地に足をつける

終局特異点から無事帰還し、見事人理修復を成し遂げてから数日が経った。
カルデアのスタッフは国連や各国からの問い合わせに奔走しており、まだまだ忙しそうではあるが、人理修復の立役者と言える少女は戦いの日々から解放され、落ち着くまでは休暇を与えられ、その日も談話室のベンチでぼうっと宙を見つめていた。

休暇を与えられたとは言っても、カルデアから出ることを許されたわけでもなく、物資の補給が可能になったとはいえ、未だ此処には娯楽と言えるものは少ない。
一応、レクリエーションルームの開設が予定されてはいるものの、それに着手出来るのはいつになるやら分からない状態だった。

「……はぁ」

少女の口からため息がこぼれる。
彼女が一人ベンチで黄昏れているのは、何も暇だからなだけではない。

時間が経つに連れて、少女の中でひどく大きくなっていく感覚があった。

喪失感。

ドクター・ロマンを喪って以降、少女は日に日にふさぎ込んで、今では部屋から出る回数も随分と減ってしまった。

いつまでも引きずっていてはいけない──彼女自身もそう考え、皆の前では元気に振る舞うものの、胸の痛みは誤魔化せなくて、悲しみの海から這い上がれずにいる。

宙を見つめていた瞳を伏せると今度は何とはなしに地面を見つめ始める。
勿論この行為に意味などない。
何を考えてもドクターの事を考えてしまうのを、どうにかやめたくて思考を巡らせても、いつの間にかドクターの事を考えてしまう。
これではまるで恋煩いのようだ──などと考えてふと笑みをこぼしたら、今度は涙が溢れそうになって慌てて瞳をきつく閉じた。

深呼吸して涙を飲み込むと目を開く。

「え?」

ふわり。

花の香りがしたかと思えば、突然周囲に花びらが降り出した。

「えっ…」

顔を上げて花びらに手を伸ばすと、そっとその手に指を絡められ目をしばたかせた。

「お嬢さん。浮かない顔をしているね」

するりと絡められた指が離れ、その手の中に一輪の花が添えられる。
慌ててそれを握りしめるとまじまじとそれを見つめ、声の主へと目を向けた。

「…マーリン。これ、私にくれるの?」
「勿論。キミのために用意した花だから。良い香りだろう?その花の香りには心を落ち着ける効果があるそうだよ」
「へぇ…」

くんくんと花の香りを嗅ぐ少女に、目前の夢魔はふわりと微笑む。
花の魔術師マーリン。その名に違わぬ鮮やかな登場に、少女──彼のマスターであるなまえは苦笑を浮かべて彼を迎えた。

「気障な事するね。円卓は皆気障だけど、マーリンは騎士じゃないのにさ」
「騎士ではなくても女性の扱いは心得ているつもりだよ?まぁ、怒らせることも多いんだけどね」
「駄目じゃん。女の子好きなのは良いけど浮気とかしちゃダメだよ」
「私の愛は多いんだよ」

何だそりゃ、最低だな、などと答えながら、なまえは彼のことが嫌いではなかった。
お世辞にも良い奴では無い事は、ウルクで共に過ごしてよく分かっていたけれども、仕方のない奴だと思いながら許してしまえるような、そんな雰囲気が彼にはあった。
魔術師としてはおよそ手の届かぬ領域にある最高峰の力を持つのに、軽口を叩けば爽やかに返してくる、そんな性格はむしろなまえにとっては好ましかった。

それに…彼は少しだけ、ドクターに似ている。

「……」

マーリンが差し出した花は淡いオレンジ色をしていて、その手の花をじっと見つめながらなまえはまたドクターの事を思い出していた。

ドクターは、マーリンのような爽やかさとは違うけれど、どこかふわふわしたような雰囲気は似ているように思う。

「……また沈んでしまったね。花を贈ったのは失敗だったかな?」

困ったようなマーリンの声音に顔を上げると、いつもと変わらぬ柔らかな笑みを浮かべたマーリンがいた。

「ごめん、マーリンは悪くないよ。そんなに元気無いように見えた?人理修復を終えて気が抜けちゃったみたいで……」

へらりと笑って言ってみせるも、マーリンは軽く首を振るとため息をついて苦笑する。

「見え透いた嘘は逆に相手を傷つけるよ?まぁ私は傷つく心なんて無いけども。皆キミを心配している。さっさと立ち直れ、というのは酷だけども、そうやって何もせずにいれば余計に思考の網にとらわれてしまう。というわけで」

突然、ぐいっとなまえの腕を引くと強引に立ち上がらせ、マーリンはにこやかに微笑んで言った。

「私と遊ぼう、マスター君!」
「え?は?ま、マーリン?」

止める間もなく腕を引かれて慌てて歩き出すなまえを意にも介さず、マーリンはずんずんと進んで行く。

足下から花をまき散らしながら、マーリンはシミュレーションルームの前で立ち止まった。

「魔術王すら打倒したキミだが、今までずっと見ていて思っていた事がある。キミは戦闘が下手だ!」
「うっ……!」

突然突きつけられた言葉になまえが呻く。
自覚は大いにあったのだが、まさか此処まで直球で指摘されるとは思っていなかった。

「そこでだ、キミの憂いを払うついでに、戦闘のイロハを叩き込ませてもらおうと思う」
「戦闘って…もう人理修復されて魔術王みたいな敵は出ないでしょ?カルデアはとりあえずまだ続くみたいだから、サーヴァントの皆にはいてもらっているけど…」
「甘い、甘いねマスター君。全特異点が修正され世界は正常に戻ろうとしているが、まだ完全に安定したわけではない。良いかい?正常な歴史に戻りはしたが、何処かつつかれれば容易く崩壊しかねない。この機に乗じて何かを成そうとする輩が現れないとは限らないんだよ?というか現れる」
「お前何か知ってるな!?知っている事を吐け!!」
「ははは、知っているだなんて。そんな気がしただけさ。魔術師マーリンの予言の一つだと思ってくれ。で、だ」

さらりと追及をかわしながらシミュレーターを設定すると、くるりとなまえに向き直りマーリンはやはり爽やかに微笑んだ。

「そんな有事に備えて、キミには早いこと立ち直ってもらわないと困る。ついでに采配能力を今のうちにあげようと言うわけだ!大丈夫、私は有能で勤勉なキャスター。その上数々の人間を王にしてきたキングメイカー!キミを一角ひとかどのマスターへと成長させてみせるとも!」
「い、嫌だーッ!今の精神状態で戦闘シミュレーションなんてごめんこうむる!うわこいつ力強!!えっ筋力B!?嘘だろ!!」
「ははは、私はアルトリアの剣の師匠だよ?剣を振り回すなら筋力は必須だろう」

抵抗して暴れるなまえなど目にもくれずずるずるとシミュレーションルームに引きずり込むと、無情にもマーリンはシミュレーターを起動させる。

こうして、マーリンによるマスター強化ミッションが開始された。


「……っ!」

はぁはぁと肩で息をするなまえの横で、けろりとした顔のマーリンが肩を回す。

「いや~疲れたね、100人切りは流石の私も骨が折れた」
「マーリン実はスパルタの出身なんじゃないの…?」

怒る気力も無くうなだれて言えば、からりと笑ったマーリンが「どの国出身とか私には関係無いよ」と返すので何も言えなくなりため息を吐く。そういえば、彼は人間ではないのだった。

「うん、でもだいぶ戦闘には慣れたのではないかな?後半には私のスキルや礼装の特性も把握出来ていたように思うよ」
「ほんと?」

ぱっと顔を明るくするなまえにマーリンは笑みを返す。
やはりこの少女には明るい笑顔の方が似合う。
実のところマーリンには誰が何を考えていようがどうでもよかったのだが、この少女に関しては、前向きに道を切り開く姿を好ましいと感じていた。

「とは言ってもその礼装と私のスキル、だけどね。礼装は他にもあるし、キミが契約したサーヴァントは多岐にわたる。まだまだ覚えることは山ほどあるよ」
「うぇ……」
「そんな顔をしなくても大丈夫さ。さっきはあんなことを言ったけど、キミは確実に此処に来たばかりの頃より強くなっている。肉体面もだが、技術も、心もね」
「……そっかな。まぁ、多少頑丈にはなったかもしれないけど……」

褒められて照れくさいのか視線を逸らしながら呟くなまえは、愛らしい姿に映る。

マーリンは自分で自分の感覚に内心では不思議に思いながら、くすぐったさにまた笑みを漏らした。
何だかこの子の前にいると、自分は笑ってばかりだなあ。

「最初は本当に頼りなくて、見ていてハラハラしたんだからね?それでもキミは諦めなかったし、すべて乗り越えてきた。だからね……この先も大丈夫さ。何より、今は私がついている」

ウインクしながらマーリンが言うと、なまえも応えて悪戯っぽく微笑む。

「……頼りにしてるからね、私のキャスターさん?」

なまえの応えにマーリンは満足気に笑ってみせる。
先刻まで覆われていた陰鬱な雰囲気は既に消えていた。

「気は晴れたようだね。やる気は取り戻したかい?」
「うーん。それはどうだろうね~。全く強引なんだからもう」
「ええ…?ここは元気出たって言うところだろう…」

シミュレーターを出るなまえを追いかけながらマーリンが言うと、振り返ったなまえがため息をついてマーリンを小突く。

「バカ。そんな簡単に立ち直れてたまるもんか。まだまだウダウダするつもりだから、頑張って私を浮上させてね」

目を細めて宣うなまえにマーリンは目をぱちくりと瞬かせた。

「うーん、キミは思ったよりくせ者だね?」
「マーリンに言われたくないなぁ。ずっと見てたくせに知らなかったの?」

そう言ってくすくす笑うなまえを見下ろす。
そう、マーリンはずっとなまえの道行きを見守ってきた。見守っているうちに、手を貸したくなってしまうほど入れ込んでしまったわけなのだが。
今こうして目の前で笑うなまえは、アヴァロンから見守っていたときとは些か印象が異なる。
今のなまえは、誰かに向けて笑っているわけではない。目の前にいるマーリンに対して笑っている。

「うん、ウルクでも思ったけど、こうして見るとキミはとっても可愛いね」
「ふぁい?」

突然の言葉に思わず不明瞭な言葉を発してしまうなまえ。
こうやって自分の言葉を受け取って反応を返すなまえは実に生き生きとしていて素晴らしいとマーリンは思う。

うん、やはり彼女は笑って前を見据える姿こそが美しい。
過去に囚われていては勿体ないし、それでは困るのだ。

「もしもまた誰かを好きになったら、私に教えておくれ。恋バナとか、そういうの大歓迎だから」
「絶対やだよ!引っ掻き回す気満々でしょ!って、また?」
「引っ掻き回すなんて、心外だな。まぁ、面白そうだからちょっかいは出すけど」
「こらっ!!」

軽口をたたきながら、二人は並んで歩き出す。

この子は自身の恋心を自覚する前に、恋の相手を喪ってしまった。
マーリンにその痛みは分からない。そして彼女自身も、その痛みを自覚していないのだ。

だからこそ──次こそは、彼女は幸せな恋をするべきだ。
暖かく、花のような。未来に希望が持てるような、そんな恋を。

「少なくとも、キミがハッピーになれるようには立ち回るつもりだよ」

それは心からの言葉だった。
キミに幸せな未来を。人類に希望を。そのために、マーリンは此処にいる。

彼のマスターはおかしそうに笑みを零すと、

「それも、頼りにしてるね。花の魔術師さん!」

…それこそ、花のような笑顔で応えた。

「…ああ。何でもマーリンお兄さんに相談しておくれ。なまえ君」

並んで歩く二人の足下に花が咲く。
それは二人の描く未来が希望に満ちている事を暗示するような光景だった。

以降、二人は事あるごとに並び立ち行動するようになる。
その行く先にあるのは、果たしてハッピーエンドであるのかどうかは、今はまだ、花の魔術師にも分からない。

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