うものだから、私は返事も返せずに、この顔のまま誰にも出会わぬよう祈ることしか出来なかった。